仇敵 三
田虎は、梁山泊軍と戦い敗走した。
だが威勝に(いしょう)残る田豹、田彪はその事実を知らない。そして田虎のいない今、二人は羽を伸ばし、酒を飲んでいた。
「兄貴はいつからあんなに癇癪持ちになったんだろうな。部下はおろか、俺たちにまで当たり散らすもんな」
「そうだな。まるで兄貴一人の力で、ここまで成し遂げたみたいな顔をしているからな」
「まったく、汾陽も晋寧も仕方ないじゃないか。大体、孫安や喬道清どもが裏切ったせいなんだ」
そうだそうだ、と田彪が合の手を入れる。二人はそれぞれ汾陽と晋寧の守将をしていたのだ。
そして大きなため息をつく。
あの頃が懐かしい。この威勝を陥とした頃が一番楽しかったのではないか。
「何してるんだ、叔父さんたち。父さんが戦に出てるんだぞ」
田虎の子、田定だ。
ちっ、と田豹が舌打ちをする。
「ああ、俺たちは大事な会議をしているんだ。邪魔しないでくれないか」
「嘘だ。酒を飲んでるじゃないか」
田彪がにやりと笑った。
「お前は父親の会議を見てなかったのか。兄貴はいつも酒を片手に軍議をするのだ。その方がいい考えが浮かぶのだ」
「えっと、確かに、そうかもしれない。でも」
田豹が田定を掴み、引き寄せた。そして杯を無理やり持たせる。
「お前も混ぜてやろう。ほら、まずは飲め」
「でも、俺はあんまり飲めなくて」
「何言ってやがる。太子だろうお前は。ぐいっと男らしくやれよ」
田彪が酒を注ぎながら笑う。
飲めないのは知ってるぜ。だから、じゃねぇかよ。
数杯飲まぬうちに田定が寝息を立てはじめた。顔が真っ赤である。田豹と田彪はそれを見て笑いながら宴を続けている。
「田豹さま、田彪さま。おや、そこにいるのは」
と、今度は范権が現れた。
まずい。
「いやあ、太子どのが飲みたいというもので。あまり強くはないのに」
田豹の言葉に、范権はそうですか、と言うだけだった。
そして、
「我が軍が戻りました。田虎さまもお戻りです」
「本当か。それで、勝敗は」
「分かりません」
田豹と田彪が城壁へと駆けた。
先頭にいるのは葉清そして、鄔梨の義娘である瓊英だ。田虎は中央で、兵たちに守られるように騎乗している。
「田虎さまをお守りしてきました。再度討って出るため、軍備を整えます。城門を開けてください」
瓊英の澄んだ声が響く。
「おい、兄貴は無事なのか」
「よく見えねぇな。ぐったりしてるみたいだが」
田豹、田彪が城壁から乗り出すように確かめようとする。
するうちに城門が開いた。
范権が指示をしたようだ。
「何やってる」
「早く田虎さまを休ませなければ。田豹さまたちも酔いを覚ました方が良いかと存じますが」
確かに、と二人は思った。
門を入る葉清が、范権を見た。微かに、范権が頷いた。
「よし、かかれっ」
葉清が号令を発した。兵たちが一斉に刀を抜き放つ。威勝の田虎軍は何が起きたか理解できなかった。
田豹と田彪も慌てふためく。酔いが回ったまま、何とか刀を手にした。
すでに葉清は裏切っていたのだ。そしてあれは田虎ではない、似た誰かだったのだ。謀られた。
威勝の兵が斬り伏せられていく中、必死に抵抗する田豹と田彪。
息を切らし、孫如虎と李擒竜が城内を駆けていた。
「おい、どっち行けばいいんだよ」
「分からねぇよ」
と威勝兵と斬り合いながら右往左往する。
角を曲ったところに、目の前に身なりと体格の良い男たちがいた。
田豹と田彪だった。
「何だお前たち」
「雑魚はお呼びじゃねぇんだ」
その迫力に思わず足が竦んでしまう。
「どうして敵の親玉と出会っちまうんだよ」
「知るかよ。ど、どうする」
田豹と田彪が襲いかかってきた。悲鳴を上げ、転がるように刀から逃げる二人。
壁と床に傷が増えてゆく。
だがついに追い詰められてしまった。孫如虎と李擒竜は抱き合って震える。
「ああ、もうお終いだ」
「そうだなあ。こればっかりは俺にも分かるよ」
田豹が一歩、詰め寄った。田彪が刀を構える。
ひいっと、目を閉じる孫如虎と李擒竜。
その時、鈴の音が聞こえた。
風が吹いた、気がした。
からからと、田彪の刀が床に転がる。何が起きたのだ。
「無抵抗の者に手を上げようなど」
やはり賊は賊だな。
銀鈴公の耿恭が、そこにいた。
そして再び風のように動いた。
ちりんと鈴が鳴った。刀の柄で、田彪が気絶させられた。
「貴様も裏切り者か。どいつもこいつも、兄貴への恩を仇で返しおって」
田豹と耿恭が斬り結ぶ。力は田豹が上だが、腕では耿恭だった。数合打ち合い、田豹が両手を上げた。
「待て、俺の負けだ。降伏する」
「武器を捨ててもらおう」
「わかったよ」
田豹が刀を床に捨てた。
「無事だったか、孫如虎、李擒竜」
耿恭が振りかえる。
だが、孫如虎が何かを叫んだ。
田豹が耿恭にぶつかってきた。
田豹の手には短刀。それがみるみる赤く染まってゆく。
熱い。胸が、熱い。
「けっ、油断しやがって」
「うわあああ」
孫如虎と李擒竜が叫んだ。
今度は二人が田豹に突進していた。弾き飛ばされる田豹。そしてすぐに葉清の部下ちが殺到してきた。手にする縄で田豹と田彪を縛り上げてゆく。
「耿恭さま、耿恭さま」
涙を流す孫如虎。李擒竜は言葉も出ない。
耿恭が孫如虎の腕に手を添えた。
「二人がこ奴らを食い止めてくれたおかげだ。お主らの手柄だ。誇るが良い」
「ち、違います。俺たちは、なにも」
「そいつらなんか良い、早く手当を。早く」
耿恭が最後の息を吐いた。
田豹と田彪が引き立てられてゆく。
いつまでも孫如虎と李擒竜は、耿恭の側を離れなかった。
卞祥はどうすれば良いのか分からなかった。
梁山泊の頭領、宋江が言った。自分と勝負をすると、言ったのだ。
これは笑うべきなのか、それとも怒るべきなのか。
卞祥は、胸ほどまでしかない宋江を見下ろしている。これで自分と戦おうというのか。もしかして、実は恐るべき力を秘めているのだろうか。世の中にはそういう者がいるとも聞く。
しかし、剣の握り方見る限り、とてもそうは思えない。
「九紋竜よ」
思わず史進に声をかけてしまった。
「お前が戦え。こないだの勝負の続きだ」
「おい、聞いてるのか。宋江どのが直々に相手すると言ってるんだ。ありがたく思うんだ」
馬鹿な。
この事態に菅琰たちも、戸惑っている。
卞祥が開山大斧を両手で握る。腰をやや落とし、大斧を水平ぎみに構えた。対する宋江は剣を、右胸辺りで縦に構えている。
「どうなっても知らぬぞ」
「来い」
卞祥が力強く踏み込む。突風が吹き荒れた。
飛ばされた剣が、地面に刺さった。宋江も吹っ飛び、地面を何度か転がった。
だから言ったのだ。
宋江が何とか立ち上がった。そして剣を取り、再び構えた。肩で息をしており、構えるのがやっとである。
卞祥のこめかみに青い筋が立った。
「何をしている。終わりだ」
「終わってなどいないぞ」
宋江が駆けた。卞祥に向かって二度、三度と斬りつけた。だがかすりもせず、卞祥が防いでしまう。そして蠅を払うように、またも転がされてしまった。
宋江が立ち上がった。口元に血が滲んでいる。
卞祥が史進を見た。史進は一歩も動かずに、戦いを見守っている。
お前たちの頭領がどうなっても良いのか、九紋竜。
そして気付いた。どうして敵の心配をしているのだと。梁山泊の頭領を討てば、田虎軍の勝利ではないか。
しかし、しかし。
向かって来る宋江をの襟首を掴み、放り投げた。大人にあやされる子供のようだ。
「いい加減にしろ」
またも宋江が地面に転がる。戦袍も顔もすでに泥まみれだ。
だが、剣を杖にしてまた立ち上がった。そして卞祥に向かって叫ぶ。
「どうした、手加減は無しだ。思いきり来い」
「手加減など」
吼える卞祥。なんだこの気持ちは。
目の前の小男を、真っ二つにするだけで良いのだ。
それで終わる。
卞祥が開山大斧を頭上に振り上げた。
なぜか卞祥の息が荒くなってきた。鼓動が早くなる。頭が朦朧としてきた。
助けて、という悲鳴が聞こえた。そして喚声、剣戟の音。あちこちから悲鳴。男も女も子供も老人の声もあった。やがて火が爆ぜる音がした。悲鳴と喚声はまだ続いている。
あの時の、州兵に襲われた村の様子が蘇っていた。
太斧を掲げたまま、卞祥が涙を流していた。
できない。斧を振り下ろす事ができない。
「うわあああ」
叫び、己を鼓舞しようとする卞祥。だがやはり腕が動かない。
敵だ。敵の将だ。何度も言い聞かせた。
やれ。振り下ろせ。
さらに息が荒くなる。腕は動かない。
違う。この斧は、このような弱い者を切るためのものではないのだ。弱い者を守るためのものなのだ。
かはっ、と大きく息を吐き、尻もちをつく卞祥。菅琰たちが駆け寄る。
「宋江、お前、死ぬのが怖くないのか」
「もちろん、怖いさ」
だが、と続ける。
「もっと怖いのは、臆病風に吹かれ、何もできずに思いを果たせぬ事だ」
「だからって、どうしてここに来た」
「田虎の元に置いておくには惜しい男がいるからだ」
それが、自分だというのか。
「しかし、俺に殺されていたかもしれないんだぞ」
その時は、と史進を示してみせる。
「それに、そうはならないと、史進が言っていたからな」
「なんだと九紋竜。俺が、宋江を殺さないと言ったのか。何故そう言いきれる。それに、宋江。お前はそれを信じたのか」
「私は、梁山泊の皆を信じている」
と誇らしげに言った。
卞祥は、いつの間にか宋江を見上げる形になっていたことに気付いた。
「史進の言った通りだ。私に、梁山泊に力を貸してくれないか」
「敵に力を貸せというのか。ふざけた事を」
「お主は田虎に忠誠を誓ったのだから当然だ」
なおさら、何故だ。卞祥が訝しむ。
「すべてが終わってからでいい。最後まで忠義を尽くすのが、お主のやり方だろうからな」
「田虎さまが負けるというのか」
「私は何も言っていない」
ぐ、と卞祥が言葉に詰まる。
宋江が綿山を下りてゆく。
史進が卞祥を見て、
「じゃあな。待ってるからよ」
と手を上げて、宋江を追って行った。
卞祥は地べたに腰をおろしたまま、空を見上げた。




