副長と「三馬鹿」
「馬鹿いってんじゃねぇっ!ここいらの家屋は京の造りみてぇに細長い。この扉をみてみろっ!」
薄い木製の扉の前に立ち、土方はそれを指差して囁いた。眉間に皺が濃く刻まれている。
今夜の目標の建物は、ドン・サンティスのそれとは違って一階部分も住居になっていた。
「この扉からどうやりゃあ三人まとめてなだれこめるんだ?おれに説明してくれ、えっ、「三馬鹿」さんよ?」
永倉、原田、藤堂を前にし、こうして嗜めるのはいつものことだ。しかも試衛館の時代からのだ。 それは京でも同じだった。御用改めや討ち入りの前、隊士たちの緊張と不安を紛らわせるあるいは和らげる為土方は「三馬鹿」を相手にこうしてくだらぬ遣り取りをした。
土方は屯所で命を下すだけの大将ではけっしてなかった。できうるかぎり自身も現場に出張った。ただし、それはあくまでみ護りにすぎない。現場のことはつねに組長たちに任せていた。
修羅場に踏み込む隊士たちに「鬼の副長」の姿をみせるだけでよかったのだ。もっとも、それはやる気を起こさせ不安を紛らわせる要素と、一方ではへまをやらかすあるいは臆病風に吹かれることが即切腹に繋がるのだという恫喝の要素が十二分にこもっていた。もっとも、古参隊士たち以外には後者の要素が強く発揮されていただろう。
「鬼の副長」の真意はともかくとして、そういう土方の気遣いは組長や古参隊士たちにはよくわかっていた。
自身も死地に身を投じることで隊士たちとあらゆることを共有する為であるということを。
ゆえに「鬼の副長」と「三馬鹿」のこうした遣り取りは、ある意味では大事を為す前の神聖な儀式ともいえるのだ。
「ですよね、副長?というわけで今回の死番はこの「魁先生」が務めさせて頂きます」
小兵の藤堂が軽やかな足取りで扉に近づいた。左腰に山南の形見の「沖光」を佩いているが抜かれてはいない。そのかわりに両の掌に握られているのは軍用小刀だ。刃先が分厚く剣先のほうが握り掌側よりわずかに広くなっている。原田も同じように握っているがこちらは右掌一刀のみだ。器用な藤堂は「二刀流だーっ!」といって両掌遣いの鍛錬を積んでいた。こういう小刀は小兵にはもってこいだろう。
「おいおい平助、ここは京じゃないんだ。いきなり「バンッ!」ってこともあるだろう?だったら、ちっこいおまえより太った新八のほうが弾丸を喰らってもききゃしないぜ、きっと」
「くそったれ!」永倉は原田に怒鳴った。それはじつに堂々としていた。しかも中指まで立ててみせた。
そう、いまはどれだけ「DHN」言葉を叫ぼうが喚こうが案ずる必要などどこにもない、はずなのだ。
藤堂が軍用小刀を握ったまま腹を抱えて笑いだした。
「左之、おれは筋肉質であって太ってるわけじゃねぇっ!」「えっ、そこなのか、新八?」土方は小声で突っ込まずにはいられなかった。
「あ?筋肉は弾丸を跳ね返すんだよな、副長?」くるりと振り返って問う永倉の相貌を土方はまじまじとみつめた。この刻限、建物内に灯る灯火もすくなく、通りはほとんど光がない。無論、壬生の狼たちにとってはそれはなんら苦になるものではないが。
「喰らってみてくれ、新八」さらに濃く皺を刻み込んで土方は答えた。心中をよまれぬように防御しつつ。
「証明してくれないか、「がむしん」?」さらにいい募った。「へっ?副長、あんたまさか?」土方に平手打ちでも喰らわされたかのような表情で永倉は土方に向き直った。
「ひゃっほー!一番乗りーっ!」「新八っ、おっ先ー!」
夜の静謐のうちに「ドカンッ」という無機的な大音声につづいて藤堂と原田の愉しげな声音が響いた。
『ひいっ!』『なんだこいつらっ!』
伊太利亜語の悲鳴にも似た叫びがつづく。
扉の向こうに見張りがいたのだ。
「くそっ!」永倉が地団駄踏んだ。
「たまには弟分に譲ってやってくれ、「がむしん」」土方の眉間から皺が消えていた。視線が合い、永倉はすぐに理解した。
能天気野郎の藤堂に活躍の場を与える為土方と原田が即興で馬鹿を演じたのだ。
「副長、あんたも左之も平助のことが可愛くてならないんだな、え?」「おいおい!おめぇも同じだろ、新八?」
永倉は苦笑した。その通りだから返す言もない。そのかわりに腰のズボンのベルトにはさんである小刀を抜いた。島田と同じで脇差がわりに京の時分より携帯しているものだ。剣士である永倉も異国の小刀は物足りなく感じているのだ。
「大将はそこで待っててくれ副長、昔のようにな」
表情をあらため告げる永倉に土方もまたそれをあらためて頷いてみせた。
「ああ、頼むぞ新八」
これだけで充分だ。
「三馬鹿」の実力は申し分なく、いつだって任せて安心できる。土方にとって彼らはかけがえのない仲間だ。試衛館の時分からの付き合いの深さと濃さは、たとえ紆余曲折があろうともいまさら浅くも薄くもなりようもない。より深く濃くなることはあっても。否、もはや仲間というよりかは兄弟、そして家族だ。
こういうときは異国の語彙のもつ多様性に感心する。狭い島国である故国と違い、同じ兄弟や家族といってもその意味はじつに広い。
「副長、制圧完了!裏口から侵入した魁兄、主計、利三郎も確認。二階に上がれますよ」
「三馬鹿」が表から突入してからいくつかのくぐもった悲鳴や物音がしただけですぐに藤堂が報告に戻ってきた。
扉のところで永倉と原田が掌を振っている。昏倒させられた見張りたちを縄で縛っての出迎えだ。
「よくやってくれた。さすがは「魁先生」、近藤局長の剣の一振りだ。だがな平助、急く必要はない。二階もすでにわれわれの支配するところだ」
土方からお褒めの言を頂いた藤堂は素直に喜んだ。それからにんまりとその小振りの相貌に笑みを浮かべた。
「そうですよね。ではゆるりと参りましょう、副長」
土方は藤堂を連れ、目標の建物の中に入っていった。
ここの二階で土方の息子と義兄が待っているだろう。
この家の主とともに・・・。




