第23話 戦場のリアルと、なんちゃって衛生兵
永禄四年(1561年)九月。
信長様から村の庇護を取り付けてからほんのしばらくしたら、俺たちの戦国ライフは新たな局面を迎えていた。
「嶺さん、ここの作付け計画なんですけど、次はカブと大根を交互に植えようと思うんです。連作障害も防げるし、冬の保存食にもなりますから」
「さすが茜さん、頼りになります!」
縁側で茜さんと二人、村の畑の計画を練る。
彼女が令和の知識を元に作った作付けサイクルのおかげで、村の畑は休むことなく何かしらの作物を生み出す、まさに金のなる木ならぬ「野菜のなる畑」と化していた。
すっかり村の農業指導員が板についた茜さんは、キラキラと輝いて見える。
時折、ふわりと香るシャンプーの匂いに、俺の心臓が妙な音を立てるのはいつものことだ。
「もう、嶺さんはおだてるのが上手なんですから。……でも、もっと褒めてくれてもいいですよ?」
悪戯っぽく微笑みながら顔を寄せてくる茜さん。この距離感! ヘタレな俺には心臓に悪い。
「あ、あの、ち、近いですよ、茜さん……」
「ふふっ、うぶだなぁ、嶺さんは。澄田ちゃんに言いつけちゃお」
やめてください、絶対にややこしくなるから!
そんな俺の日常は、平和そのものだった。
澄田さんは大学の講義が少ない時期を見計らってはこちらに来て長期滞在し、村の子供たちに勉強を教えたり、俺の無茶な計画の相談に乗ってくれたりしている。
茜さんは月に三日の転移縛りは変わらないものの、その三日間で村の農業と食生活に革命をもたらし続けていた。
二人の女神に支えられ、俺は順風満帆な戦国スローライフ(商人バージョン)を満喫していた。そう、この日までは。
「嶺さん! 大変です!」
清須の城下町から息を切らして帰ってきたのは、村の大番頭として商業部門を一手に担う大森だった。
その顔には、いつものお調子者の笑みはなく、焦りの色が浮かんでいる。
「どうしたんだ、大森。そんなに慌てて」
「武井様がお呼びです。……なんだか、大変なことになってるみたいで」
俺と大森は、急ぎ清須にある武井夕庵様の屋敷へと向かった。
通された部屋で待っていた夕庵様の表情は、いつになく険しい。
「よく来てくれた、嶺殿。実は、そなたの知恵を拝借したく、呼んだ次第」
話はこうだ。
今年五月に信長様は美濃の斎藤家に戦を仕掛け、森部・十四条の合戦で一応の勝利は収めた。 しかし、その後も国境では小競り合いが絶えず、織田方の兵士に少なくない数の負傷者が出ているらしい。
「問題は、傷を負った者たちのことだ。手当ての甲斐なく、半数以上が……。生き残った者も、傷が膿み、熱にうなされ、苦しむばかり。何か、手はないものか」
重々しい夕庵様の言葉に、俺の脳裏に浮かんだのは、令和の日本の快適な入浴施設だった。
「温泉……ですかね! 温泉に浸かれば傷も癒えるって、俺の故郷では言いまして!」
俺が自信満々に答えると、夕庵様は怪訝な顔で首を傾げた。
「おんせん……? 山奥の湯治場のことか? 負傷兵をそこまで運ぶなど、現実的では……」
しまった。この時代、庶民が気軽に温泉に入れるわけがない。俺の浅はかな現代知識が滑った瞬間だった。
「い、いえ、その……とにかく! 傷によく効く薬を用意してみます。俺に任せてください!」
半ばヤケクソでそう宣言し、俺たちは屋敷を後にした。
◇
「……というわけで、どうしよう!?」
令和の我が家に戻るなり、俺はノートパソコンを開いていた澄田さんに泣きついた。
事の次第を聞いた彼女は、冷静にキーボードを叩き始める。
「戦傷の死亡原因の多くは、傷口からの細菌感染による敗血症や破傷風ですね。治療が遅れれば、助かる命も助かりません。よもぎやドクダミには殺菌効果があるとされますが、気休め程度でしょう」
AIの検索結果も、澄田さんの見立てを裏付けていた。治療が遅すぎる。それが致命的だった。
「もう、これしかないか……」
俺は覚悟を決め、こっそりと備蓄していた現代の医薬品の箱を開けた。
中身は、広範囲に効く抗生物質の軟膏だ。
これを、よもぎをすり潰して作った「なんちゃって薬草軟膏」に混ぜ込む。
倫理的にどうなんだというツッコミは、この際無視だ。
見殺しにするより百万倍マシなはず。
翌月、俺は澄田さんと共に再び清須の傷病兵が集められた施設を訪れた。
鼻を突く、血と膿の匂い。
呻き声。
そこは、俺が想像していた戦国のイメージとはかけ離れた、地獄のような場所だった。
「嶺さん、しっかりしてください。今、私たちがうろたえても誰も助かりません」
隣で澄田さんが俺の手を強く握る。その小さな手の温もりに、俺はなんとか正気を取り戻した。
俺たちはまず、煮沸消毒した布と、持ち込んだアルコールで侍格の武将の患部を清めることから始めた。
兵士たちの「しみる!」という絶叫が響くが、構ってはいられない。
次に、澄田さんの的確な指示のもと、壊死した部分を小刀で慎重に取り除く。
そして、例の抗生物質入り特製軟膏をたっぷりと塗り込み、清潔な布で包帯をした。
破傷風の症状が出ている者もいたが、どこまで効果があるかは分からない。
それでも、やれるだけのことはやった。
数人の治療を終えた頃には、俺たちは精神的にも体力的にも限界だった。
「あとは、抗生物質の効果に賭けるしかない……」
令和に戻る道中、俺は戦というものの脅威を、初めて肌で感じていた。
◇
俺たちの「南蛮渡来の秘薬」は、驚くべき効果を発揮したらしい。
数週間後、武井様から「治療した者たちが、面白いほど快方に向かっている」と知らせが届いた。
そして、その話は当然のように信長様の耳にも入っていた。
砂糖を城に納めに行った日、俺たちは武井様に手招きされ、そのまま信長様が待つ広間へと連れていかれた。
「面を上げよ、嶺」
相変わらず、この人の前では空気が張り詰める。
凄まじい圧、カリスマ。だが、その瞳の奥には、どこか優しげな色が浮かんでいるように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
「そなたが持ち込んだ薬、見事であった。して、あの治療法、詳しく聞かせよ」
きた。絶対に聞かれると思っていた。
俺はあらかじめ澄田さんと打ち合わせておいた通り、「南蛮に伝わる『しょうどく』というおまじない」について説明を始めた。
「目に見えぬ汚れを清めることで、傷の治りを早くするという考えでして……」
「ほう、目に見えぬ汚れ、か。面白い。その『あるこーる』なる液体は、酒とは違うのか?」
鋭い。
信長様は、俺が言葉を濁した部分を的確に突いてくる。
「さ、さあ……南蛮の商人から聞きかじっただけで、詳しくは……」
「そうか。まあ良い。効果があることは、この目で見た者たちから聞いている」
どうやら、なんとか逃げ切れたらしい。
信長様は俺たちの治療法を疑うことなく、今後の戦での協力を求めてきた。
ここで俺の中の商魂がむくむくと顔を出す。
「はっ。でしたら、この薬を我が村で作らせていただき、織田家に納めさせていただきたく。また、負傷者を専門に手当てする部隊……そう、『えいせいへい』を組織してはいかがでしょう?」
「衛生兵、だと?」
「はい。戦場で傷ついた者を迅速に手当てし、後方へ送る専門の兵です。助かる命が増えれば、兵の士気も上がりましょう」
俺の提案に、信長様はニヤリと笑った。
「気に入った。その衛生兵、そなたの村の者たちでやってみせよ」
こうして、俺は半ば自ら墓穴を掘る形で、村の者たちを率いて戦に参加することが決定してしまった。
村に戻った俺は、早速山窩の男たちを集めて衛生兵としての訓練を開始した。
幸い、彼らは俺が教えたスコップを使った戦闘術を習得しており、自衛戦闘くらいはこなせる。
「いいか、まずやることは塹壕掘りだ! スコップで穴を掘り、土嚢を積んで、簡易的な野戦病院を作る!」
俺の号令のもと、男たちが慣れた手つきで地面を掘り返していく。
さらに、澄田さんが先生役となり、より専門的な訓練が始まった。
「これは縫合針です。いいですか、皮膚を縫い合わせる時は、こうやって……」
澄田さんは、山で狩ってきた猪や鹿を教材に、手際よく縫合の実演をしてみせる。その姿は、まるで歴戦の軍医のようだ。
大学生の女の子がやることじゃないと思うが、本人は歴史の再現だとやけに生き生きしている。
俺たちの目標は、直接戦闘に参加することなく、後方支援で手柄を立てること。
この衛生兵部隊が成功すれば、村の男たちを危険な最前線に送らずに済む。
俺たちの進むべき道が、少しだけ見えた気がした。
そして、運命の永禄五年(1562年)がやってくる。
信長様は、尾張統一の総仕上げとして、長年対立してきた犬山城主・織田信清との戦いを決意した。
その知らせは、清須にいた武井様からもたらされた。
「嶺殿、大森殿。犬山城攻めに先立ち、支城である楽田の砦を落としたい。ついては、そなたたちに頼みたいことがある」
夕庵様が俺たちに託したのは、武力による攻略ではなく、「調略」という名の、水面下の戦いだった。




