学び舎
日中は甲板上も太陽の強烈な光で焼け付くような暑さだが、夜間は夜風が心地いい。毎夜、「The lucky money(幸運の金)」号の乗組員たちがそこの船首近くで車座になり、酒盛りを行っている。航海の日々における唯一の愉しみ。いつしかそこには客人たちの姿もあった。
客人、とはいえその日の本の武士たちは鍛錬以外は船員たちと同じように働いた。
船での仕事は多岐に渡り、重労働だ。これもまた鍛錬となる。そして、これから訪れる国で生活する為に言葉を学んでおく必要もあった。
酒盛りもまたそれを学ぶにはうってつけの場、であることはいうまでもない。
船員の中にはあきらかに胡乱な連中もいる。人種は様々で肌の色も様々だ。この船の持ち主は、仕事さえちゃんとしてくれれば人種・肌の色・過去は一切問わない。けっして国や色でその漢の人格や能力を疎んじるようなことはない。事実、この船の航海士は亜弗利加出身の黒人の大男であるし、操舵士は清国出身の小男だ。
新撰組に通じるところがある。
土方とニックのうまがあうところは、こういうところから派生しているに違いない。
若いだけあり、若い方の三馬鹿は出航して数日で困らぬ程度には上達した。そして、三ヶ月ほど経った現在では全員が困らぬ程度には英語を話せるようになっていた。無論、毎夜の酒盛りでの他愛ない会話も上達に役立ったのであろうが、各々の努力も忘れてはならない。そして、若い方の三馬鹿や語学に興味のある山崎や伊庭は英語圏以外の船員に積極的にそれ以外の言語も学んでいた。
言葉だけではない。異国の歴史や情勢も知っていて損はない。そういう点ではこの商船ほどいい学びの場はないだろう。欧州や亜細亜の国々、そしてこれから向かう亜米利加の歴史・政治・経済、と貪欲に学ぶことが可能だ。
さらには、尾張柳生の親子が、舞と笛太鼓、唄を伝授した。これは精神修養のいっかんでもあるが、これから生活する異国の地で、故国の伝統芸能が役に立つことがあるかもしれぬ、という理由からでもある。
舞は小柄な藤堂と相馬、そして玉置が、笛太鼓は器用な原田と斎藤、そして田村が、唄は声量のある永倉と沖田、そして島田と伊庭が、それぞれめきめきと上達した。
戦略・戦術といった面でも柳生の兵法家が手ほどきし、土方と山崎、伊庭が手ほどきする側をうならせるほどにまでなっていた。
武の方もぬかりはなく、やはり柳生の親子が剣術・柔術を全員に、槍術は原田が腕の長い野村と田村に手ほどきした。
銃も扱えるように、こちらも厳蕃が銃に拳銃も加えて手ほどきした。そして、狙撃手として、山崎、島田、相馬、野村、田村、玉置が特訓を受けて見事な成果をあげている。自衛の為に船に積んでいるアームストロング砲を借り、砲手として島田と野村がその技術を会得した。新撰組の時分やその後の戦において学んだり使ったりしていたので、わがものとするのにさほど時間はかからなかった。
永倉や沖田、そして伊庭らは根っからの剣士。彼らは戦闘になると迷わず抜刀して敵陣に斬り込んでゆく。
とはいえ、時代の流れや情勢、状況から目を背けたり逃げたりするわけではない。銃の扱い方や得意の得物以外の武器も人並み以上に扱えるよう、鍛錬することは怠らない。
まさしく適材適所、それぞれが得意のものに磨きをかけ、いざというときには臨機応変に立ち回ればいいのだ。
もっとも、沖田が積極的に句を学びたいといいだしたが、それは即座に却下されたのはいうまでもない。
土方自身によって・・・。
『トシ、まもなくカリブの海域に入る』
ある昼下がり、鍛錬中の武士たちのところへニックがやってきて英語で告げた。
陸が大分と近くなっていることは、すでに物見役の大鷹よりきき及んでいた。朱雀も嬉しそうだ。
『カリブ?なにかあるのか?』英語で問い返す。力と生命を授けてくれた親友ほどではないが、相手の機微は感じられる。
『ああ』ニックは欄干にもたれかかり、上半身を仰け反らせた。彼もまたシャツに短パンという姿で、陽に焼けた皮膚がてかてかと光っている。通常、船の持ち主自らが乗り込んで航海するのは珍しい。ニックは元々船乗りで、そこからここまで時間と持てる能力と自らの幸運をだしきってのし上がってきた。雇用者に満足できるだけの賃金を支払う為に商人としてときには小賢しいことあるいは大胆なことをしてのけるが、基本的にはこうして海にいることじたいが彼にとっては重要なのだ。
『百年位前までは私掠船が横行していてね』
『えっ?なに?プライヴァティアってなに?』傍できくともなしにきいていたのだろう。玉置が話に入ってきた。さすがに子どもらは耳がよく、初めての単語も意味はわからずともきき取りはできるらしい。正直、土方には玉置がきき取れた言葉はわからなかった。
『ああ、パイレーツのことだよ』
「われわれの国でいうところの海賊です、副長。現在では公には活動していませんが、百年位前には政府が免状を与えて活動を許していた、とか。まぁ、村上水軍や熊野水軍のようなものでしょうね」
船に積んである書物を読み耽り、船員たちから話をきいたりしている山崎が述べた。
頭の中でその新しい幾つかの単語を記憶している土方の足許をわが子が遅々と這っている。口を開きかけると這うのを止めて父親を見上げた。小さな二つの眼が眩しそうに細められ、その中央部分、眉間に二本の皺が刻まれた。
この子は間違いなく自身の子だ、とどうでもいいことが新しい単語ととってかわる。
『その時分の末裔やらなんやらがまだ残っているんだ。もちろん、海賊行為は禁止で海軍が警戒をしているが、商船が襲われることは珍しくない』
ニックはそういいながら姿勢を元に戻すと、隣の土方をわずかに見下ろしてにんまり笑った。ニックは背が高く、筋肉質。どこからどうみても商人というよりかは「海の男」だ。
『この船も襲われるのか?』眉間に皺が寄っていることを自覚しつつ尋ねた。その足許では、わが子が彼の長ズボンの裾を握り締めている。
『この前寄港した桑港の港で仕入れた情報では、つい最近、商船が何隻か襲われてるらしい。なんとっ!』
そのとき、頭上の黒い点が急降下し、彼らの足許、小さな人間の子の側に舞い降りた。
『くそっ!』赤子が連れ去られるとでも思ったのだろう。ニックが腰のホルダーから拳銃を抜こうとした。
そのような心配をよそに、舞い降りてきた朱雀は赤子の小さな頬に自身の小さな頭部を擦り付け、赤子はそれまで握っていた父のズボンの裾から大鷹の頭部へと掌を移し撫で撫でし始めた。唖然と見下ろすニックの横で、その赤子の父もその仲間たちもやはり驚きを隠せなかった。
「朱雀、ああ、わかってる。おまえの護るべき子だ。頼むぞ」土方が声を掛けると、最後にもう一度小さな頭部を赤子の頬に擦り付け、すぐに土方の右肩に止まった。
『ニック、方角は?その海域の方角は?』『えっ?あ、ああ・・・。東北東、十時の位置』そして実際にその方角を指差した。
「朱雀、頼むぞ。日暮れまでその海域に変化がないかをみてほしい」
「キイッ!」鋭い鳴き声で了承の意を示すと、大きな翼を広げ、空へと戻ってゆく。そしてあっという間にその方角へと飛翔してしまった。
『名は朱雀。われわれの大切な仲間だよ、ニック。賢くて勇敢な「大空の王者」だ』
『トシ、君らはなんなのだ?』文字通りその大きくて碧い双眸をぱちぱちとさせて尋ねる「海の男」。
『わたしたちは武士です(ウイ アー サムライ)』
基本に倣った文て応じてから土方は珍しく声を上げて笑った。
その足許ではわが子がその小さな相貌の眉間に皺を寄せながら笑っている。