序章
アスファルトに浮かぶ油膜が虹を描いていた。
雨上がりの藤原美術館の駐車場で、水たまりの隅で揺れる油膜は星空を閉じ込めた茶碗のようだった。
「曜変天目みたいだ……」
杉本晶(34)はしゃがみ込み、スマートフォンを構えた。スーツの裾が濡れるのも構わず、画面越しにその光を覗き込んだ。虹色の粒は曜変釉の結晶のように中心から滲むように広がっていた。
「面の出方が……いや、これは偏光か」
呟きながらシャッターを切った。
撮影した画像を拡大して確認すると、中心に吸い込まれるような深い闇があった。
杉本は藤原美術館で中世陶磁器を専門とする学芸員だ。曜変天目茶碗は究極にして人生をかけて追い求めてきた美の終着点だった。
「こんな駐車場の油膜に心動かされるなんて、職業病かもな……」
フッと笑い、立ち上がろうとした――その時だった。
ブワァァァン!
白のワンボックスカーが猛スピードで駐車場に滑り込んで来た。減速せず、斜めから杉本に向かって突っ込んで来た。
「うわっ!」
とっさに身体を捻って避けようとしたが、片足が油膜に触れた。
キュッ。
スリップした足の裏から得体の知れない重力のようなものが伝わってきた。
虹色に輝く油膜の表面が薄いガラスのように波打ち、スローモーションのように波紋が広がった。
触れた油膜の中心から、渦を巻くように深い闇が開いた。
ブラックホールに吸い込まれるような感覚に襲われ、身体が重力を失ったかのように宙へと浮かび上がった。視界がねじれ、油膜が渦を巻きながら包み込んでいった。
――杉本の身体は深淵へと呑み込まれていった。




