忍具と忍びの者
厳蕃は母屋から得物をもって戻ってきた。それを両方の掌に置いてヴィト少年にみせた。少年だけでなくそのお付きの大人たち、それから日の本の漢たちも周囲でみている。
分厚いが小ぶりの二つの掌の上にあるのはくないだった。
『これはくないという。わたしたちの国に忍びという集団がいた。忍者と申した方がわかりやすいかな?武士とは違うが諜報活動を専門に働いていた集団だ。こういう小ぶりの武器を彼らはじつにうまく遣っていた』
『忍者っ!きいたことがある。すごくかっこいいだよね』『ああ、彼らはときには武士より強い。そんな彼らはこういう小型の武器装具を使用した。これはわたしの甥が遣っていたものだ。甥は忍びではなかったがその知識と技術のすべてを身につけていた。その甥は「竜騎士」といい日の本以外の多くの国々で活躍したのだ。帰ったらドン・サンティーニにきいてみるといい』『ええ、きいています。あなたやトシが「竜騎士」の叔父だということも』
厳蕃は軽く頷いた。視界の隅で甥が、その「竜騎士」本人がみ護っている。すでに厳蕃の意図はわかっているはずだ。
『この小さな武器を「竜騎士」はまるで自分の掌の一部のように遣っていた。彼はきみより年下で体躯も小さかった。それでも日の本だけでなく多くの国々で活躍し、世界中にその称号を知らしめた。彼もまた君のようにいかなるものの声がきける特殊な能力があった。そして、それはわたしのもう一人の甥に受け継がれている、きみの大親友に』
ヴィトは新しくできたばかりの親友をみた。その双眸には憧憬の光が宿っている。
ヴィトにうちなるものがみえているのか?と事情を知る日の本の漢たちは思ったがそうではなさそうだ。
『わが甥よ、これを受け取れ。そしてその声をきけ。おまえの従兄の生き様を、想いのたけを知り理解しろ。そのすべてを受け継ぐのだ。これからはおまえがこのくないを遣い、ここにいる全員の坊となるのだ』
「はい、伯父上」幼子は伯父に走り寄ると故国の言の葉で応じ、小さな両の掌を差しだした。
(たしかに返したぞ・・・)心中で語る必要などない。それを受け取ったときにしっかりと伝わった。
『ヴィト、トシと一緒に端にゆくのだ。幼子が生まれてはじめて握る小さな武器で、太刀を遣う大人を翻弄してくれる。その奇跡をしっかりとみ、感じてくれ』
「父上、ここはわたしが。いくらなんでも父上が・・・」すかさず厳周が口を挟んだ。そうしなければならないからだ。「いいのだ、息子よ。それよりもあの子がわれを忘れそうになるやもしれぬ。そのときはよいな?」父親の適当な指示に厳周は然もありなんと頷いて了承した。
「義弟よ、案ずるな。しばしあの子に時間を与えてやってくれ。くないと対話する時間を・・・」
義兄のいうことに間違いはないだろう。土方は自身の息子をみた。小さな背が畜舎の隅のほうへと去ってゆく。みなから離れて対話するつもりなのだ。土方にはその背がまた重なってしまった。
「叔父上、わたしが様子をみて参ります。わたしがついていますので大丈夫です」「ああ頼む、厳周」厳周はふわりと笑みを浮かべてから従弟を追って離れていった。
厳周のその笑みは彼自身の父親のそれにじつにそっくりだ。そしてあいつのそれにも、と土方は思った。
畜舎の隅までいくと背を向けたまま得物を胸に頂いた。それらは幼少の時分より肌身離さず身につけていた護符のようなものだ。離れてしまってからさほど時間が経っているわけではなかったが、いつも物足りなくまた寂しくもあった。
うちなるものと二本のくない。語り合う、という点ではくないだけがいつもいい話し相手だった。というよりかはいつも一方的にきいてくれていた。物静かな父母あるいは兄妹のような存在だろうか。
涙を止めることができなかった。二本のくないは元の持ち主のところに戻ってきたいまその持ち主を責めていた。どちらも泣きながら元の持ち主を非難した。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」元の持ち主は泣きながらただただ詫びた。詫びることしかできないからだ。二本のくないはあらゆるものを斬り裂いたりあらゆるものから護ってくれただけではけっしてない。それだけではないのだ・・・。
その出所はもともと伊賀の里のものだ。柳生の庄に近いその里は、戦国の世が終わって泰平の世になると一部を除き他の多くの領民と同じく田畑を耕し牛馬を育てた。その一部も服部半蔵の名で徳川家に仕えたもののその後歴史から消えてしまう。忍びの者としての伊賀はなくなっていくのだ。
忍びの本来の諜報活動や暗殺といった技や技術、それに伴うくないや手裏剣、巻きびしや鎖鎌といった武具は、里でも旧家に残されていた。前者は書物として後者は錆付いた状態で蔵や納屋の片隅に。
師とともにそこを訪れた際それらを譲り受けた。前者は知識として頭脳に、後者は手入れして懐にそれぞれ納めた。辰巳という名の童はそれらを自身の糧としたのだ。
「もう二度と離さない。これからはずっと一緒だ。約束するからどうか許してほしい」元の持ち主は泣きながら何度も同じことを呟いた。
二本のくないは責め、非難するだけではなかった。それらは元の持ち主に訴えたいことがあったのだ。むしろそちらのほうが二本のくないにとっては重要だったのかもしれぬ。
それは二人の叔父たちの悲しみだ。
その深さは自身が責められるよりよほど堪えた。それもまた涙を止めることのできない要因だ。
「ありがとう、わたしの大切な護符よ」元の持ち主は二本のくないを愛おしそうに頬に当て許しを乞うた。 それらはいい尽したお陰でしだいに機嫌がなおってきただろうか?
「坊、大丈夫か?」気配を察せるようわざと気を発しつつ厳周が小さな背に呼びかけた。呼びかけられた側はすばやく掌の甲で涙を拭った。
「えぇ大丈夫です、兄上」背を向けたまま応じた。
触れるぞ、と了承を得て厳周は小さな肩に掌を添えた。それから前にまわると両膝を折って小さな従弟の相貌を覗き込んだ。
「泣いていたのか?」従兄がふわりとした笑みとともに問うとすぐにはにかんだ笑みがその小さな相貌に浮かんだ。
「男児は泣くべきではないと兄上も?」「まさか!わたしなど泣きっぱなしだ。弟よ、父上がおまえがわれを忘れたときには止めよとわたしに命じられた」
そう告げるだけでよかった。幼子のつぎに浮かんだのはいたずら小僧のような不敵な笑みだ。
「兄上、このくないが行ってきたことは、人間を屠ることだけでは決してありません。わたしも含めた多くの人間を護り、救ったことも多いのです。あなたも感じてください、この幼子が起こす奇跡を。そして援護も願います」
「ああ、任せておけ。さあ、いってわが父をおおいに翻弄してくれ」
幼子はズボンにくないを差し込んだ。それから二人で掌をぱんと打ち合わせる。
気を入れ直す。それは持ち主も得物も同様だ。これでまた一歩以前に戻れた。
幼子がおこす奇跡を、新しくできた異国の親友にみせてやるのだ。
 




