015 ♕ 白いバンダナの意味
結局、その日の囮作戦は襲撃が無いまま18時になって終了した。
もっとも、襲撃されないことも見越して3日間という猶予はある。
今日はその布石を打っただけでも十分な成果だったとサムは言った。
「思っていたよりも、暑かったです」
「だろうね。特に今日は厳しかったでしょ?」
シャワーを浴びてリビングに戻ってきたら、サムはシズカとそんな会話を交わしていた。
シズカはキッチンに立って夕飯を作ってくれている。
「帰路、尾行されていないか確認していましたが、大丈夫そうでした」
大丈夫と言ったのは、シズカへ心配させないためだと思う。
実際には人混みに紛れて撒いてきたのだが、恐らくは味方が手伝ってくれたのもあると思う。
ふと点いていたテレビを見れば、明日の東都は雨だと報じられていた。
母国だと天気予報は当てにならなかったが、サムは諦めた様子でシズカを見る。
「明日は傘をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ん? あぁ、良いよ、良いよ。玄関にいっぱいあるから、好きなのを持って行って」
事務所もそうだったけど、シズカの家にも傘はいっぱい置かれてあった。
この国だと天気予報は高確率で当たるものの、降る時間帯や雨量までは当てにならないため、止んでいる時に電車に置き忘れたり、逆に家を出る時に降っていないと帰りに降られたりして、安価な傘が事務所や自宅に増え続けてしまうらしい。
「あ、でも、傘よりもカッパの方が良いのでは?」
「いえ、傘で良いです。武器にもなりますし」
この国では銃も刀も(認可された人以外は)所持できないことになっている。
そう考えれば、確かに傘は武器の代わりになりそう。
そうこうするうちにシズカは両手にプレートを持って私達の前へ置いてくれた。美味しそうなパスタだったが、魚でも肉でもトマトでもない色をしている。
シズカが自分の分を持って席へ着けば、サムは恐る恐る、シズカへ尋ねる。
「これは、何ですか?」
「辛子明太子のクリームパスタ。友人が持ってくる辛子明太子は好きなんだよね。ただ、一度に持ってきてくれる量が多すぎて、冷凍していても、しばらく毎日食べることになるんだけど」
確かに、昨晩も明太子のオムライスと明太子入りの大根サラダだったし、今朝も明太子のだし巻き卵と明太子入りのポテトサラダのサンドイッチだった。
私は食事に文句を言わないタイプだったし、明太子は嫌いではないので気にしなかったが、サムは辛さに敏感らしく、食べる度に涙目になっていたことを思い出す。
「そんなに辛くないけどなぁ?」
「大根サラダが辛そうだったから卵やマヨネーズを混ぜたけど、それでも辛く感じる?」
ほぼ同時にシズカと答えてしまったけど、聞いている点は変わらない。
サムが頷けば、私はスープのようになったクリームを掬って舐めてみる。
―― 確かに、辛さは感じない。
だけど、サムは少量を舐めただけで涙目になっていた。
「唐辛子は平気なのに、どうして?」
「知っていたら苦労しないよ」
「うーん。もしかしたら、この国の唐辛子が苦手なのかもね。国によって味が違う野菜もあるって聞くし。今度、少量で試してみようか」
何でもそつなくこなすサムだけに、少し意外な弱点だなぁと思った。
翌日は朝から悪天候だった。これならカッパの方が良かったかもしれない。
しかし、シズカは大きなサイズのカッパしか持っていないようなので諦めるしかなかった。
最寄り駅で下車、傘を差して歩くこと、5分。
「尾行されているね」
小声で言えば、サムもまた小さく頷いて答えた。
しばらく歩いていたら、不意に対面から1人の大柄の男がこちらへ向かって来る。
先に違和感を訴えたのは妖精だった。
『戻って!』
私はその言葉を信じ、サムの腕を掴んで後ろへ引いた。
すると、大柄の男と全く同じ体格・気配の男が、脇道から私達の居た所へ魔導バイクで突っ込んで来る。
確か、魔導バイクも魔導自動車と同様、まだ試験段階で公道では乗車すら認可されていなかったはず。
魔導バイクに乗った男は舌打ちし、こちらへ向かって走らせて来る。
だが、私達とて魔導バイクくらいで轢き殺されるほど軟な体はしていない。
それに、魔導バイク自体は大型犬と同じくらいのサイズだし、エンジン式のバイクよりも軽量だと知っている。
だから私は魔導バイクに真っ正面から対峙する。
ちょうど大型犬で例えれば頭部となる目の前まで来たので、傘を放り投げ、空いた両手でその頭部を抑え込み、停止させるために両腕や両足へ力を入れた。
その間にも、サムはもう1人の男の背後へ回り、首への手刀1回で無力化している。
他に男の気配が無いことを確認しつつ、強制停止させたバイクを天へ向けて投げてやれば、乗っていた男は一緒に宙へ放り出されたのか、成す術なく地面へ叩きつけられた。
時間にすれば1分もかかっていないはず。
『魔導バイクに頼るのは良くないね。そんなに運用させたくないのかな?』
『事故に見せかけるつもりだったのだろうが、馬鹿なことを』
『あ、また黄色いスカーフを身に付けているよ』
『例のチームなのだろう。魔導バイクの車体番号から購入者を洗い出せることも知らなかったと推測される』
こうしてサムと会話をしつつ、煽りと同時に周囲に居る味方への報告も忘れない。
ただ、ふと垣間見えた2人の味方は、何を驚いていたのか口をぽかんと開けてしまっていた。
なお、サムとほぼ同時に放り出した傘は、風で遠くまで飛ばされないよう、その2人が回収してくれたようだ。
『ウィルの身分を知っているから、喧嘩慣れしていることに驚いているのかと』
なるほど、と周囲を警戒するサムの横顔に目を落とす。
母国では小競り合いから喧嘩へ発展することは良くあることだった。特に市場では値段交渉が上手くいかず、手が出てしまう客が多い。
何せ砂漠の天気は変動しやすく、それに伴って物価も乱高下を繰り返す。1日で金額が2倍になった水の話しは国外でも報じられたほど。
その時は流石に政府も調整のために動いたけど、そこは国柄なのか、喧嘩やゲームで勝った方が有利となる場合が多かった。
『流血されたことは、まだ無いはずだけど』
そう言ってバイクから投げ出された男を見た。
サムは失笑しながらも答える。
『ウィルの場合、骨折はしていそうだけどね』
『このくらいで骨折まで、する? 体、弱くない?』
『人間と悪魔を比べたらいけないかと』
『……あれ? くま……例の一族じゃないの?』
『違うよ。彼らは人間だった者。恐らくは黒い仮面の使者だと思う』
その一言で、私は大きく溜息をつく。
正直、クマキ族より死神教の方が厄介だと思っていた。
それが、蓋を開ければ軟な人間だったので、そこまで驚異的ではないと判断できたから。
もっとも、数を揃えられたらマズイかもしれないけど。
『囮さん、』
不意に呼ばれた気がして振り返るも、味方の気配は有れど姿は見られない。
いつの間にか、唖然としていた味方も消えていた。
『こちらの方面に、黄色の一団が集まりつつあります。公道だと一般人へ危害が出てしまいますので、そちらで一網打尽にしてしまおうかと思います』
『今、仲間が、その周囲に罠が仕掛けられていないか、複数名で確認している。多分、大丈夫だと思うが。案内するから、着いてきてほしい』
―― 嫌な予感は意外と当たるモノらしい。
しかし、ここにはサムが居る。
『行こう、ウィル』
その一言が一番心地よかった。
いつの間にか雨は小降りになっていたし、もう少ししたら止みそうだったので、傘を一緒に持って行かれてしまっても特に支障はない。
姿が見えないまま、気配を頼りに案内されたのは、7階建てのビルの屋上だった。
そこから下方を覗き込めば、そこはちょうど窪地になっているような地形で。
東都だとビルが7階でも低いほうだが、囲まれた場所のビルはここより低かったのだろう。しかし、広さはこちらよりも倍以上あったからか、そちらの屋上には何十人もの黄色いスカーフを身に付けた人が集っていた。
なお、集合場所の向こう側の2棟のビルは、7階どころかかなり高いビルだった。ガラス張りの窓でバルコニーなどは見えないが、エアコンの室外機を足場にして何人もの味方が潜んでいることは悟った。
黄色いスカーフ族は、どうやら脇道から低いビルへ飛び乗っている様子。だから更に高い箇所から見下ろしているなんて思っても居ないのか、誰も警戒している素振りは無い。
「特殊な結界術と神器。彼らが扱えない術を使っているから、彼らからは見えていないだけですよ」
振り返れば、恐らくはここまで案内してくれた少女が居て、冷静にそう教えてくれた。
「本日、こちらもリーダーは不在です」
「も、ということは、向こうも?」
「はい。ただ、リーダーに関しては憶測ですので悪しからず。まぁ、どちらにしても、向こうのリーダーが現場に出てくることはありません」
「しかしながら、懸念事項が1つ」
「全員、違法魔法石を所持していること?」
「それもありますが、既に会話が出来る状態ではありません。あと、一部が悪鬼化しています」
「下手な場所で戦えば、魔力暴走を起こして無関係な人に危害が出る、ということか」
「協力関係にある夢魔からの情報で、公道に面した場所での抗争は控えた方が良い、とつい先ほど、連絡がありましたので」
夢魔、と言われて何故かミノルの顔を思い出した。
あのミノルのことだから、今日も図書館に居るのだろうか。
「じゃぁ、あそこで一気に仕掛けるってことで良いのかな? きっと分断できるほどの知能が相手に残っていないようだし」
「はい、その見解で間違いありません」
どうやら話し合いは終わったらしい。
我慢できずに大欠伸をしたら、サムに思い切りどつかれた。少女はケラケラと笑っていたけど、緊張感が無くってごめんね。
敵の数十名がビルを降りようとしていたのを見ていたのか、先手を打ったのは味方の6名だった。6名は敵のすぐ近くに居たらしく、隠密を解いた途端、その先陣の数十名へ奇襲する。
それを皮切りに、ビルの室外機を足場にしていた組や、(気付いていなかったけど)バルコニーから降りてきた組など、恐らくは敵と同数くらいの味方が一斉に飛び降りて会敵する。
一方で、私達は少女の3人組と共に、会敵することなく合間を縫ってクマキ族を捜索する。
しかし、しばらく経ってもクマキ族らしき気配どころか、ハムバの気配がする違法魔法石すら見つけられずにいた。
そこへ、1人の別の少女がやってくる。
その少女は、きっと3人組のメンバーだったのだろう。少女たちが集って数度ほど会話を交わし、その結果を代表して隠遁の上手い少女が教えてくれた。
「違う集合場所があったようです。そちらには妖怪の気配があるそうです」
「先に行きな!」
振り返れば、1人の女性が敵を蹴り飛ばして呼吸を整えていたところだった。
「そっちにも一緒に行ってやりたいが、こっちと合流されたら面倒になる。それに会話で平和的に解決できるなら、それに越したことは無い」
「中には、まだ間に合う人も居るかもしれないし、ね」
今度は違う方面から声がしたので振り返る。
その人の顔は見えなかったし、その人と会敵している相手は組み敷かれてはいたものの、両手を上げているようにも見えた。
少女に案内されたのは、かなり広大な敷地の公園だった。
周囲に木々はあるものの、疎らだったことに加えて私達の情報を得ていたのだろう。目が合うなり相手から襲って来る。
狙われたのは少女たちだったけど、3人掛かりで敵を沈めていた。
「バレたね」
手伝わなかった少女が呟けば、公園からぞろぞろと、まるでゾンビのように真っ黒い瘴気に覆われた何かがこちらへ向かって来る姿があった。
「完全に呑まれてるじゃん」
「もう手遅れじゃん」
恐怖に感じたのか少女の2人が呟いたが、サムだけはじっと黒い集団を見つめていた。
だが、諦めた様子で溜息をつく。
「私らを見て一瞬立ち止まったから、もしや、と思ったが――アレはもう、ダメだ。恐らくは違法魔法石を体内に入れてしまっているし、瘴気による周囲への汚染も始まっている」
「ちょ……こ、殺しは、」
「未経験なら、貴方達は戻って応援を呼んできて下さい」
サムの判断に私は同意し、代わりに少女たちを逃がすための言葉を発した。
黒い仮面の場合は、殺しても肉体は残らないので殺人にはならない。
違法魔法石の場合は、殺したら当然、肉体は残る。また違法魔法石を抜き取る時に汚染される危険もある。
そうこうする内に、黒い集団はこちらへ向かって走り出す。
「さあ、行って!」
少女たちが唇を噛んで消えた直後、先頭のクマキ族がサムへ、私へと襲い掛かってくる。
流石は悪魔と妖怪のハーフ、その馬鹿力で誰もが私達を潰してしまう魂胆だったのだろう。
だから、サムはクマキ族を足蹴に上空へと飛び、私は地面のアスファルトを思い切り叩く。
足元が揺れ、ヒビが入り、道路の下にあっただろう水道管がズレたのか、水が噴出する。
「(あ、これ、マズイの壊した気がする)」
一瞬ヒヤリとしたが、知らずに壊してしまったモノは仕方ない。
それに噴水までは狙っていなかったものの、サムは水を浴びることで強化される種族ゆえ、クマキ族の後頭部に着地した勢いで首の骨を折ったらしい。嫌な音がした。
運が良いのか、悪いのか。
公園の出入口はクマキ族が1~2名ずつくらいしか出て来られない様子。
おかげさまで、ほぼサム1人で全ての相手をしてくれた。
その間に私がやったのは、体内から違法魔法石を取り除くこと。
石神と自覚したからなのか、違法魔法石がどこに根付いているのか手に取るように解っていたので処理は難しくなかった。
結局、黄色いスカーフのクマキ族は全滅した。会話できる者は誰1人も居なかった。
また、呼んでもらったはずの応援も間に合わなかった。味方は遠方から様子を伺ってくれるものの、誰もこちらへは近づこうとしない。
だから、全ての処理を終えて夕方になった今もまだ、誰もこちらへは来ていなかった。
死体だけがゴロゴロと残っており、野次馬も増えている。
もしかしたら殺人事件として処理されるかもしれないが、それは仕方ないことだった。その覚悟も出来ている。
―― しかし、警察すら来ないのは、何故なのか。
不意に、その野次馬が道を空け始めた。
何事かと見つめていれば、そこに白雲運河と思われる、真っ白い獣が姿を現す。
白雲運河は黙ったままこちらへと近づいてきた。
そして死体を検分し、私が持つ違法魔法石が入った袋を見、理解したのか周囲に結界を張ってくれた。
これで酷い臭いが巻き散らされて吐いてしまう一般人が減ることだろう。
『その魔法石はどうするつもりだ?』
『この中には、研究所から持ち出されたモノも含まれていると思います。だから分別した後で、決めるつもりです』
テレパシーで尋ねられたので、同じ手段で返答する。
質問された内容は、予めサムと話し合って決めていたこと。
『こちらを渡すことで、私達の刑が軽くなるならお渡しします』
すると、白雲運河は何故か額辺りに手を当ててガハハと豪快に笑い出す。
思わずサムと目を合わせれば、白雲運河は笑うことを止め、私達の頭へ手を置いた。
『彼らの処分は我々が決めたこと。そして、君達は我々を手伝っただけのこと。その魔法石は一旦こちらで検分のために回収させてはもらうが、国外から持ち込まれた魂は祖国で処理するべきだろう』
サムは何かに気付いた様子だったけど、私は首を傾げてしまった。それでも、手にしていた袋は白雲運河へ突き出している。
カオルから渡されていた瘴気を遮断する袋とはいえ、違法魔法石の量が多いせいか、袋からかなりの瘴気が漏れている。正直、石神の力で汚染を防げていても気持ち悪かったから、さっさと渡せるものなら渡してしまいたかった。
白雲運河はにべもなく袋を受け取り、言葉を続ける。
『確かにお預かりした。このような嫌な役目を担わせてしまい、申し訳ない。協力に感謝をする』
『……舟山のこと、異国の犯罪者のこと。白雲運河であれば、事情もご存じのはず。それなのに、どうしてこちらへ協力をして頂けないのでしょうか?』
白雲運河の謝罪に対し、私は悩んだ末に尋ねた。
頭を上げた白雲運河は返答に悩んだのか、しばらく経ってから阿修羅語を口にする。
『聴かれたくない者が居るので、貴方達の言語で返しますが』
綺麗な美声だったので驚いたが、白雲運河は続ける。
『私達にとって、貴方達の存在はイレギュラーです。そして、今回の抗争による被害もイレギュラーです。私達がこの国に集っているのは、あくまでもレギュラーをレギュラーのまま維持するため。イレギュラーに関しては、任務内容に含まれていません』
『つまり、今日のことは白雲運河の仕事の範疇だった、という認識で合っていますか?』
『はい』
きっと嘘はついていないだろう。もちろん、本当の所を話してもいないだろうけど。
『でも、私達が関わったことで、レギュラーからイレギュラーになったのではないですか?』
『そういう見方も出来ますが、間接的な影響しか出ないよう調整した結果が今日の出来事です』
何となくは理解した。
つまり、イレギュラーの黄色いスカーフ族は、白雲運河の任務にも直接的な影響を与えそうになっていた。だから白いバンダナ族という下っ端集団に適度な権限を与え、同じイレギュラーである私達を利用して抗争を終結させた。
逆を言えば、ハムバが属性神へ奇襲するようなイレギュラーでも起こらない限り、白雲運河は舟山の事情へは関与しない、ということだろう。




