1.44 決着
霊子核が軋む音がする。
恐ろしい程の痛みと麻痺感に駆られながら、ユリス・フォン・アドラヴァイスはやっとの思いで体を起こし、立ち上がった。
我ながら、随分無茶をした。元居た場所から随分吹き飛ばされている。相手の反撃の強さも加わり予想以上の霊子爆発が起きた。一番に守るべきメインホールまでに被害をもたらしてしまった。
――いや、アリアが居るんだ。それ以上に安全な事は無い。
苦痛に顔を歪ませながら自身の身体を見る。利き手をかばった所為で左腕が丸ごと消し飛んでいた。胴も足も痛々しく赤い血と青白い霊子の粉を撒き散らしていた。
満身創痍もいいところだった。しかし、ユリスは血を流しながら口元を歪ませる。
「……僕の、勝ち、だよ」
そう言葉を投げかけた先。直前まで自身と彼女が相打った場所に、ユイは居た。
霊子と黒煙が燻る中、爆発をまともに受けた彼女は、全身を大きく負傷し赤い鮮血の筋を幾つも垂らしていた。上着もコートも焼けこげ雪のように白い素肌が見え隠れする。
「……………………」
それでも尚、血よりも紅く美しい双眸は戦意の輝きを喪ってはいなかった。大きく裂けた足でゆっくりと踏み出そうとする。だが、動かない。
「――――?」
「無駄だよ、幾ら貴女といえどすぐには動けない」
ユリスの勝利の確信は彼女自体の状態ではなく、彼女に巻き付く霊子の鎖だった。
爆発の直前にレベッカの霊子核から放たれた虎の子の拘束術式。仕掛けたユリス本人が死にかける程の大爆発を受けながらそれを防ぐことはユイでも不可能であった。
「学校で貴女に仕掛けたものよりずっと強力な奴だ。数億人分の霊子を練り込んだ鎖はどんな怪力でも技でも数分は解けない」
そう宣言しながら、ユリスは内心戦慄していた。鎖を通して伝わる彼女の抵抗。恐ろしい事に既に抜け出しかけていた。数分なんてとんでもない、恐らく十数秒もすれば――。
――なんて、力だよ。
笑うしかない。これだけ力を尽くして漸く得られたのが数十秒の隙。
だが、この場面においてはそれで十分だった。
「これで、終わりにさせてもらうよ」
余韻に浸る間は一切無い。ユリスは残った手で剣を振り上げ、膨大な霊子を込める。
「貴女なら、これでも死にはしないだろう。だが暫く眠ってもらう。……僕らの『楽園』最後の障害にして、我ら『彼世』の、美しき裁定者よ!」
胸の高鳴りが抑えられない。我が霊子核に身を寄せる人々にもこの歓喜を感じていてくれるだろうか。
ユイは、それでも無表情を崩さない。ガシャン、ガシャンと雁字搦めにされた鎖への抵抗音だけを響かせながら、目の前のユリスを見据える。
「……………………」
眩いユリスの霊子が眼前に広がる。ユイは声を上げるでもなく、しかし何かに想いを馳せるように、初めて敵から視線を背け目を瞑った――。
その時だった。
「――――――――――――――――ユイ!!!!!!」
「――――っ!」
閉じかけた赤色の瞳がカッと開いた。ユイはその声の聞こえた方へ一瞬の間もなく顔を向ける。ユリスも幾許か遅れて同じ方向へ。そして絶句した。
「なっ…………!」
黒煙がもうもうと立ち昇る廃棄区画の端、一際大きい送電鉄塔の先に、彼は居た。
佐倉由紀は、目も眩む鉄塔の頂上にしがみつく形で立ち尽くしていた。
下は見ない。気を失いかねないからだ。自然と足がガクガクするのも必死にこらえながら、由紀はただ一つ、ただ一人の少女を見据える。
目を開きこちらを見つめ返す、自分を助け、自分の大切な人を奪った筈の少女を。
――ユイ。
きっと声は聞こえない。何をしているのかすら分からないのかもしれない。
それでも、由紀は今できる精一杯の笑顔と共に、ユイに言った。
「――――大丈夫。……信じて」
「――――――――っ!?」
由紀はそのまま目を閉じ、思い切り鉄塔の足場を蹴った。当然小さな体躯はそのまま黒煙舞う宙の中へ。そのまま自由落下を開始する。
――あの子は、本当に。
声は、聞こえていた。何故だか分からない。あんなに遠く、かき消されてしまいそうなのに。しかしユイはそのまま静かに一度力を抜き、全ての力、霊子を左腕のみに集中させる。ここだけ早く動けばいい。極めて冷静に。
だが、由紀の声はユイにしか聞こえていない。それが大きな違いだった。
「駄目だああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
何故彼があそこにいる? 何故彼は飛び降りている? 何故、何故。
そんな事はどうでもいい。今、彼があのまま落下して地面に叩きつけられたらどうなるか、即死するに決まっている。死んでどうなるか。輪廻転生の理に従い他の何者かに生まれ変わるか、天国や地獄と喩えられる場所に移るのか、それとも世界の中心に還元されて無に帰するのか。それは『現世』によって異なる。今のユリスには分からない。
唯一つ言えるのは、彼が死ねばこの『現世』を開く鍵の役割が果たせなくなる。心血注ぎ完成間近までこぎつけた『創世』の術式は、二度と発動しなくなる。
そうなれば――僕は。――皆は。――――は。
「うおおおおおあああああああああああああ!!」
かなぐり捨てて、ユリスはがむしゃらに鉄塔へ駆ける。剣も放り投げ、ただ由紀の元に前へ、前へ。
――――ダァァン!
「――――――――あ?」
耳をつんざく音と共に走る衝撃、そしてガクンとユリスの身体から力が抜ける。間の抜けた顔で自身の身体を見る。右胸にあたる部分がごっそりと吹き飛んでいた。
「…………ぅ、あ」
空中を駆け上っていた筈のユリスは、そのまま欠けた木の葉のようにひらひらと地面へ落ちていく。その視界の端にあったのは。
落下していた筈の由紀を覆う巨大な白い霊子布。そして拘束を破り彼の元へ駆けつけた桜の少女とすれ違う形でこちらへ飛んでくる、愛おしいメイドの姿だった。




