無頼 二
護送役人の孫琳と賀吉に伴われ、王慶は陝州へ向かう。
折しも初夏の候で暑さが厳しく、一日に四十里がやっとというところ。十五日ほど歩き、嵩山を越えたあたり。
孫琳が西の方を指し示した。
「あの山は北印山と言って、西京河南府の管轄だ」
さらに二十里歩き、北印山の東側に来た。
そこに町があった。その町の人家がまばらな辺り、大木の木陰に人々が集まっており、男を取り囲んでいた。
男は気合を発しながら、棒を振り回していた。観衆はやんやと喝采を送り、地面に置かれた器に銭を入れてゆく。
王慶もその男を見物した。
しかし思わず、
「これは見世物の棒だな」
と口を滑らせてしまった。
技の佳境に入っていた男は、その言葉に手を止めた。見ると枷を嵌められた流刑囚ではないか。
「なんだ、この懲役野郎。わしの技は遠方にも轟いているんだ。侮りやがって」
男は拳を振り上げ、王慶に向かって打ちかかってきた。
「待って下さい」
と、そこに二人の若い男が割って入ってきた。
しかし、
「すまない、つい口が滑ってしまった。俺も少々覚えはあるのでな」
という王慶の言葉に、男がさらに怒った。
「貴様がどれほどだというのだ。俺と立ち会ってみせろ」
間に入った若者二人が顔を見合わせ、王慶に提案を持ちかけてきた。
「どうです、ああ言っていますが。もし彼を負かすことができたら、あそこの二貫の銭はあなたに差し上げましょう」
「いいだろう。その勝負乗った」
王慶は賀吉に棍棒を借り、人垣の真ん中に歩いてゆく。
棒使いの男は顔を赤くしたまま、待ち構える。
観衆から、枷を付けていては不利ではないか、と声が上がった。
だが王慶は不敵に笑った。
「それが面白いんじゃないか。これで勝てば、俺の腕が示せるというもの」
「その大口もすぐに聞けなくさせてやるぞ」
対決が始まった。
棒使いの男が蟒蛇呑象の勢で迫れば、王慶は蜻蛉点水の勢で迎え討つ。
気合いとともに男が打ち込む。王慶は怯むことなく、すと足を下げてそれをかわした。男が追撃するも、王慶は右へ左へと体を捌いて避ける。
「ちょろちょろ逃げおって」
男が渾身の棒を繰り出した。だが王慶はそれもかわしてしまう。そして棒を戻すのに合わせ、男の手首に素早く一撃を打ち込んだ。
悲鳴を上げ、男は棒を落としてしまった。すかさず王慶は男の顔に棍棒を突きつけた。
勝負ありだ。
観衆が大きな喝采を送る。
くそっと叫び、男が銭に手を伸ばした。
だが先の若い男がその手を止めた。
「不義理な真似はおやめなさい。それは勝ったあの人のものだ」
舌打ちをし、男は観衆の笑いを背に受けながら逃げ去ってしまった。
銭を受け取り、笑みを浮かべる王慶。
二人の若者も嬉しそうな顔だ。
「ご迷惑でなければ、拙宅へお寄り下さいませんか。どうぞ長旅の疲れを癒してください」
王慶が、孫琳と賀吉の顔を見る。二人とも否やはない。
「では、ぜひ。私は王慶と申すものですが、お二方は」
「私は龔端と申します。こちらは弟の正です」
龔端と龔正が拱手した。龔兄弟は新安県、龔家村の主なのだという。
これは良い者と出会えたものだ。
運が向いてきたかな。
王慶は枷で凝った首を、こきりと鳴らした。
龔端たちの屋敷の大きさから、その裕福さが伺えた。
早速、宴が開かれた。
皮を剥いた大蒜そして切り揃えた太い葱から始まり、野菜料理、鶏や鴨の肉、魚などが運ばれてきた。
龔兄弟と王慶、それぞれの杯に酒が満たされた。
一気に飲み干す王慶。香りが芳醇な美味い酒だ。
「俺のような罪人に、これほど親切にしていただき誠にありがとうございます。で、俺に何をさせようって腹づもりで」
ぎくりとした顔になる龔端と龔正。どうやら図星のようだ。
「では、包み隠さず話しましょう」
龔端が王慶の目を見つめた。
今年の春、東村で祭礼があり、遊びに行った龔兄弟が黄達という者と博打をめぐって喧嘩になった。だが兄弟は黄達に敵わず、こっぴどくやられてしまったという。それから黄達は、龔家村で大きな顔をして、やりたい放題だというのだ。
「そこで、王慶どの。あなたの腕を見込んで声をおかけしたのです」
「私たちの師匠になってもらえないでしょうか。お礼は十分にいたします」
そういう事か。得心した王慶は、一応は謙遜してみせたが、何回かのやりとりの後その依頼を受けた。
あくる日、朝の涼しいうちに早速稽古を始めた。龔兄弟は腕は人並みだったが、筋は良いようだった。
と、そこへ大男が現れた。
「おいおいおい、俺さまの土地に、どうして罪人が勝手に入り込んでいるんだ」
これが黄達だった。
龔端は黄達の顔を見るなり怒りを燃え上がらせた。
「おい、お前こそ何しに来たのだ。ここは俺たちの土地だぞ」
「おいおいおい、面白いこと言うねぇ。改めて分からせて欲しいらしいな」
黄達が拳を握り、龔端に向かった。
大きな図体の割に早い。
王慶は素早く間に割り込み、なだめる風を装った。そして枷での一撃を、黄達に喰らわせた。黄達は鼻血を吹きながら、地面に転がった。
今だとばかりに龔端と龔正そして下男たちまでもが黄達に襲いかかる。
孫琳と賀吉が必死に龔端たちを止めたが、すでに黄達はぼろぼろの姿だった。黄達はそのまま捨て置かれたが、通りかかった百姓に助けられたという。
「どうしましたか、師匠」
浮かぬ顔の王慶に、龔正が聞いた。
「あれはやり過ぎだ。必ず仕返しに来るぞ」
「なあに、心配ありませんよ。取り巻きたちも、あいつの暴力を恐れて従っていただけです。黄達を助けなんぞしやしませんよ」
「それに訴えられても、喧嘩沙汰で済むことです。いやあ、しかし師匠のおかげで恨みを晴らすことができました。本当にありがとうございます」
王慶の心配を余所に龔端も龔正も晴れ晴れしい顔だった。
こいつら、黄達よりも図太いのかもしれんな。まあ、危なくなったら逃げるだけだ。旨い汁は吸える内に吸っておくとしようか。
と王慶は顎を擦った。
それから十日余り。やはり黄達が訴え出たという噂が流れてきた。
王慶は龔家村を離れる事に決め、孫琳と賀吉はやっと職務が果たせると安堵した。
龔端と龔正は五十両もの白銀を渡し、別れを惜しんだ。
そして陝州へ。
賄賂を受け取った典獄の張世開は、王慶の枷を外してやり、また殺威棒も免除してやった。王慶は破格の待遇を受けることとなった。
いつしかふた月が経ち、秋も深まってきたある日、王慶が張世開に呼ばれた。
陳州の獣角で飾った弓が欲しいから、目利きをしてくれと言う。陳州は東京開封府の管下、王慶なら真贋が分かるだろうとの考えだ。王慶は見事期待に応え、張世開はことのほか喜んだ。
それから張世開は、頻繁に用事を頼むようになった。しかしその費用は王慶持ちで、後からまとめて返すというやり方であった。
十日経って、張世開に銭を請求したが払ってもらえず、さらにひと月経っても同じだった。しかも、王慶の買ってきた物に文句を言い、時には罰として棒打ちまで喰らってしまうこともあった。
初めは良い顔してたじゃねぇか。どうしてこんな目に合わねばならんのだ。
這いつくばりながらも、王慶は張世開を睨んだ。
「む、何だその目は。いまにも噛みつきそうな目をしおって。反省が足りんようだな」
王慶はその日、さらに棒を受けた。
膏薬を足に張り、房で寝台に横たわる王慶。足がじんじんと痛み、怒りがふつふつと沸き上がる。
くそう、あの野郎め。何だって俺を目の敵にしやがるんだ。何とかしなくちゃなあ。
そして王慶は張世開の側仕えに近づいた。残り少ない金を渡し、肉や酒をご馳走する。
いつもご苦労様です、と王慶が下手に出れば、側仕えも悪い気はしない。
酒で良い気分になったところで、
「しかしお前も大変だなあ。典獄さまに酷い目にあわされて」
と王慶を憐憫の目で見る。
待っていた。
王慶は密かに目を鋭くさせる。
「いやあ、お気遣い痛み入ります。まあ、でも当然ですよね。やっぱりあの事が原因なんでしょうか」
「そうだ。お前があの男を痛めつけちまったからなあ。まだしばらく納まらないと思うぜ」
あの男、それは龐元といい、張世開の妾の弟であった。そしてこの龐元、なんと龔兄弟と出会った時に打ちのめした、あの棒使いだったのだ。
龐元は姉に泣きつき、張世開に王慶を痛めつけるように言っていたのだ。
合点がいった。そういう事だったか。
しかし、官を怕れずただ管を怕れる、か。
これ以上、やられるようならば逃げ出すしかないか。
まあその時はその時か。
王慶は手に入れた匕首を、懐に忍ばせた。
足の傷がやっと癒えた頃、張世開に呼ばれた。緞子を買って来いというのだ。
ははあ、妾の龐氏に与えるのだな。
王慶は着物を見る目もあり、なるだけ良い品を選んだ。だが張世開は色がどうのとか、柄が古いとか難癖をつけて怒鳴り散らした。そして今日中に上質な物と取り換えてこないと命はないぞ、とまで言われる始末。仕方なく金を上乗せして、良い緞子を手に入れた。だがすでに牢城の門は閉ざされてしまっていた。
当直は面倒を嫌って、王慶を入れようとしない。張世開の使いだと言っても、態度を崩さない。
思案する王慶。
恨み小なるは君子に非ず、毒無きは丈夫ならず、だ。このままいびり殺されるより、とことんまでやった方がましというものだ。
そう決めると、行動は早かった。
夜中を待ち、張世開の邸宅の裏へ回る。静かに塀を乗り越え、厠から中へと忍び込んだ。
向こうの部屋から声が聞こえてくる。
「あいつも身銭を使い果たしたみたいです。そろそろひと思いに、恨みを晴らしてくださいよ」
「そうだな、明後日くらいにはやってやるとするか」
「そうこなくては。いよいよか、楽しみだなあ」
龐元と張世開の声だ。龐氏も同席しているようだ。
そのやりとりを聞くうちに、王慶の胸に怒りの炎が燃え上がってきた。
やがて張世開が便所に立った。側仕えに灯りを持たせて廊下を歩く。王慶は暗闇に隠れて待つ。
通り過ぎた張世開の背後に回りこんだ。気配に振り向いた張世開。だが王慶の手には匕首が握られていた。
叫ぶ暇もなく、耳の付け根から項あたりまでばっさりと斬られてしまった。白目をむき、血の海に倒れる張世開。
声にならない声を上げて逃げようとする側仕えの背にも、匕首を深く突き立てた。
返り血に濡れた王慶は、恍惚の表情を浮かべていた。
騒ぎに気付き、龐元が廊下へ出てきた。
「どうしたんです、義兄さん」
王慶が飛び出し、匕首を龐元に付き立てた。匕首が脇腹に突き刺さり、悲鳴が上がる。
龐元は這って逃げようとするが、王慶がその背に馬乗りになる。そのまま首を掻き切られてしまった。
次に龐氏も廊下へ姿を見せた。匕首を握りなおし、王慶が近づこうとした。
その時、王慶は見た。龐氏の背後から十数人もの男たちが、武器を手に襲いかかってくるのを。
実はその時、龐氏の後ろには誰もいなかったのである。はたして王慶は、またも怪異を見たのであろうか。
ともかく王慶は逃げた。
州尹は王慶を人殺しの罪で手配し、一戸一戸つぶさに調べたがついに見つけることはできなかった。
陝州を逃れた王慶。しかし、どこへ行ったものか、と思案する。
木の葉も散り、草も枯れる時節。なんとしても宿を確保したい。六十里ほど駆けると、朝方に家並みが見えた。そこでなんとか宿を見つけた。
すると宿から一人の男が出てきた。
おや、と王慶は思った。見覚えがある顔だったのだ。
そして近づき、声をかけた。
「兄貴、お変わりありませんか」
「ん、お前は」
眉を寄せ、王慶の顔を確かめる男。
「まさか、王慶か。どうしたんだその姿は」
男の名は范全。母方の従兄である。
房州の押牢節級をしており、公用で東京開封府に来た時、王家に何日か泊まっていたのだ。
ここで知り合いに出会うなんて。
まだまだ俺の運は尽きていないらしい。




