大業物との対話
自らの頸を跳ね飛ばす前から人間だけでなくあらゆる事物から馬鹿よ愚かだよといわれつづけてきた。
ああ、それはわかっている。自身が一番よくわかっている・・・。
従弟を打ちのめしている間中「村正」もまた罵倒しつづけていた。
そのときあらためて「村正」の遣い手に対する想い入れを感じさせられた。
「村正」が妖刀などというのはとんだとばっちりだ。これだけ陽気なお喋り好きもめずらしいだろう。もっとも「村正」は頑固で一途な面もある。自らが認めた者にしか心を開かない。遣い手がそれだけの剣士だということだ。疋田家に代々伝わる「千子」の元の銘も「村正」だ。徳川家禁忌の業物として世に知られるようになってから銘を切りかえられたのだ。「千子」もまたお喋り好きだ。そして頑固で一途なところも。
「村正」はただ罵倒しつづけたわけではない。遣い手がなにゆえ自身の得物を、自身の相棒である「村正」を託してきたかがはっきりとわかった。
彼もまたあらゆる武器を遣いこなせる。一兄がいうように「腰のもの」はわが生命、と武士の慣習に囚われてはいない。譲るまではいかずとも貸すことに頓着はしないだろう。ただ「村正」を遣える剣士がそうはいないのでその機がないだけだ。
「ええ、わかっていますよ「村正」」幼子は自身の小さな左掌のなかの業物にいった。喜んでいるのがわかる。はしゃいでいるといってもいいだろう。
遣い手が近くにいるのだ、無理もない。
「嬉しいんですね、「村正」。叔父のことがよほど好きに違いありません」
『馬鹿を申すな、小童』小さな掌のなかで業物がすかさず抗議した。
「だけどいましばらくはわたしの掌となって頂きたい。あなたの遣い手を傷つけるつもりはありませんが、わたしたちには心ゆくまで対話することが必要ですので」
『獣神のいうとおりおぬしらは不器用すぎるな。それに人間ならば話し合いとやらで語り合うものではないのか?』
幼子は思わず噴出してしまった。『なにがおかしい?』「村正」が怒った。
「申し訳ありませぬ。ですが日の本一の業物から話し合いなどという平和主義的思想を伺えるとは思いもよりませんでした」
『ふんっ!われわれが人間を斬り殺すだけの道具だと思っているのではあるまいな?』
幼子は歩みを止めた。それから左腕を上げて「村正」を眼前に掲げた。右掌を柄に置きそのままゆっくりと鞘から抜いてゆく。
頭上の月は故国のそれとまったく同じだ。形も光り具合も。この夜はめずらしく雲一つなく月を拝むことができた。狼に育てられたのは生前も現在も同じことだ。だからかどうかはわからぬが、月は気を高揚させてくれる。暗殺者にとって月夜は禁忌ではあるが、辰巳にとっては月夜だろうが闇夜だろうが大差ない。それだけの技術と経験を持ち合わせている。狼の子としてはかえって月夜のほうが心地よい。
鞘から抜き放たれた刀身は月光を吸収して妖艶な光を帯びている。その美しさに幼子はしばし時間の経過を忘れてしまった。
「人間を斬るのはあなた方ではない、人間だ」
その呟きもまた鋭き刃金のうちに吸い込まれた。
『おぬしの言も人間を殺めつづけている畜生のものではないぞ、小童?だが、おぬしはよくわかっている』
業物のひどい言に幼子は気を悪くした風もない、その通りだからだ。
つねにつきまとっている想い。それは自身はいったいなんなのか?ということ。
『存分に語り合え。厳蕃が真に語り合えるのはこの世におぬししかおらぬのだから。「村正と千子」は神剣として遣われていることを喜ばねばならぬのだろうな、小さき龍神よ』
幼子は刃を自身の頬に当てた。冷たいはずのその刃は温かみを帯びている。叔父の魂であり護符だ。これほど心強いものはない。
「「村正と千子」はわれらの大切な身内だ。ともにあれることを心から感謝しています、どうか叔父を、白き虎を頼みます」
『いわれるまでもない。さぁゆけ、小さな剣士よ』
幼子は納刀すると枯れ林のなかを歩みはじめた。
歩きながら「小さきや小さな、というのはお願いですからやめて下さい」と懇願するのだけは忘れなかった。