1.53 世界の淵にて
サクラ・ユキは、満天の星空が煌めく、宇宙空間に浮かんでいた。
「――――?」
そしてすぐさま其処が宇宙ではない事が分かった。足元に目に見えるものは何も無いし、ふわふわとした無重力感はあるのだけれど、何故か不安定に浮いている感じではない。言葉に表し辛い事だったが、「自分自身の足で立っている」ということをユキは感じていた。
それにもし、本当の宇宙だったらこんな風に意識がある筈もないし、こんな疑問も抱かないまま、とうに苦しんで死んでいるだろうからだ。
続いて分かる。星空に見えるモノは星じゃない。ユキは直感で分かり、目を凝らす。
再び海より深く空より澄んだ、美しき蒼色の瞳で。
莫大な霊子の塊。大小様々な光一つ一つが独立した霊子の結晶体だった。
――あれ、それぞれが全部、『現世』なんだ。
じゃあ、とユキは背後を振り向く。まるで本やテレビで見た地球のように青白く綺麗に輝く巨大な光の大地。ここから見たら平面に見えるこれこそが。
――僕の居た、世界。
様々な感情が渦巻き、何か言葉を発しようとした瞬間、
――パァン!!
ユキの目に、激しい火花が瞬いた。遅れて右頬に鈍い痛みが走る。
「……ぅあ」
思わずすっ転びそうになるのを耐え、涙目になりながら前に向き直った。そこには、
「――あなたは」
ユイが居た。
「自分が、何をしたか分かってるの?」
先程漸く見れた笑顔から一転、この世で最も恐ろしく畏怖の念を抱かせるであろう、完全な怒り顔を浮かべながら。
ユキは目を白黒させながら、先程の衝撃がユイのビンタによるものだと理解する。痛み自体はすぐに引いた。むしろ叩いたユイの左手が心配になる程ガクガク震えていた。
「――まだ、まだ間に合う」ユイは両の手でユキの肩に掴みかかる。
「まだ、因果律線が切れてから間もない。すぐにあなたの霊子核をあそこと繋ぎ合わせれば戻せる。急いで、今すぐに! 私の全霊子使ってでも――――!!」
これまでに無い程焦燥に駆られたユイはまくし立てながら由紀を引っ張る。しかし、
「――いい、いいのこれで!」
当のユキに激しく拒絶された。ユイはついに叫んだ。
「何も、良くないわよ!!!!」
ガクン、と思わず仰け反る程の衝撃だった。しかし、ユキも譲らない。
「……ユイに、大切なお願い、あるの。聞いて」
息を荒げ怒れる表情のユイに、真剣な視線で告げる。
「僕を、ユイのアラヴォにして。カノヨビトとしてユイを手伝わせて。そして、『楽園』ヱディ・カナディアを一緒に目指して……結実を、取り戻すために」
「何を。何を、言ってるのよ……!」
ユイは思わず頭を抱え込んだ。彼の思惑は、最悪な形で彼女の予想通りだった。
「神城結実は死んだの! 殺したのは私! もう蘇らないし蘇ってもいけない。……やはり償えというなら今からでも死ぬから、八つ裂きにでもすればいいから、私をあなたの好きにしていいから……だから、お願いだから」
声を震わせて、ユキの胸に頭を押し付け、ユイは呻き叫ぶ。
「そんなの!……そんなの、誰も、誰も望んじゃいない事なの!!」
無音の『彼世』に、ユイの悲痛な声が遠くこだました。
そんな彼女を前にして、ユキは不思議なくらいに落ち着いていた。振り払うでも無くユイの手を取り、静かに言った。
「――僕が、望んでるの」
「……っ」
声は静か。あどけない少女のような表情もいつも通り穏やかだった。なのにそこには、それまでらしくない喚き声を上げていたユイを黙らせる圧があった。
「……それにね、ユイ。僕、結実を蘇らせたいわけじゃないの。ちょっと違う」
「…………何を」
「あの日。結実が死んだ日にしてた約束。知ってるでしょう?」
それは、神城結実の誕生日の日の約束。『神城の大桜』の前で結実が自分に何かを伝える筈だったのだ。
「それを、僕は聞けてない。……だから聞きに行かなくちゃいけないの。それが願い」
「――――っ! それ、は……」
「それだけじゃないよ。もう一個。僕、我儘だから」
遮り、ユキは告げる。
「これも言ったでしょう? あの日、僕も結実に、言いたい事があったの」
それは終ぞ言い出せなかった、きっとありふれた簡単な言葉。
「だからそれを結実に伝える。それが僕の、『幸せ』に繋がる最大の願い」
既に手遅れ、閉じてしまった筈の自分の『幸せ』。その先を目指す為に。
一番の罪を背負い、自分の全てを懸けよう。
「――佐倉由紀は、この世の全てより、何よりも、神城結実を愛してる」
静かに響き渡ったその言葉。今度はユイの方が呆然と立ち尽くす側だった。
「――あな、た。あなた、そんなこ、言葉の為だけに。……あなた、は」
フラフラと、あてどなく彷徨う。動揺しきった紅い瞳は眼前に輝くユキの『現世』の世界を映し、そしてそれ以上に傍に立つユキの蒼い瞳と重なった。
「お願い、ユイ。僕を、連れてって」
「…………………………」
駄目押しの言葉に、直ぐには答えない。背を向け、ユイはどうしようもなく項垂れる。
時間にして一分だろうか。体感ではもっと長く感じた。しかしユキは静かに待った。
やがて、ユイは口を開く。
「…………それが、あなたの『幸せ』になるの?」
弱弱しく掠れるような声だった。由紀はそれに力強く答える。
「うん」
「………………………………わかった」
長い沈黙の後、ユイは振り返りユキに向き直る。元の無表情な顔だった。
「これは、ただの約束じゃない。――契約よ」
ユイは静かに左手をかざし、ユキの胸に押し当てる。そして彼の『全て』を見定める。
「――――誓いを、ここに」
ユキのすがたを見つめる。少女よりも愛らしく少女らしい、小柄で華奢な少年の姿。なのに自分を見つめ返す瞳は、カノヨビトになり美しい蒼に染まってしまった瞳は、強く揺るぎない覚悟の意志に満ちている。存在の証。
ユキのいのちを感じる。手のひらから伝わるトクン、トクンと小さく震える心臓の鼓動音。呼吸、そしてじんわりと伝わるこの子の体温。とてもか弱く頼りなさげなのに、どこか安心させる穏やかな感触。生命の証。
ユキのにおいを感じる。香るのは、菓子のように甘く情欲を駆り立てる程に魅惑的で良い匂い。霊子核を通じて感じるのは、舌が蕩けそうになる程甘美で芯から自身を満たすだろう、濃くて美味い霊子の味。価値の証。
そして、ユキの霊子核の、「その先」――。
やがて、ユイは言葉を紡ぐ。
「――汝、其処に在り。故に我、此処に在り」
「――!」
ユイの短い言葉に呼応するように、ユイの手のひらとユキの胸、二人を繋ぐ場所を基点に、互いの霊子が光り溢れ出す。やがてそれらは線状となって複雑に絡み合い、ユキの故郷たる巨大な『現世』が見守る中、二人を覆い、繋ぎ止める。
私からあなたへ
今 この間にありしは 我と汝のみ 天地無く 人理無く 故に是非も無し。
然れども 汝其処に在り 故に我此処に在り それ唯一絶対の理と成す
我が魂に刻むは 汝の魂の欠片 我が裁定の剣と成らん事を
我が魂に刻むは 汝の魂の欠片 我が原罪の杖と成らん事を
此処に誓約を
光照らす世も 闇満ちる世も 生きる時も 死す時も
我が命運尽きるまで この身汝に捧げん事を
汝、其処に在り。故に我、此処に在り。
ユイが発した祝詞によって、辺りに散りばめられた霊子は霊子術式の列となり、力となってユキの身体を駆け巡った。そして目には見えない、しかし確かに繋がったユイの魂の形をユキは感じ取った。
「……私の裁定の使命、それをあなたにも背負って貰う。その代わり、あなたの『幸せ』の為に、私はただ一人の『私』として『あなた』に全て捧げる。その為に、共に在ろう」
それが、契約。
「――――僕も、誓う。……一緒に行こう」
それは、果てしない『想い』の物語。
ただ一人の『想い』を知り、ただ一つの『想い』と伝える為に旅立つ少年と、
悠久無限の時を生き、ただ一つの『想い』の為に、一人在り続けた少女の話。
途切れた筈の因果の導きによって絡み合った二人の行く末は、まだ誰も知らない。
彼らと彼女らの旅は、始まったばかりなのだから。




