護り神(もりびと)と大太刀
騎馬も人間も向かう先はわかっていた。ゆえに騎手は騎馬の手綱を握っているだけでよかった。
夜半、畜舎から連れ出したのはその夕方にスー族の戦士二人が連れてきた野生馬のうちの一頭であった。
新しく加わった十頭には「蔵王」、「浅間」、「妙高」、「金峰」、「白山」、「生駒」、「那智」、「吾妻」、「石鎚」、「九重」と名付けられた。
選んだのは新しく加わり「金峰」と名付けられた金色の毛色の馬だ。調教前の馬だが甥と同じくあらゆる動物と心を通わせることのできる厳蕃に調教の有無は関係ない。
その新しく加わった金色の馬に頼むと快く乗せて連れていってくれるという。馬銜だけは装着させてもらう。嫌がることなく受け入れてくれた。背には毛布を置いてそれに跨った。
野生馬だけあり夜もたいして怖がりも迷うこともない。一直線に目的地に向かって疾駆した。その速さは驚くほどだ。地を蹴る躍動感が凄い。騎手は蹄鉄のことを考えた。ドン・サンティスに蹄鉄師を紹介してもらわねば・・・。
騎馬にすべてを託して騎手は馬上ずっともの思いに耽っていた。
自身の得物はすべてを伝えただろう、すべてを。その為に託したのだから。
あの子はどう感じただろう?どうするだろうか?
あの子のくないからすべてをきいた。ゆえにあの子にもこちらのことをきいてもらわねばならない。
義務ではない。叔父として、同族の剣士として必要だと思ったからだ。
それが自己満足にすぎぬことも承知している。
わかってはいるのだ・・・。
すでにその領域に入っていることはわかっていた。
「ありがとう、先にいっておくれ」
騎手が飛び降りながらいうと騎馬は鼻を鳴らして了承の意を示し走り去った。
枯れ林だ。み通しは悪くないものの先ほどまで煌々と大地を照らしていた月は雲に隠れてしまって暗くなっている。
が、たとえ闇であっても苦にならない。
無腰である。なぜなら、愛刀は甥に託しているからだ。
そのときなにかが飛んできた。朱雀かと思ったが朱雀はスー族の戦士と戻ってきていた。その朱雀から教えてもらったことがこの夜行の要因の一つなのだ。
飛んできたものを反射的に掴んでいた。九本しかない両の掌が掴んだものは長い太刀だ。
「お待ちしておりました」わざと発している気の持ち主が声を掛けてきた。
「ずいぶんと待たせたか?「柳生の大太刀」を遣っていたはずの息子はどうしている?」
「「柳生の大太刀」の試練が生半可ではないことはあなたもご存知のはずです。心身ともに傷つき疲れ眠っていますよ、あなたの息子は」
「そうか・・・。やはりおまえが与えているのか、その試練を?」
厳蕃はなんの拵えもない鞘を撫でながら呟いた。会話している相手は姿をみせない。だが、その声音でだれと話しているかはわかる。
「ええ、試練を与える側の資格がわたしにはありますので。なにせわたしは死んだことがありますから」短い笑声がつづく。
「ずいぶんともったいぶっているな。わたしの「村正」はいろいろと話をしてくれたであろう?」「ええ、真にたくさんのことを。もっとも、そのほとんどが罵倒でしたが。あなたの伴侶はよほどあなたを愛しているのですね」相手が心底おかしそうに笑っているのをききながら、「村正」の持ち主も皮肉な笑声を漏らした。
外套を羽織ってきているがいらなかったようだ。額と背筋で汗が噴出し、それぞれ流れ落ちてゆくのを感じる。否、それはけっして陽気のせいではない。日中は気温が上昇するが夜半には急激に下がる。実際、ここに到るまでの馬上は寒かった。
冷汗・・・。これから起こることに対しての不安がそう感じさせているだけなのか?
「護り神としての務め以外であなたは自身が犯した二つのことで苦しんでいる。それらのことであなたは剣士であること、柳生の一族であること、人間であることすら認められずにいる」
枯れ林の奥から近寄ってくる気配がする。が、気配だけでその姿形はまったくみえない。故意にそこだけ闇を施しその姿を同化させているかのようだ。
「その二つのどちらもが感情の暴発によるもの。だからこそあなたは自身が許せないのだ」
「それがどうした?あぁそうだ、どちらも感情の制御ができず、忌々しい白き虎にこの心身を委ねる結果となった。愚かか?あぁ、愚かなことだ。それはわたし自身が一番よくわかっている」
厳蕃の掌のなかで「柳生の大太刀」が大声で叫びつづけているのがはっきりとわかる。
『抜けっ!抜いてその力を知らしめよ』と。
その叫びはしだいに大きくなっており、いまでは心奥にまでうるさく響いていた。
胸が、そして心が痛む。この馬鹿長い太刀はそれをも感じ増長させるようだ。
厳蕃は膝が折れそうになるのを必死に耐えねばならなかった。