神々の朝食(ブレックファースト)
その朝は今年に入って初めての快晴だ。
この日は伊庭がベルビュー病院のDr.グリズリーの診察だ。田村が付き添う予定になっていた。通院の後、伊庭と田村は山崎と島田と合流して農場に戻ってくることになった。
馬車とそれを引っ張る馬二頭、乗馬用の馬を数頭をドン・サンティスが手配してくれていてこの朝それらが届く予定になっていた。
昼からは兎狩りを行う予定にもなっており、この日の恵まれた天気にだれもが満足だった。
クリスチャンのフランクとスタンリーは、食事時に食卓につくと必ず掌を組み合わせ胸元で十字を切って神に祈りを捧げる。じつはスー族のイスカとワパシャもクリスチャンであった。
日の本でもそうだが、人間を洗脳するのに宗教ほど効果的な武器はない。
亜米利加も同じだ。古より亜米利加に住む部族の民は異国からやってきたキリスト教の宣教師たちになかば強制的に神の教えを授けられ導かれた。
もっとも、もともとから神の信仰に熱心な欧州と違い、神よりかは精霊を信じている部族の民だ。さほど熱心に神を信じ、あらゆることを捧げるわけでもない。したがって、スー族の二人が食事時に捧げる祈りは神に対してではなく精霊に対してだった。
この日も朝食時からにぎやかだ。
『イエスは強いの、フランク?』信江の焼いたパンを頬張りながら市村が尋ねた。大人の拳大くらいの丸パンでほんのり塩味がする。それにニックが仕入れてくれた隣国加奈陀産の蜂蜜を塗って食すのだ。これは受けがよかった。全員のお気に入りの一つとなっている。
今朝はパンと炒り卵と燻製肉だ。燻製肉は貯蔵食材として「The lucky money(幸運の金)」号のときからおなじみになっていた。
カリカリに焼いた燻製肉とふんわり仕上がった炒り卵は定番の朝食である。
キャスが夫のニックと農場を去ってから後台所のことを信江一人で切り盛りするのは大変だ。ゆえに全員が自主的に手伝うようになっていた。若い方の「三馬鹿」や柳生親子、相馬や野村、斎藤に沖田、スー族の二人、フランクにスタンリー、ときには元祖「三馬鹿」、だれもが料理を作る手伝いをするのに抵抗はなかった。信江の夫はいうまでもない。それだけではない。掃除、洗濯、となんでも積極的にこなすのだった。
男所帯での生活に慣れた者が多い所為だろう。
『なんだって、テツ?』パンに蜂蜜を塗っていた掌を止め、フランクは向かいに座して同じようにパンに蜂蜜を塗っている日の本の青年をまじまじとみつめた。
『もう一度いってくれないか?』『イエスは強いの?』市村は自身の英語がまずかったのだろうと一語一語しっかり発音し直しながら再度尋ねた。
「テツがまたお馬鹿なこといってるぞ」早喰いの永倉はすでに食事を終えており、食後の珈琲を啜っている。にやにや笑いながらいった。
「なにが馬鹿なんですか、新八先生?おれたちの神様はみんな強いじゃないですか?だから他の神様も強いのかと思ったのです」
当惑しているフランクを横目に抗議する市村。
『すまない、フランク。われわれはキリストのことはあまり知らんのでな。きき流しておいてくれ』斎藤が苦笑交じりに援護すると、フランクは小さな両肩を竦め蜂蜜塗りを再開した。
「神様同士で争ったりしないのかな?」田村もそんなことをいいだした。「直接きけばいいだろう、銀?ここに神様がいるんだ」うんざりしたような永倉が指す太い指先には珈琲に大量の砂糖を投入している白き大虎の神様と、父親がパンに蜂蜜を塗ってくれるのを椅子に座しておとなしく待っている蒼き龍の神様、そして鼻先についた蜂蜜を必死に嘗めている黄金の龍の神様がいた。
「神様、神様、どうか教えてください。神様のなかで一番強いのは誰ですか?」パンパンと両の掌を合わせながら尋ねる田村を白虎の神様と黄金の龍の神様がそれぞれ眉間に皺を寄せてみつめ、蒼き龍の神様はきゃっきゃっと喜んで同じことをしはじめた。
「やめないか坊、おとなしく座っていてくれ。もう終わるから。叱られるだろう?」父親はびくびくしながらそれを嗜めるが子はますます増長してしまう。「もうすぐ母上がくる。頼むから行儀よくしてくれ」「鬼の副長」の父親ぶりはどこか哀愁すら感じさせる。ちょうどその機で食堂の扉が開いて土方の妻が入ってきた。片掌に陶磁器の紅茶ポットを持っている。
ウエッジウッドと現代では名高い陶磁器である。キャスが伊太利亜のエトルリア工場から直接買い付けたお気に入りだ。
英国王室御用達のこの陶磁器もここにいる者でそのよさを理解できる者は皆無だった。
全員がきちんと着席してそれぞれ朝食のつづきを行っていた。
「騒がしかったようですがなにかありましたか?」わかっていて遠まわしに注意する信江に「神様を崇めていました、母さん」市村が如才なく応じた。
「いいことだわ、鉄」市村ににっこりと微笑んだかと思うとかえす神々に向けられたのは業物の刃のごとき眼差しと冷笑だ。
「神様方よかったですわね、崇められて。ぜひともご利益をお授けくださいな。それはそうとその前にさっさとお供え物をお納めください。あなた、蜂蜜が卓上にたれています。小さな龍神様がお待ちです。はやくなさらないとおねしょという天罰が下りますわよ」
「理不尽だ。わたしたちがなにをしたと申すのだ」白き虎の神様が口の中で呟いた。その横では義理の弟が不器用な掌つきで蜂蜜塗りのつづきをしている。が、傍目にみてもうまく塗れていない。慌てるので余計に卓上にたれるばかりだ。
「小さな龍神様?いつも小さな龍っていってますよね、師匠?龍って大きな印象ですが坊は小さいのですか?」「それに強いって印象もあるよな?小さな龍だったら弱いのかな?」
田村と市村だ。市村はまだ神様の強さにこだわっている。
「強さのことはともかく、たしかに龍というのは天にまで届くくらい長くて大きいもんだと思ってたが・・・。副長たちはみたことあるんだろう、あいつのなかにいるのを?」
永倉に問われ、それをみたことのある者たちは一様に頭を振った。
「なんつーか、龍みたいなもんがもやもやっている感じ?」「平助のいうとおりだな。龍そのものってよりかは龍っぽい霧みたいなもんが、いや違うか、霧が龍の形をしている?」「そうそう、白いものがぼんやりあって、それは龍みたいな形で・・・」「自身の視点のなかにあるのでそれはさほど大きくはなかったな」「でも、みているものは大きくなくっても大きい感じはありましたよ」
藤堂にはじまり、原田、沖田、伊庭、玉置とつづく。
「副長は?どんなふうにみえましたか?」斎藤に問われると土方は蜂蜜を塗る作業を中断した。またもや貴重な蜂蜜が食卓の上にたれてしまった。
「でかかった。ま、おれは餓鬼であんときは龍っていってもよくわからんかったからな。でかいのか強いのかってのは父親と兄貴にきいてみりゃいいじゃねぇか?」
そしてまた作業に戻った。話題の当神が痺れをきらしてぐずりだしたからだ。
全員が龍の父と兄に注目した。




