5.令嬢は騎士団長の子息と近付きました
望んでなどいないしできれば関わり合いになりたくないのに
学園の授業は数多くあるが、貴族階級のみ受ける事の出来る授業の一つにダンスがある。社交界では男性のリードを受けながら女性が華麗に舞う、いわば華。その為の技術を磨く授業という事なのだが、貴族に生まれれば、それも高位になればなるほど幼い頃より家庭教師から学ぶ為、ダンスの授業はある意味息抜きとなる。
それはさておき、イザベラは己のパートナーを見上げてそして視線を逸らす。何故、リディック・ハルザールなのだろうか。ハルザール家は騎士団長のウェイヴの武勲により子爵の位を賜った貴族である。古くより続く伝統ある血筋ではないが、現在の平和を維持できているのは間違いなくウェイヴの功績があってこそ。国王陛下の覚えも愛でたく、しかしそれに驕る事がなく堅実に勤めているというのはイザベラもよく知っている。その子息であるリディックは父親の教育のおかげなのか、ともかく他人に厳しいがそれ以上に己に厳しい。ダンス一つにしてもミスは許さないと言わんばかりの勢いなのだが、正直な所それがとてもきつい。武人としての立ち振る舞いは立派だが、貴族としてならば少し余裕がないというのがイザベラの彼に下した評価である。
なので、思わず言ってしまうのだ。
「リディック様、もう少し柔らかく踊りませんか。余りにも硬すぎてこれではダンスではなく別の何かです」
燃える様な赤髪は戦場に立てばさぞや映えるのだろうが、ここは学園だ。そして今はダンスの授業だ。他にもパートナーになりうる相手がいたのではないのかと思わないのでもないが、公爵家令嬢という肩書きを恐れたのか誘いはなく、残り者同士で組む事になったのは何とも言い難い気持ちになった。リディックの厳しさは入学したその日から周囲にはそことなく感じられたらしく、リディックへ積極的に話しかける様な令嬢はいなかった。だからと言って無視をするわけでもない。ただ、話しかけにくいだけで声を掛けられたら返事をするくらいには絶妙な距離感を周囲が保っていた。
そんな理由であぶれた二人がパートナーになるというのだから声高に拒絶をしたくても出来ないというのが現状だ。悲しいかな。
しかし、確かにイザベラの外見を考えてみてもクラスの中で一番つり合いが取れているのは確かにリディックではあることは間違いない。うがった見方をすればきつく感じるイザベラの華やかな外見ならばリディックのように男らしさを前面に押し出した顔立ちがバランスよくなる。少しばかり甘さがあったり、なよなよしているようでは負けてしまうのだ。
さて、関わり合いになるつもりはこれっぽっちも無かったのにダンスパートナーとして関与を強制されたイザベラは、耐え切れずに文句を言ったのだが、これにリディックは衝撃を受けたらしい。
「俺の踊りは、ダンスではない、と?」
「ええ。ダンスというのは感情を最大限に表現する踊りです。特に、男性が女性をリードしながら女性の魅力を最大限に出す事を求められます。しかし、今のリディック様は自分の事ばかりです。パートナーの私の動きなどを考えていらっしゃいます?」
フロアでは三組の男女ペアが踊っており、それを見て学ぶという名目の元、それぞれのペアが会話を密やかにしている。その中にイザベラは紛れ込みながらリディックに滔々と語り続ける。
「硬いのです、動きが。戦場ではおそらく合理的な動きを求められるのでしょう。リディック様も幼い頃よりそのように動くべきだと鍛えられているのだと思います。ですが、ダンスというのはその合理性が意味を為しません」
「そ、そういうものなのか」
「ええ。ですが、リディック様は誰よりも己に厳しくある方。つまり、探求心と克己力、困難なほど乗り越えようとされる性格だと思います。出来ないのではなく、出来るようになるまでやるという性格だと思います。ですので、私もパートナーとして、誠心誠意お教えしますので、発表会までに完璧なダンスを致しましょう」
小声で厳しい言葉の後に優しい言葉を続けたのは決してわざとではない。イザベラはリディックが努力するのは悪い事ではないと考えている。ちょろっと男爵令嬢に絆されて少々残念な事になったのは確かだが、しっかりと己がすべきことを考え行動するのだというのであれば協力は惜しまない。このダンスの授業は、最終的に発表会なるものをしてお披露目をすることになる。貴族クラスの新入生が上級生を前に踊る以上、恥をさらすわけにはいかない。
「……随分、俺の事を理解しているのだな」
「はい? ああ、リディック様は案外わかりやすいですよ。色んな事を考えているようで、実はあまり考えてない時もおありでしょう? 特に昼食の前とか」
くすくすと忍び笑いながら、イザベラは隣の席の男を注意深く観察していた。そうすると、昼食時間の少し前くらいからリディックが少しぼんやりとするのだ。そして授業が終わるとそそくさと食堂へ赴くものだから、なるほど、お昼ご飯の事を考えていたのか、ということくらいわかってしまう。
「気付かれていたとは」
「分かりやすいと申し上げましたでしょう? さて、まずはリディック様のダンスを少しずつ改善しましょう」
ホールの三組が戻り、イザベラはリディックと共に交替する形でホールへ向かう。音楽が鳴り始め、リディックが差し出した手の上に手を重ね、ホールドを確認すると小声で気になる点を伝えていく。
「肩の力を少し抜いて……そうです。そして私の動きを気にしてください。力任せではなく、足から足へ、力を適切に入れながら移動するイメージで……そう、そうです、そのような感じです」
「ふむ、中々、意識すると力が入るな」
「少しずつでいいのですよ。何も変わらないよりも少し変わる事の方が大事ですから」
堅苦しく強張った最初の頃に比べて少しずつ変化していく、それが重要なのだとイザベラは告げる。
彼は知らないだろう、イザベラの過去にしていまではない何時かの時、リディックと婚約をしていた時に踊った事など無かった。同じクラスにもならなかったし、言葉を交わしたことは少なかった。関わり合いになるつもりはなかったのに、こうして距離が少し縮まったのは恋愛感情を持とうなんて思わないから。愛そうと思ったならば、愛されたいと見返りを求めたくなる。しかし、今の関係はただの学友だ。だから期待する事はないし、何かが返ってくる必要もない。
ぎこちないながらも少しずつ改善されていくダンスは音楽が止むと止まる。くるりと回転し、スカートを抓み軽く礼をするイザベラは、リディックへ思いついたことを告げる。
「実は、私の友人のリリア様とミーア様は少しダンスが苦手で教えてほしいと言われていましたの。リディック様ももしよろしければ一緒に練習しませんか?授業の後の時間を頂くことになりますが」
「いいのか?願ってもない話だが」
「こういう時に合理的な考えをするのですよ。リリア様とミーア様もパートナーの方と踊るのに、私が一人では教えにくいではないですか。リディック様は練習がしたい、私はパートナーがいる方が説明がしやすい。ほら、良い事じゃないですか」
ね、と笑うイザベラは何処かふわふわとした雰囲気を醸し出している。リディックはその申し出に頷くと、よければ、と前置きをする。
「リドと呼んでくれ。様は不要だ」
「え?」
「知り合いから聞いた話で忘れていたのだが、ダンスのパートナーは信頼関係が必要だと。余所余所しい関係だと踊りもそれが出る。一番簡単なのは、名前の呼び方を変える事で、信頼関係が生まれると言っていた」
「そうですか……わかりました。それでは、リド、と呼ばせていただきます。私の事は呼びやすい名でお呼び下さい」
「わかった。それでは、イジーというのは許されるだろうか」
「ええ、大丈夫です」
「それではイジー、宜しく頼む」
真面目な顔をしてにこりとも笑わないリディックの内心はどうあれ、イザベラは笑顔を貼り付けながら、内心非常に荒れていた。
(どうしてこうなったの)
***
「イザベラ様が真面目な性格ですから…」
「仕方ない事だと思うのです」
学園に通う学生が昼食を食べようと思うのであれば、寮に戻り従者の作る昼食を食べるか、平民の子供のように弁当を作るか、もしくは学生食堂に来るか。食堂に掛かる経費は後ほど一か月ごとに家へ請求がなされる。金額は明記されず、どの食事が良いのかを選べば調理が開始され、席へ運んでくれるシステムになっている。食堂を利用する学生はそれなりにおり、イザベラはリリアとミーアの三人で毎日のようにこの場所を訪れている。一年生の間は朝から夕方まで基礎学習や実技演習が組み込まれている為、昼食は学園で取るのが一般的だが、二年生以降は各専門課程となり授業もある時とない時が出てくる。
ダンスの授業の後、三人は何時ものように食堂へ赴きそれぞれ注文をすると席へ腰掛ける。貴族の為の食堂だからか、平民クラスの食堂とは異なり、ゆったりとした空間が確保されており、サロンの空気を感じる。
最近の悩みであるリディックとの距離の近付きに思わずため息とささやかな悩みを零せば、苦笑と言った感じで二人がイザベラの悩みの根本ともいえるべき性格部分を指摘する。
「イザベラ様は正しく公爵家の令嬢としてあるべき姿を体現しておりますから、貴族社会で男性が恥を掻かぬように苦慮されているのでしょう?」
「リディック様のお家は騎士団勤めとはいえ子爵の位を賜っておりますし、どうしても社交界に出なければなりませんからね」
ナイフとフォークの運び一つすら、無意識に人から見られることを前提として動かしているイザベラの事だからとくすくす笑う二人にイザベラははぁ、と再び溜息を零す。
ダンスの授業だけかと思えば、あれ以降ことあるごとにパートナーを必須とする際、リディックから誘いを受ける様になったイザベラは思わぬ距離の近付き具合に戸惑ってしまう。
「リドと近付こうと思う令嬢がいればお譲りするのに」
実に本音である。出来ればいてほしい。切実に譲りたいと願っているのだが、生憎そのような行動を起こそうとする令嬢は今の所いない。
「愛称で呼び合う仲ですから、周囲もやはり気にしてしまいますよ」
まだ周囲から見れば出会ってひと月位しか経過していないのに愛称で呼び合っている二人へ配慮しているのだという事を指摘されたイザベラは、食事中にもかかわらず額に手を当て顔を机に伏せたくなってしまう衝動にかられた。そんな事は出来ないのだが。
「それにお二人はどちらも己の揺ぎ無い矜持をお持ちですからね。お二人が並び立つ姿に憧れる令嬢はいても、そこに代わりたいと願う者は出ませんよ」
最後の一口を口の中に運んだリリアはナプキンで口元をさっと拭うと丁寧に折り畳み汚れを隠した後、イザベラが目をそらしていた部分を容赦なく突きつける。食事を終えたミーアはにこにこと笑いながら頬に手を添え、うっとりとした表情でどこか別の場所を眺めた後、目を閉じる。
「麗しの令嬢を守る騎士様。まるでロマンス小説のようですね。リディック様のお家は弟様もいらっしゃいますから、イザベラ様とリディック様がご結婚されても問題はありませんし」
なぜそうなった、と思わず言葉にしそうになるもそれを抑え込む。リディックとの結婚などありえない。それを回避するために必死なのに何故そうなるのかと思わずミーアの肩を掴み揺さぶりそうになるのだが、貴族の令嬢はそのようなはしたない行動は出来ない。
「私とリドはそのような関係になる事はありません。私とて、リドは素晴らしい騎士になると思いますしなっていただきたい。そうなると、公爵位を継ぐことは無理ですもの」
宰相の父の跡を継ぎたいと思うのであれば騎士になる事は無理であり、騎士になりたいのであれば公爵家に婿入りする理由はなくなる。ユースティリア家の直系の血を継ぐ者はイザベラしかおらず、もしも彼女が王太子妃などのような上の者に嫁入りするのであれば縁戚より優秀な人物を養子にするしかないが、イザベラの元に婿としてくるのであれば宰相として学ばなければならない事は多い。以前、イザベラが婚約した時は幼かった故、その遠縁から養子を引き取って幼い頃より教育をしていたので問題はなかったのだが、今の年齢だとそれは難しい。
「ともかく、私はリドとそのような関係になる事はありません。リドもそう思っているでしょう」
食後の紅茶で口の中をさっぱりとさせる。最近、ライの紅茶をあまり飲んでいない事を思い出した。寮に戻るとライは寝支度を整えてくれるのだが、寝る前に紅茶を飲むと眠りに就けないという事で入れてくれない。休みの日とて、ダンスのレッスンをしたり、勉学に励むイザベラの邪魔にならないようにしているらしいのだが、それがとても寂しい。
(今度の休みはライと二人でゆっくり話しましょう。彼と話す時間が一番落ち着くわ)
疲れた心を少しは休ませないと男爵令嬢に遭遇する前に潰れてしまいそうだ、とイザベラはそっと気付かれないように溜息を零した。