ニューヨーク・マフィアの首領(ドン)
室内は物で溢れ返っていた。それは金に飽かせて買い揃えた結果というよりかは要不要を問わず、とにかく室内に詰め込んでおけという雑然とした感がある。
奥には食堂があり、そこで大きな体躯の漢たちが身を寄せ合って食事をとっているようだ。
室内は生活臭と喫煙の臭気にも溢れかえっていた。それらはあきらかに土方らの故国の臭いとは違っている。
二階の最初の扉の部屋だった。そこは居間らしく中央部分に木製の低い卓とその両脇に長椅子が置かれている。戸棚や本棚など、兎に角物がありすぎ雑然とし過ぎていた。
片方の長椅子にでっぷりと太った胡麻塩頭の漢が座っており、その後ろに用心棒らしき漢が二人立っている。二人の漢は幾人もの人間を殺したことのある一種独特の凄味があった。
向かいの長椅子にニックと土方が座し、その後ろに厳蕃らが立った。
『そろそろ戻ってくる頃だろうと思っていたよ、ニック』
酒と喫煙とによって潰れた声音だ。訛りをわずかに含むそれはこの胡麻塩頭の巨漢が英語圏で過ごした者ではないことを如実に物語っている。
『何年ぶりでしょうか、ドン・サンティス?お元気そうでなによりです』商人でもあるニックはさすがに如才ない。
『どうかね、商売のほうは?』ニックの連れには関心などまるでないとでもいうように、わざと無視しているようだ。
『お陰様で順調ですよ、ドン・サンティス。ところで、わたしをお探しだとベルビュー病院の義兄からききましたが?』
胡麻塩頭が縦に振られた。相貌じたいは大きいが目鼻口の一つ一つの造作は小さい。
ドン・サンテイースをみつめていて土方はある人物を思いだした。
西郷隆盛。薩摩の筆頭。あの大漢も巨躯のわりには目鼻口が小さかった。とはいえ、接点はたった一度だけだった。
京都御所での宴のときだ。西郷のことは桐野利秋や黒田清隆ら側近たちのことも含めあいつがずいぶんと惚れ込んでいた。敵、であるにもかかわらずだ。そして、それはあいつだけでなく西郷とその側近たちもあいつを買っていた。その為、あの戦で榎本総裁や大鳥陸軍奉行など箱館政府の主要人物の生命を助けることができたのだ。土方自身以外は。
あのときの戦いの采配は実際は土方が執っていた。降伏しようがしまいが土方だけは助かる術がなかった。あの戦を終結する為には人身御供が必要だったのだ。それがあいつだった。
土方自身は箱館で戦死したことにして・・・。
『「竜騎士」のことはご存知ですよね?』ニックのその問いで土方は現実に引き戻された。そして、その肩にそっと掌が置かれた。義兄だ。二、三度肩をさするとすぐに掌が離れた。それがいたわりであると同時に注意を促してのことであることは間違いない。
『この二人は伝説の「竜騎士」の叔父たちです。日の本という国からやってきたのです。わたしの大切な友人にして立派な武士です』
胡麻塩頭がまた縦に振られた。先程よりかは大きかったが、「竜騎士」の威光もこの巨躯の伊太利亜人には届いていないしそもそも関心がないのだ。
『その連中は強いのか?』小さな双眸がすっと細くなり、つぶれた声音が響いた。
その瞬間、つい先程まで奥の部屋で騒いでいた複数の漢たちが静かになった。同時に、緊張と警戒を孕んだ空気が辺りを支配する。もう何度も体験している感覚。土方は自身のなかでそのときの態勢に切り替わっているのを自覚した。
『強い?なにに対してです、ドン・サンティス?』
惚けるニックの声音もいまや緊張を孕んでいた。『世界をまたにかける海の漢』である。こういう不穏な空気をよみ、対処することに怖れや躊躇はない。
『なにがあったのです?おれの船の者が必要らしいではないですか?』
ドン・サンティスは長椅子の背に預けていた上半身を引き剥がした。前屈みになり、大木の幹のような太腿の上にばかでかい両掌を置いてそれ重ねた。一本一本指の関節を鳴らしてゆく。そのパキン、パキンという音もまた静まり返った室内に異常なまでに響いた。
土方は、その乾いた音で新撰組で行った拷問を連想した。捕らえた相手に口を割らせるため、指を一本一本折っていったときにも同じ音がした。
『最近、本国から多くの同胞がこの国に入りはじめた。本国の情勢が落ち着きつつあり、その分取締りが厳しくなったのだろう。ローマの威光もどこへやら、だな』
潰れた笑声が小さな口唇の間から零れ落ちてゆく。
『本国?シチリアのことですか?』ニックは眼前の漢の出身がシチリア島であることを知っていた。
後にマフィアとして世界的にも怖れられることになる犯罪組織の前身。規模は小さく程度も低いが、それでもこの異国の地で多くのチンピラを取りまとめ、いかがわしいことがほとんどだがときには手助けもしながら順調に活動している。
『シチリアのヴィッツイーニの幹部が渡ってきた。どうやら本家の意向らしい。ゆくゆくはこの国に拠点を移すつもりだろう。渡ってきた幹部は尖兵というわけだ。その連中がうちを潰そうとしている』
鳴らす指がなくなると、ドン・サンティスは小さな双眸で異国からやってきた漢たちを無遠慮に眺め回した。
『孫が連れ去られた。手下のをやると全面戦争になる。それで部外者で腕の立つのを探していたというわけだ』
『そんな!お孫さんのことは気の毒ですが、友人たちを危険な目に合わせるわけにはいきません。もちろん、船の者も同じです』
ニックは頭を左右に振りながら答えた。
最初からそうするよう打ち合わせていたのだ。
ここを訪れるということを決めた時点で厄介ごとに巻き込まれることはわかっていた。そして、ニックの友人たちはどこかそれを望んでいる風であった。
ニックが頭を左右に振るのは、相手の状況を哀れんだり望みを拒絶するだけの意味ではなかった。
むしろ友人たちの予言しているとおりだということ、友人たちの筋書きに沿っていること、この後もそのとおりに進んでゆくこと、それらすべてに対して純粋に驚いているからだ。




