14. ジョゼの怪我
「ありがとうございました」
ある休日の午後、ネフェリアは街の広場から少し離れた菓子店を訪れていた。
「すごく筋がいいですね。貴族の方にこのようなことを申し上げるのは失礼かもしれませんが、うちのケーキ職人になってほしいくらいですよ」
お世辞だとはわかっていたが、ネフェリアは気分良く店主に笑いかけた。貴族の立場を利用して、菓子店の店主にケーキの作り方を教わっていたのである。使えるものは使うに越したことはない。
「ふ……これで確実に落としてみせるわ」
店を後にし、通りを歩きながら、ネフェリアは邪悪な顔でケーキの入った箱を持ち上げた。
(私の手料理なしじゃ生きられない体にしてあげる)
とりあえず、今はベルゼの胃袋を確実に掴むことに専念する。
このあいだ、ネフェリアのどこが好きかという問いにしばらく考え込んだあと、さあ、とベルゼは肩を竦めた。答えにも態度にも納得がいかず、ネフェリアは久々に癇癪を起こした。ネフェリアがロイナに同様の質問をされたとき、似たような回答をしていたのだが、自分のことはすっかり棚に上げていた。
ベルゼがネフェリアへの好意を明確に行動に表したのはたったの二度で、以降はまったく態度が変わらなかった。以前と変わらない淡泊な様子にネフェリアは焦燥感を抱いた。
(本当に、私のことを好きなのよね?)
ベルゼは徐々にネフェリアの手料理以外のものも食べられるようになってきている。呪いが寛解してきていた。
呪いが解けることは喜ばしいが、解けた途端、ベルゼがネフェリアから離れてしまうのではという不安が募った。この間にも、着々と平民になるための計画は進んでいる。
ネフェリアの計画はいたってシンプルで、死を偽装することだった。とはいっても、事故死であれ病死であれ、不自然に見えないように偽装することは容易いことではない。疑いを抱かれないようにするためには入念な下準備が必要になる。
「それは…俺が動くことが前提だよねぇ」
計画を話した矢先、不満を零した下僕の頬を軽くつねった。我儘だの暴力女だの、文句を並べていたが無視した。ネフェリアが動いたところで所詮は素人。見破られる可能性が高い。であれば、ベルゼに任せた方が良い。案の定と言うべきか、ベルゼはそういった偽装の段取りも手慣れていた。
平民になる前に、ネフェリアは面と向かって告白するつもりでいた。
まだ直接ベルゼに気持ちを伝えたわけではない。何度も伝えようとしたが、短気な性格が災いして機会を失っていた。
早く帰って、顔を見たい。ネフェリアはケーキの箱を慎重に持ちながら、家路を急いだ。
夕暮れの帰り道の途中、公園の一画から聞き覚えのある声が耳に届いた。少し迷ったが、ただならぬ雰囲気に遠くから様子を窺うことにした。ぎりぎり会話が聞こえる距離まで近づいて、木の陰からそっと覗くと、セディアスとジョゼが言い争っていた。
(あの二人、まだ関係を持っていたのね)
その場所に留まり、会話の内容に耳を傾けた。
「私だけって言ったのに、友達にも手を出してたなんて……。やっぱり噂は本当だったのね」
剣呑な雰囲気を纏ったジョゼが、セディアスに詰め寄っていた。
「待て、ジョゼ。話し合おう」
どうやらセディアスは他の女子生徒にも粉をかけていたようだ。いつ人が来るとも知れぬ往来で痴話喧嘩を繰り広げていた。ネフェリアは白けた気持ちで、そのまま背を向けようとした。そのとき、視界の端に気になる物を捉えて、ぎょっとした。
ジョゼの手元にはキラリと光るものがあった。
(え、まさかナイフ?)
貴族相手に刃物を向ければ、ただではすまない。セディアスのために人生を棒に振ることなどなかろう。
「絶対に責任を取ってもらうから」
ジョゼはあろうことか、自分にナイフを向けた。セディアスが驚き、止めようと揉み合う。
(どうしよう)
警備兵を呼んでこようか、それともベルゼを呼ぶか。ベルゼの存在は特殊なので、屋敷外の者にあまり知られたくはない。
「ああっ!」
迷っているうちにジョゼが呻いて、地面に倒れた。
(え!?)
「ジョゼ!」
セディアスが倒れたジョゼに近寄る。
「そんな…刺すつもりじゃ……」
揉み合っているうちにナイフが刺さったようだった。下腹部にナイフが刺さり、血が流れているのが見える。
セディアスは立ち上がって、じりじりと後ずさった。それから、動揺して怯えた様子で辺りを見回す。ネフェリアは咄嗟に木の陰に隠れた。その後、走り去っていく足音が聞こえて驚愕した。
(まさか逃げたの!?)
ネフェリアは恐る恐る足を運び、ジョゼの安否を確認した。顔面蒼白で、傷口の場所と深さから、重傷であるとわかった。医者を呼んでも間に合わない可能性が高い。
(…私の能力を使えば、助かるかもしれない)
癒しの力のことがバレる恐れはある。一瞬、判断に迷ったが首を振った。
下位貴族で、無駄に歴史が長いだけの貧乏貴族だと陰口を叩かれようと、貴族としての矜持は残っている。
意を決して、木陰に置いていた箱を取りに戻る。ジョゼのもとまで舞い戻り、箱からケーキを取り出す。クリームの部分を口に含んで溶かした。
「汚いけど、死ぬよりはマシでしょう」
屈んでジョゼに口移しした。何度か同じことを繰り返す。ジョゼは意識が混濁していて、ネフェリアを認識できていない。それでも少しずつ嚥下していた。
何度か繰り返したあと、ジョゼの傷口を確認する。血が止まり、綺麗に傷が塞がっていた。内臓のほうはわからない。ひとまず安堵する。ジョゼはすでに意識を失っていた。あとはベルゼを呼んで対処するつもりだった。いつも影の中に潜んでいるわけではない。ベルゼには仕事を振っているから、今はそばにいなかった。
お読みいただきありがとうございます。
以降は大体短編版と同じ内容で最後も変更ありません。
ただ別のキャラの視点で書いた箇所があるので、内容が重複する場合もありますがお楽しみいただけると嬉しいです。




