「大いなる魂(グレート・スピリット)」と大精霊(ワカンタンカ)
白き頭を持つ大鷲は獲物を求めて南下していた。さすがは大空の覇者だけあり、獣神とその育て子がやってきても自身からは挨拶にこようとはせず、あくまでもこさせるような矜持の持ち主のようだ。獣神もその育て子もそれに対して気分を害するどころか面白がった。
騎馬で一日走るとずいぶんと様子が違った。周囲に人間の気配はまったくない。先の戦の痕なのだろう、広がる大地にあるのは焦土と木々だけだ。
南北戦争の爪跡はいまだこの国の到るところに残っており、恢復するにはまだ時間がかかりそうだ。
小高い丘があった。具体的には開けた地に忽然と土が盛り上がっている感じだ。
丘といっても100ft(約30m)程度の高さだ。その麓にいたったとき、頭上に一つの黒点が現れた。そして、まるで地にいるすべての飛べない種を嘲笑うかのようにゆったりと円を描きはじめた。
『おお、『大いなる魂』』スー族の戦士たちはどちらもそれはもう畏敬の念の籠もった表情でそれをみ上げている。
「鷲さん、頭の白い鷲さんっ!」
幼子はその従兄と跨っていた「大雪」の馬上で立ち上がって大空に小さな両の掌を力いっぱい伸ばした。
その背で「村正」が息を潜めている。
『わが子よおいで、会いにゆこう。朱雀、おまえもこい。厳周、おまえたちはここで待っておれ。すぐに戻る』「承知。いっておいで、坊」「はいっ!」「きいっ!」それまで厳周の肩にいた大鷹は今度は幼子の小さな肩へと移った。
幼子は元気よく返事すると大鷹を肩に載せたまま白き巨狼の背へとぴょんと飛び移った。
同時に白き巨狼は大地を蹴り疾駆した。すぐに丘の上に到る。
丘の頂に達すると幼子は土の上に降り立った。岩だ、大きな岩であることにこのときはじめて気がついた。
『わたしたちを呼んだのはあなたですね、空の覇者よ』
幼子が大空に向かって英語で呼びかけた。その肩上で朱雀もそれをみ上げている。朱雀もここが自分の縄張りでないこと、そして鳥としての格が違うことを承知しているのだ。
黒い点が円を描くのを止めたと同時に急降下してきた。それをみた丘の下の厳周はわかってはいるものの「あっ」と声をださずにはいられない。
なぜなら小動物が猛禽類に狩られる、というていにしかみえないのだ。
大空の覇者は急降下の途中で幼子の小ささに気がついたようだ。そのあまりの小ささにさしもの覇王も驚いたに違いない。仕方なく岩の上に着地するしかなかった。
『ふむ、鷲が大きいのかあるいはおまえが小さすぎるのか?』
岩の上に降り立った白き頭をもつ鷲と幼子を見比べた獣神の正直な感想だ。それにすぐさま「きいっ!」と同意したのは幼子の肩上の大鷹だ。
『正直なところ猛獣と猛禽に襲われている哀れな人間の子、にしかみえぬ』さらなる感想がつづくと「きいっ!」と朱雀の同意もつづいた。
「ひどいよ、父さん!それに朱雀っ、親友だと思っていたのに」哀れな人間の子の憤慨振りに朱雀は慌てて小さな頭を人間の子の小さなそれに擦り付けて謝罪した。
『わたしも擦り擦りしようか、わが子よ?』「父さんはいらないっ!」『可愛くないのう、まったく・・・。さあ、早く挨拶を済ませよ。さもないとこの下でおまえの兄上がおまえのことを案じすぎてどうにかなってしまうぞ』幼子はくすくすと笑ってからすぐに表情をあらため、大空の覇者に向き直った。
『大空の王よ、獣神とその育て子、それに大鷹の朱雀です。お会いできて光栄です。どうかわれらにその智慧と勇気をお貸し願います』
この子はあらゆる事物に対して寛容で低姿勢だ、とその育ての親はつくづく思う。本来なら統べる力があるにもかかわらず求めるものはけっして服従ではない。あくまでも協力だ。それ以上に与えるものも多い。たとえば生きる喜び、だ。それは人間にとっての根本、なにより大切なものであることはいうまでもない。
この子が厳しさを課し、また追従や束縛を求めるものは自身に対してだけなのだ。
白き頭を持つ大空の覇者は無言のままその白頭を垂れて服従の意を示した。幼子はそれを服従としてでなくよき協力者、親友として受け止めるべく近寄ってそっと抱きしめた。
『大きいほうの翼ある王よ。小さいほうの翼ある勇者とともにこれからよろしくお願い申し上げます』
生真面目に依頼する人間の子に大きいほうの翼ある王はその白い頭を擦り擦りして応じたのだった。
白頭鷲の導きで苦もなく野生馬の集団と巡り会えた。
野生馬を捕獲する際スー族の戦士たちは相当の人数と日数をもっておこなう。馬は頭がいい。ちゃんと首領がおり統率がとれている。互いの駆け引きによって運が良ければ捕獲できる程度だ。そして、それからがまた大変なのだ。人間を乗せるあるいは荷駄を牽かせる、それらがかなうまでの調教のほうが捕獲をする以上に困難を極める。馬は気性の荒い一面がある。頑固な面も。調教中に蹴られて生命を落とすこともままある。とくに野生馬は人間を怖れる以上に信用していない。
野生馬を騎馬にするには幾つもの幸運と相性が必要なのだ。本来ならば・・・。
このときも幼子はその特殊な力を発揮した。
野生馬のなかに育ての親に跨って入っていった。普通なら集団のなかでも老いた馬や子馬、怪我や病気の馬は一目散に逃れる。そして残った元気のいい馬が一丸となって敵を排除するのだ。
今回は様子が違った。すべての馬がわれ先にと白き巨狼と人間の子に挨拶しようとした。もみくちゃにされているのをみ、ワパシャは呟いた。
『狼が馬に襲われているのをはじめてみる』と。
狼が馬を襲うことがある。馬たちも生き残るのに必死だ。狼に襲われれば逃げるだけでなく反撃することもある。実際、馬の蹴りで襲った側が逆に致命傷を負うこともすくなくない。
が、今回はそうとは違う。狼も人間も馬たちに対して害意はまったくない。むしろ友好的に接触を求めているのだ。
こういう不可思議な光景をみるのはもう何度目だろう、とスー族の戦士たちは溜息混じりに思う。
その横で厳周はやはりやきもきするのだった。
ほどなくして幼子と白き巨狼は十頭の馬と一緒に戻ってきた。
若くて強く速い馬たちが一緒にいこうといってくれているという。そして、今後も他の馬たちもいつでも馳せ参じてくれるらしい。
小さな大精霊はやはり宇宙の真理なのだ、と呪術師は実感するのだった。
『ねぇ兄上、日の本の山の名前をあと十個思いだせますか?』『案ずるな弟よ。故国は山国、あと百頭いようとどうにかなる、はずだ』
厳周のそのいい方があまりにも父の厳蕃に似ていたので幼子はくすくすと笑いだした。
スー族の戦士たちまで笑いだした。
大きな夕陽が大地と人獣とを等しく真っ赤に染め上げていた。




