鬼と神の小さな親友
昨夜まで降りつづいた雪もこの日は止んだ。春の兆しが感じられる。
朝から嬉しいことばかりが訪れてくれたのもこの日だった。
まずは山崎と島田が戻ってきたことだ。例の使節団の到着も間もなくということで、二人は首都華盛頓まで足を運んで大統領官邸や使節団が投宿する予定の宿の下見をしてきた。そのうえでの帰還だ。
二人は客人を伴っていた。というよりかはせがまれて同道させたらしい。それはドン・サンティスの孫のヴィトだった。カルロとレオが護衛役としてついてきている。
「トシ、こんにちは」ヴィトは馬車を降りるなり土方に抱きついた。
「やぁヴィト、よくきたね。日本語を覚えたのかい?」土方は戸惑いつつも膝を折って伊太利亜人の少年と目線を合わせた。それからあらためて抱き締めてやる。
この気弱でやさしい少年は山崎から日本語を学んだらしい。しかも覚えが早かった。
土方は江戸言葉は控えてできるだけゆっくりとやさしく言葉を使うよう心がけた。
『やあ、兄弟』『やあ、カルロ、レオ。ドンはお元気か?』
大人とは軽く抱擁しあう。照れ臭いこの習慣にも大分と慣れてきただろうか?
カルロとレオの相手はスタンリーとフランクに任せ、土方は伊太利亜人の少年を連れて畜舎に向かった。
早朝からそこで鍛錬に励んでいるのだ。
小さめの納屋を畜舎に改造し、そこにドン・サンティスから提供された馬を収容していた。
少年たちをのせた馬車を曳いてきた馬たちはその小さめの畜舎へとスー族の二人の戦士が曳いていった。 彼らは馬体の汗を拭き飼葉と水をやって万全にしてくれるだろう。
「坊っ!わたしの小さな弟」
畜舎に入るなりヴィトは新しくできた異国の友人に走りよって小さな体躯を力いっぱい抱き締めた。
「ヴィト兄っ!」幼子も歓喜の声を上げて抱き締め返す。その周囲に若いほうの「三馬鹿」も集まってわいわいとやりはじめた。
若い彼らは日本語・英語・伊太利亜語を交えつつしかも掌を叩き合ったり肩を抱き合ったりの接触をふんだんに入れてずいぶんと盛り上がっている。
それをみながら沖田がいった。その端正な相貌にはあいかわらず古くからの兄貴分をからかう小悪魔的な笑みが浮かんでいる。
「「鬼の副長」を怖れないなんて、あの子将来はきっと大物になるだろうね」
「あの子の父方の祖父は伊太利亜で組織の首領らしい。将来はそれを継ぐことになるだろう、とドン・サンティスがいっていた」
「組織って極道者みたいなもの?」土方の説明に沖田が頸を傾げた。
「あんなにおとなしくてやさしい子が極道者の親分になどなって子分どもを従えられるかね?ま、総司のいうとおり「鬼の副長」をでれでれにさせるあたり大物になる要素はあるんだろうが」
永倉の苦笑交じりの言に土方の眉間に皺が寄った。
「おーい、鍛錬をさぼるなよな、そこのお三方。神罰が下っちまうぞ」
新しくできたばかりの小さな親友について立ち話をしていた三人に腕立てをしている藤堂の恨めしそうな声音がぶつかった。
藤堂は体躯を地に平行に伸ばして両掌をつき肘をゆっくり折りまた伸ばすということをすでに四半時(約30分)はやっていた。しかもその背に厳蕃がのっている。
腕に力をつける為自らに特別訓練を課しているのだ。
「魁は戻ったか?」厳蕃の重すぎる一語だ。それで神罰はさぼっている土方・永倉・沖田にではなく自身に下ったことを藤堂は実感した。
「師匠、おれがなにをしたというのです?この際系統の違う神様にあえて祈ります。ああ神様、どうか系統の違う神の御霊を鎮めおれをこの苦行から解放してください」
「ほっほっほっ!まだまだじゃな」厳蕃は仙人の真似をしながらゆっくりと倒立をした。藤堂の背の上で。しかも親指二本でだ。
「どうじゃ気持ちよかろう。腕の筋肉の疲労をやわらげるつぼをついておるからの。これでおぬしは疲れ知らずじゃ。ゆえに巨躯がのっても崩れることはない」
藤堂は背に倒立した仙人もどきを戴いたまま腕立てをつづけている。まったく揺らぐこともない。仙人もどきの予言どおり島田がのっても平気だろう、という気にさせてくれる。
「ほーほっほ、精進せい」いうなり仙人もどきは親指二本の倒立から身軽に地に降り立った。
「さあっ、お次はだれの番かのう?」仙人もどきは架空の顎鬚をしごきながら土方ら三人をゆっくりと眺め回す。
「仙人様、ここは日の本が誇る鬼がその力を振るいます」沖田がひかえめに申しでたその機で島田が畜舎にやってきた。
「あぁ大神よ、父を助けておくれ」助けを求める父親の視線の先でその大神は異国の友人や若い方の「三馬鹿」たちと愉しそうにさぼっている。
土方の苦痛の呻きは、残念ながらその信仰する大神に届くことはなかった。




