過酷なる試練
『ずいぶんと痛めつけたものだ、可哀想に。すこしは手加減をしてやるべきではないのか、わが子よ』
控えめに表現しても厳周はぼろぼろだ。それは肉体とそれを包む衣服は当然のことながら精神も奈落の底に叩き付けられるほどの衝撃を与えられ、その所為でがき苦しんでいるに違いない。
当人は疲れ果てその場にくずおれてそのまま泥のように眠ってしまった。みるにみかねた白き巨狼が自身の体躯で包んでやった。
厳周はもはやそれもわからないようだった。
小さな掌が厳周の頬をやさしく撫でた。その掌にはつい先ほどまで白刃が握られており、厳周を一方的に打ちのめした。
それはもはや人間の、剣士の、武士のもつ技や道ではなかった。
すべてを超越したまさしく神技であり神道であった。
「あと一息なんだよ、父さん」幼子がいった。「「柳生の大太刀」の試練はそうたやすくも軽いものでもない。兄上が自身の力で得なければならない。わたしは全身全霊をもってその手助けをするだけです」
『それがこれか?この子を潰す気か』白き巨狼は自身の胸元で寝息を立てている子の一人の頬に長い鼻面を押しつけた。
幼子は苦笑した。じつに幼子らしからぬ表情が浮かんだ。
「父さん、兄上は柳生の剣士だ。それがすべてなのです。それ以上でも以下でもない。わたしは手加減などけっしてしないしそれは兄上もわかっている」
『まったく人間は面倒臭いのう・・・。あぁそうだな、偉大で強くてかっこうのいい獣の神には到底わからぬよ』
「父さんのご自身に対する評価よりかはわかりやすいかと」『最近すっかり可愛くなくなったのう、わが子よ。以前はわたしを尊敬し素直だったが。きっと毒されたのだな、そうに違いない』「なにそれ?だれに毒されたっていうの、父さん」育ての親と育て子は互いの双眸をみつめあったまま笑いだした。互いの濃く深い黒瞳の奥にみえたものは同じ小柄な漢だ。
『面倒臭いのが増えたぞ』厳周の頬から鼻面を天に向けて白狼がいった。いわれるまでもなくすでにその育て子にもわかっていた。
『この子はわたしに任せ、いっておいでわが子よ』「兄上をしっかり護ってください。けっして眠りこけないように」
『年老いた父をそう虐めるな』
幼子は笑いながら育ての父の頭を抱きしめついで兄と慕う従兄の頭も抱きしめた。
それから背に「柳生の大太刀」を背負い、左掌に「村正」を握ると育ての父と従兄に背を向け歩きだした。大雪が走り寄ってきて育ての父よりも長い鼻面を小さな体躯のいたるところにこすりつけた。鞍や馬銜を外され、まだ日のあるうちは自由に歩き草を食んでいたが、いまは人獣の傍から離れようとしない。
柳生の剣士たちの気にあてられたのだ。焚火の光で赤毛がよりいっそう赤く映えている。
『ありがとう、タイセツ。大丈夫』空いた右掌で鼻面を撫でてやると白地に黒斑の馬は焚火のほうへと戻っていった。
「父さん、いってきます」『あぁ、いっておいでわが子よ』
予見していた来訪者を迎えるため、幼子はゆっくり歩きはじめた。