兎狩り
いまや自他ともに認める新選組の隊士である朱雀もわかっている。最初からわかっていた。とても嬉しかった。翼なき友が帰ってきてくれた。
これからはまた一緒にいられる。最高に幸せだ。
翼ある友と同調するのになんの問題もない。しばし離れていたことなど障害にもならない。
閉じた瞼のうちに映っているのは晴れ渡った異国の空とそこからの俯瞰。そして肌で感じるのは異国の凍てつく空気。
小さな点。雪と同じ色だが翼ある獣と翼のない獣がそれを見逃すはずもない。
『ふんっ、わが鼻のほうが先だったぞ、わが子よ』「父さん、わたしたちのほうが先だったよ」幼子は白き巨狼の背で瞼を閉じたまま抗議した。
大空から大地へと意識を移すと朱雀だけでなく馬たちの鼓動、息遣いも感じる。それは今朝届けられた馬たちだ。
ドン・サンティスは農耕馬ではなく亜米利加陸軍の誇る騎馬隊で払い下げられた元軍用馬を用意してくれたのだ。
人数分とまではいかずとも曳き馬も含めて十二頭、南北戦争にも従軍してその後引退した古参の軍馬だ。こういった馬は銃砲声に驚くこともすくなく騎手に忠実だ。
スー族の二人が教えてくれた。
この国の馬は、昔欧州から連れてこられたサラブレッドやアラビア種、アンダルシアン等を交配し、長い年月を経て家畜や野生化した。この当時の軍用馬は、亜米利加がスー族をはじめとしたこの国にもとから住む民たちを使って捕まえ、軍用に調教したものだ。ゆえに頑丈である。引退しているといえど騎乗するのにまだまだ問題はないだろう。
しかもここにはスー族の二人の戦士以上の馬の乗り手がいる。
馬たちは到着するなりまず獣の神とその育て子に挨拶した。そして、育て子のほうはすぐさま馬たちと仲良しになった。
十二頭の馬にもみくちゃにされている幼子は、傍目からみても馬に襲われているようにしかみえなかった。
それからほかの人間とも挨拶を済ませた。
そのすぐ後早速狩りにいくことになった。
今回は弓矢で狩ることになった。銃の鍛錬になるという話もでたが、弾丸がもったいないということから弓矢になったのだ。弓も矢もスー族の二人のお手製だ。
騎馬と待ち伏せの二組にわかれることになった。
土方は自身の前にいる息子の背をみつめたまま凍りついていた。
蝦夷でのことが思い返される。背の大きさこそ違えどあのときとまったく同じだ。あのとき、騎馬で敵軍に突入する土方が銃で撃たれ、そのまま落馬して戦死するようあいつが仕組んだのだ。その仕掛けは完璧だった。あいつは自身の小さな体躯が馬首に隠れてみえないことを利用し土方をかばって撃たれたのだ。周囲からは土方が撃たれたようにしかみえなかっただずだ。
「父上?」気がつくと幼子が振り返り父親をみ上げていた。馬上、寒風が容赦なく体躯にあたる。コートなるものを羽織っているが寒いものは寒い。否、もしかするとこれは得体のしれぬものに対する寒気なのか?
あまりにも似すぎている。あのときの場面に、というよりかは息子があいつに・・・。
皺が深く刻まれたまま目頭を指先で揉んだ。その指先が震えている。
あいつはその後その場にいた敵兵一人残らず殺したのだ。あのときのあいつになんの躊躇も迷いもなかっただろう。自身が仕組んだ演出は完璧なはずだったが、それでもそうしなければならなかった。
土方の死を確実にする為に・・・。
「父上、大丈夫ですか?」息子の小さな掌が土方の頬を撫でた。その掌の温かみに土方は安堵せずにはいられなかった。
仮死状態に近かったあいつは体温がぞっとするほど低かったからだ。
「父さんの合図です。獣の神の狩りの開始の咆哮です」
蝦夷で何度かきいた狼の遠吠えだ。それは常勝将軍だった土方の戦いの開始の銅鑼のようなものだった。
土方は左掌に弓を持つものかまわず後ろから息子をしっかりと抱き締めた。大切な息子をなにかから護るかのようにあるいは自身から離れてゆかぬように。
「おまえは絶対に護る。なにがあっても死なせねぇ」
息子の頭髪に相貌を埋め、土方はそう囁いた。息子のほうは父親に背を預け、自身の体躯に回された父親の腕に頬を当てている。
「父上、わたしは死にません。父上と母上と伯父上と父さんとたくさんの兄上たちと一緒にいたい」
「ああ、そうだな。おまえには口煩い家族が大勢ついてる」
息子がわずかに頸を回して父親をみ上げて微笑んだ。その仕種もまた記憶にあるのは気のせいか?
「朱雀がまだかときいています。富士たちも早くいきたがっています」
十二頭の馬それぞれに故国の山の名を新しい名として授けた。土方親子が騎乗している馬はアラビア種を濃く受け継ぐすらっと背の高い馬だ。だから故国でも一番の霊峰富士の山の名で呼ぶことにした。
土方は息子の髪から相貌を上げた。先で騎馬を立てている仲間をみる。
事情を察してかだれもが辛抱強く待っていた。
「承知、さあ狩りをはじめようか!」
土方の開始の掛け声とともに兎狩りがはじまった。
騎馬組は本格的な鷹狩りを行った。朱雀が兎を追い、それと同調した幼子の指示のもと騎手たちが騎馬を操り矢を放つ。
もう一方の組は白き巨狼と勢子役の柳生親子が追い立てた兎を木上から射手が射止めた。
狩りは大成功だった。射止めた数はいうまでもなく、参加した全員が弓の遣い方をそれぞれに学び、工夫し、それをわがものとできた。かえってそちらの成果が有益となっただろう。
スタンリーとフランクはご満悦だった。船上でキャスから異国の料理法を学んだ信江のシチューは完璧だった。
余った兎肉は信江がスー族の二人と燻製にした。これで万が一のときには飢えを凌げる。もっともいい酒の肴になることを永倉たちが知ってしまったので、万が一が起こるまで残っているかははなはだ疑わしいが。
みなが小さな生命の糧に感謝しつつその肉を心から堪能している傍らで三神はけっしてそれを食さなかった。
白き巨狼ですら、だ。船上でも白き巨狼は肉の類は無論のこと魚ですら口にしていなかったことを、人間はこのときはじめて気が付いた。曰く『意思疎通のできるものは喰わぬ』というのだ。
その対象に人間も入るのだろうか、と考えずにいられなかった者がほとんどだろう。
幼子などは食堂や台所に近寄ろうともしなかった。自室にこもり床の上に毛布を敷いただけの寝床で毛布を頭からかぶってしくしくと泣きつづけた。
幼子は兎たちと仲がよかった。いい遊び友達だった。雪の中をぴょんぴょんと走り回っていた。それを殺してしまった罪の意識に幼子は耐えられなかったのだ。
『ほおっておけ。現実を一つ一つ直視し、感じなければ成長できぬ』幼子の育ての親が実の両親や多くの兄貴分たちを諌めた。
兎肉はおいしかった。だが、小さな坊の心を傷つけたことを大人たちは気に病んだのだった。
その翌日からまた雪が降りはじめた。
それでも春は一歩一歩近づいているに違いない。




