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「柳生の大太刀」

「父上をさしおいて「柳生の大太刀これ」に挑戦することになるとは・・・」

 厳周は馬鹿長い太刀を胡坐をかいた膝の上に置き、焚き火からすこし離れたところで同じように胡坐をかいているをみた。

 どれほど寒くとも、幼子はある一定の距離より火に近づくことはない。それはうちなるものが水を司る龍神だから、という理由わけだけではないようだ。

 スー族の戦士たちには野生馬を連れて先に帰ってもらった。到着次第騎馬としての調教に入るだろう。

 ゆえにこの夜は厳周とその従弟、そして白き巨狼だけで野営をしていた。

 枯れ果てた林があったので落ちている枯れ木を集めて暖を取った。北上するとまだ寒さを感じる。厚手の外套コートを胸元でかきあわせ膝の上の太刀から掌を離すとそれに息を吹きかけ擦り合わせた。どうも落ち着かない。緊張と不安でいっぱいだ。その厳周の様子を火の向こう、すこし距離を置いた位置から小さながじっとみていた。厳周の父から借りた「村正」が胡坐をかいた小さな膝上を占領している。

「わたしの所為です。叔父上・・・はわたしの所為で師を殺さねばならなかった。叔父上自身それがなにより許せないのです。本来ならとうの昔に挑戦し「柳生の大太刀それ」を御せたはずなのです。すべてはわたしの所為です」

 の甲高い声音ではない。いまともにいるのが弟と呼ぶ小さな従弟ではないことに厳周は気がついた。

「わたしにはどうすればいいのかわかりませぬ。わたしこそが柳生の名を穢し大罪人。叔父上は護り神もりびととしてわたしを・・・」声音がわずかに揺れそれが不意に途切れた。声を殺して泣いているのだ。

「「村正」と対話する勇気がいまだにもてないでいます」涙声の呟きが火の向こう側からかろうじてきこえてきた。

「父もあなたも互いのことを思いやりすぎなのですよ、従兄殿?うちなるものや護り神もりびとのことは省いたとして叔父甥の関係でしょう?もっとわがまま放題甘え放題でいいのではないですか、お互いに?」

 炎の向こうでふっと笑ったような気配が感じられた。

 両者のみえる位置で白き巨狼が丸くなっている。不意にその鼻面を下弦の月が浮かぶ夜空に向けると大きな欠伸をした。それからまた丸くなった。

「わたしは叔父上だけでなくあなたにもたくさん詫びねばならない。わたしはあなた方親子に数えきれぬほどの借りがあります。それらをどうすれば返すことができるものかと考えています」

 炎の間に垣間みえる従兄の双眸は黒い。漆黒の闇のように黒くて濃い。まるで眼前の炎を遮断し拒否してしまっているかのようだ。

 その双眸はまるであらゆることをみとおすことができるかのようだ。それはうちなるものの力ではない。辰巳のもって生まれた能力の一つなのだ。

 心身ともに丸裸にされた錯覚を覚え、厳周はたまらず視線を引き剥がして膝上の大太刀へとそれを落とした。

 自身が嫉妬していることなど従兄はわかっているのだ。

 本来なら蒼き龍の依代は眼前の従兄ではなく厳周がなるはずだった。それなのに従兄はあらゆることを責め苛んでいる。そしてそれは今後も尽きることはないだろう。 

 さきほどの返さねばならぬものがなにか、あるいはどうすればいいのか?という答えはおそらくは得られないのかもしれぬ・・・。


 静かだ。静かすぎるくらいだ。野生の動物すらこの辺りにはいない。だからこそ従兄はここを選んだのだ。

 いまから行うことの為に。 

「京であなたから託され、そのあとわたしは「柳生の大太刀それ」を遣いこなすのに三日三晩かかりました。「柳生の大太刀それ」がみてきた古の剣豪たちに散々に打たれ、あるいは斬り刻まれたのです。だが、此度あなたを散々に打ち斬り刻むのは古の剣豪たちではありませぬ」

 炎の向こうで立ち上がる気配があった。厳周ははっとして相貌をあげた。

「従弟殿、あなたはわたしなどよりよほど秀でている。わたしの剣技など所詮他者ひとを殺す為に磨いてきた拙技。わたしのは剣の道にあらず、邪道にすぎませぬ」

 炎の向こう側からゆっくりと近寄ってくる。その低い囁き声は厳周の精神こころの奥底に直接沁みてゆく。同時に自信と勇気とがふつふつと湧き上がってきた。

 暗示にかけられているということを、武神と異名をとる剣豪に鼓舞されていることに気がつかないまま厳周は「柳生の大太刀」を背に負った。

「柳生の大太刀」とは、柳生宗家である石周斎からその孫であり尾張柳生宗家である利厳に受け継がれし霊剣のことである。尾張柳生当主が代々受け継いではいるが、ここ何代かは尾張藩主が皆伝を得た際に継がれ、柳生家の当主の代替わりの際に継がれていた。柳生家と尾張藩主とで交代で所持しているわけだ。じつはいまも尾張藩主徳川慶勝とくがわよしかつに継がれていたのだが、それを一旦借りているのだ。

 ちなみに現代いま、それは徳川美術館に収蔵されている。


「あなたなら御せる。いえ、自らの掌として遣うことができる」

 火の向こう側からの鼓舞はつづく。

「見事試練を越え父上を喜ばせてお上げなさい、柳生厳周」

 なんともいえぬ高揚感で厳周の心身は満たされていた。背から大太刀を抜き放った。その強大な力に不覚にもが眩み気が挫けそうになった。京で従兄に「柳生の大太刀これ」を託した際にも従兄はその気にあてられそうになったことを思いだした。もっとも、そのときには従兄とは知らず、あくまでも「いけすかない江戸柳生の血筋の者」とばかり思い込んでいたのだったが。

「気を放てっ!たかだか馬鹿長い太刀、御すのに造作ないっ!」

 炎の向こうからすかさず鼓舞された。それにより厳周は奮い立つことができた。

「その調子だ、わが従弟よ」

 ついに炎の向こう側から姿を現した。それを目の当たりにし、厳周は言と息を同時に呑んでいた。

 なぜなら、それはある意味では「柳生の大太刀」よりよほど厄介なはずだからだ。


「柳生厳周、あなたの相手はこの柳生俊厳が仕る」

 挑戦者の前に現れたのは、まぎれもなく死んだ柳生俊厳そのわらべだった。


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