凄味と恫喝
主賓は畜舎を改造した納屋にやってきた。
すぐに主より最高の贈り物を受け取った。
それは感動的ですらあった。攫われた少年は無事家族の元へ戻ることができた。
少年は祖父や両親に抱きつき、祖父も両親も少年に惜しみなく抱擁と接吻の嵐を降らせた。
涙もろい原田や島田だけでなくほとんどのものが涙ぐんでいた。
危険を冒した甲斐があったという思いより、少年が無事で家族の元へと戻れたことに対する純粋な喜びと安堵の涙であった。
ニック夫妻と信江、そしてヴィト少年と母親は母屋に引き取ってもらった。温かいホットチョコレートとクッキーでもてなす、という名目で。
これから行われることを家族にみせたくない、という思いは日の本も伊太利亜も関係ない。
ヴィト少年は父親似だ。父親は本国の本家の嫡男らしいがまったくそうはみえない。気弱でやさしげな雰囲気はあきらかに跡取りというには物足りなさ過ぎる。いまも隅で部外者然とした様子でただそこに佇んでいた。ドン・サンティスも簡単に紹介しただけであった。
どこにでもあるお家事情なのだろう。
気温はますます落ちている。臨時の暖炉に焚かれた火はますますその勢いを増していた。
伊太利亜人たちは錻力の小さな水筒を盛んに呷っていた。そこに入っているのがグラッパという酒であることを、日の本の漢たちはドン・サンティスから教えてもらった。
グラッパとは伊太利亜特産のブランデーの一種だ。葡萄の搾りかすを発酵させアルコールを蒸留して作られるかなり度数の高い酒である。
伊太利亜人たちは寒さを紛らわすためにそれを呷っているのだ。
『呑んでみろ』ドン・サンティスに促され、即座に試したのは酒豪の永倉、原田。その後、他の者も順番に回し呑みしたがほとんどが口に含んだ途端に咽返ってしまった。下戸の土方、まだ飲酒に慣れていない市村と玉置、酒がもともと好きでない沖田や厳周などはその臭気だけで拒絶反応を示してしまった。まともに呑めたのはやはり永倉、原田、島田、相馬、そして厳蕃だけだ。相馬はその外見からは想像しにくいが意外と酒に強いのだ。しかも「The lucky money(幸運の金)」号で生まれて初めて嗜んだ葡萄酒をいたく気に入った。グラッパもほのかに葡萄の匂いがする。伊太利亜人たちと同じだけ錻力の水筒から呷ることができた。
土方の合図で土の上に転がされていたもう一組の客人たちの猿轡と目隠しが外された。
『ナイフのフリオ』とその手下ら総勢で二十一名だ。全員が体躯を縄で縛られ、冷え切った土の上で心身ともに冷え切っていた。
『この連中をどうしますか、ドン・サンティス?』
流暢な伊太利亜語で指示を仰いだのは厳蕃だ。急ごしらえの暖炉に近寄ると燃え盛る炎をじっとみつめた。まるでその赤い舌に舐めてもらいたいと欲しているかのように。それからくるりと振り返ると凄みのある笑みをその小ぶりの相貌に浮かべた。
ドン・サンティスは一つ頷くと無言のまま地に転がるフリオに近づいた。その前で両膝を折って巨躯を屈める。
間髪入れずに顔面に拳を入れた。強烈なそれは『ナイフのフリオ』の鼻梁と歯を確実に折った。折れた鼻と切れた口から血が滴り落ち、土を赤く染めてゆく。
ドン・サンティスは振るったばかりの拳をじっとみつめていたが、もう片方の掌でフリオのシャツの胸倉を掴んだ。哀れな囚われ人たちは白いシャツにズボンだけの格好だ。いずれも寒さと恐怖によって気の毒なほど震えていた。
『ニューヨークから出てゆけ。わたしの前から消えろ』
でかい相貌をフリオのそれに近づけ、潰れた低音で恫喝した。たった一言のそれは敗北した相手にとっては死の宣告に相当する。
『ナイフのフリオ』は何度も頷いた。相貌が激しく上下するたびに土の上に血糊が飛び散った。
それを無言でみ護る日の本の漢たち。
異国の悪漢の凄味を存分に味あわされた気がした。
この後すぐに『ナイフのフリオ』一味が紐育から消え去ったのはいうまでもない。
彼らはまた別の地へと移っていった。
紐育より北西に位置する市俄古というところへだ。




