1.46 ユリスとアリア
死の音がする。
瓦礫と黒煙が舞う中でユリスはぼんやりと空を見る。地面の冷たい感触を頭に、同時に胸元に火を噴くような熱さを感じる。事実、ぽっかり大きな風穴が開いていた。
――まだ、だ。
まだ死んでない。なら死ねない、止まれない。例え四肢がもげようが穴が開こうが、この魂には多くの者達の願いがあるのだから。
血と霊子を撒き散らしながらユリスは翼がもげた鳥のように必死に這いずり、立ち上がろうとする。その際、視界の端に見慣れた使用人服の姿を捉えた。
「……………………アリ、ア」
幼少の頃から実に数万年、自分の我儘に付き合い、支えてくれたあのメイドに対し睨みつけ憎悪を向けるだなんて、今まであったろうか。
だが、そうせずにはいられなかった。どうして? あともう少しで、僕は『神』になれる。皆を救える。皆に償えるというのに。本当に、
「……何で、だよ」
「もう、終わりにしましょう。ご主人様」
「何、言ってんだよ!」
もう、取り繕う余裕も無い。子供のように喚き出る呪詛に、アリアはただ黙って悲しげな表情で立ち尽くす。
アリアの背後でふわりと舞い降りるものがあった。抱きかかえられる形で現れたのは佐倉由紀。抱きかかえるは戦意の気配を収めた『桜華の亡霊』。『鍵』と、『裁定者』の姿。
「ユリスさん」
ユリスは悟ってしまう。この場にいる自分以外の全て、既に戦いが終わった顔をしているのだ。自分の願いが挫かれ、『楽園』への道が閉ざされたと。
「――っ! まだだ!」
そんな目で見るな。ユリスは叫び懐から銀色のナイフを取り出す。由紀も知る、彼がただの人間だった頃から持つ、彼自身の『自我』の象徴。
術式はまだ残ってる。発動させる霊子自体もそこに十分。『鍵』となる由紀も健在。ならば無理矢理でも奪い取って。まだ、まだ。
まともに走る事さえ出来ない体を持ち上げ、ユリスはナイフをかざして半狂乱となって由紀の方に突っ込む。その時、
「……ぅ」
ユリスの行く手を阻み、或いは泣き喚く幼子をあやす母親のように抱き止めたのはアリアだった。ユリスが突き出したナイフがわき腹を裂き、アリアは苦悶の表情を浮かべる。
「な……っ!?」
「……痛い、ものですね。ユリス」
なのにアリアは何故か微笑む。思いがけない事につい「ごめ……」と言いかけたユリスは今更ながら気づく。アリアの方も酷い負傷だった。何時も自分の服と合わせ手入れを欠かさないメイド服はボロ布の様。カノヨビトでも当分動けない程の重傷だった。
「だけど、貴方の痛みに比べたら。ずっと傷だらけだった、貴方に」
それでも彼女はユリスを放さない。血が流れ出て、呼吸も乱れているのに。
「まるで……あの日の様」
そんな状態でアリアは思い出に浸るように笑う。ユリスの背を優しく撫で、彼の全てを労い癒そうとするように。
「貴方は、こんなになるまでずっと頑張ったんだものね? とても凄い、凄いわ。統治者だった誰もが霞んでしまうくらいに。……私の、自慢のご主人様」
「な、にを」
ユリスは困惑していた。アリアの言葉にも、その言葉を聞いてどこか落ち着き安らいでいる自分がいる事に。こんな土壇場でそんな自分は有り得ない、筈なのに。
「だ、駄目だ。まだ、僕は何も出来てない。償えてない! 『楽園』が、必要なんだ」
「……それを為したら、貴方は消えてしまうわ。分かっているでしょう? ユリスは、私の事すら分からなくなっても平気?」
「それは――違、でも、なん……」
分からなかった。どうして今になってアリアはこんな事を。まるで昔みたいに――。
「私は、ユリスに忘れて欲しくない。勿論私もユリスが消えるのは嫌、傍にいさせて欲しいわ。……ずっと言いたかったの。貴方を一人にしたくなくて、ううん、怖くてずっと言えなかった。でも言う。私はユリスに『楽園』になんてなって欲しくない」
「……でも、皆が。皆の居場所」
アリアはゆっくりと首を振り、ユリスの手をユリス自身の残った胸の方に当てさせる。
「今一度、良く聞いてあげて。――皆、貴方が手を差し伸ばしてくれた時にもう、救われてる。他でもない、貴方に。本当はそれだけで良かったの」
呆然とした表情でユリスは精神を研ぎ澄ます。霊子核にある魂達、術式の中で揺蕩う魂達、先の戦いで散っていった魂の残滓までも。
全てが、ユリスに優しく微笑んでいた。
「僕、は……」
「お願い、ユリス」
アリアは微笑む。その瞳に一筋の涙が零れた。
「もう、お終いにしましょう。貴方は既に成していたの。だから残りの時間は私と――」
――――――――――――ダメ、だ。




