伊太利亜酒場(イタリアン・バー)
三、四階建てのアパートメントが建ち並ぶ地区にドン・サンティスは住んでいた。
移民の数は増加の一途を辿っているものの、それに比較して生活そのものの環境の整備が追いついていないのが現状だ。煉瓦を積み上げ造られたそれらはいかにも急ごしらえの感が否めない。
この辺りは一応は商業地区のようだ。建ち並ぶアパートメントの一階部分は店舗になっており、二階より上が居住空間になっている。
ドン・サンティスの居宅の一階部分は酒場だった。
店の両脇で漢が二人立っていた。二人とも背をレンガの壁に預けて煙草をくゆらせている。頭にソフト帽をかぶっており、その下にある相貌にはいずれもただならぬ表情が浮かんでいた。白いシャツに吊りズボン、革靴という姿だ。肩からぶら下がっている拳銃嚢には左右それぞれ拳銃がぶら下がっている。
用心棒か見張り役なのだろう。
ニックらが店に近づくのを二人とも油断なくみていた。まるで鷹のような視線は、一行のすみずみまでみ通しているようだ。向かって右側の漢は痩身長躯で右頬に傷があり、左側の漢は背丈が高く横幅もある。
『ニック?』痩身長躯の漢がいった。声音が潰れておりかろうじてそうききとれた。
『やあ、カルロ、それにレオ』太った方は無言で頷いただけだ。あいかわらず煙草をくゆらせつづけている。
『二階にいる。おいおい、やけに物騒な連中を連れてるな』自身の容貌を棚に上げ、カルロと呼ばれた方がそういってからにんまりと笑った。
物騒な連中と揶揄された土方らは、とくに店に入ることを拒まれるでなく、腰に佩く得物や上着の下の腰ベルトに挟んでいる拳銃を取り上げられるでもなく、そのまま店に入ることができた。
店内は酒も喫煙も嗜まない土方にとっては気分が悪くなるほどの臭気に満ちていた。煙草の煙が濃くたち籠もっている。
右側に立ち席があり、左側には四角い食卓とそのそれぞれに椅子が四脚ずつ配されたものが何席か配置されている。
店内は客でいっぱいだ。硝子扉が開いた瞬間、騒がしかった店内が静まり、そこにいる漢たちの視線が訪れた者たちへと集中したがすぐにまた元の状態へと戻った。おそらくニックが一番最初に入ったからだろう。その証拠に、店内の中央を奥へと歩を進めるごとに、土方らの存在に気がついた漢たちの侮蔑の視線と言の葉とが向けられた。
どうやら英語ではない。同じ言語を使う者が「The lucky money(幸運の金)」号にいた。無論、船内では共通語の英語を普段は使っていたが、酔うと故郷の言の葉を用いていた。
伊太利亜語だった、と思う。
言の端々から漢たちの多くが土方たちのことを清国人と勘違いしているようだ。
このなかにいったいどれだけの漢が日の本のことを知っているだろうか?
元祖「三馬鹿」を同道させなくてよかった、と土方は心から思った。確実に一悶着起きたであろうから。ここにいる漢たちの多くが尋常ではない。すなわち極道者ばかりのようだ。上衣の下には店の入り口にいたカルロやレオと同じように拳銃を持っているはずだ。元祖「三馬鹿」なら大喜びしてここの連中と一戦交え、ことごとく再起不能にしてしまうだろう。
歩を進めながらそう考えていると、それをよんだ義兄がすぐ後ろから囁いた。「この人選は正解だったな」そしておかしそうに笑った。
確かにそうだ。それとは別の意味で無意識のうちに京時代を踏襲した人選をしていたことに気がつかざるを得なかった。子飼いの監察方に自身の二刀。あいつの代わりを義兄が務めてくれているだけだ。
眉間の濃く深い皺に呼応し秀麗な口許に笑みが浮かぶ。
気がつくと店の奥に達していた。木製の扉を潜ると踊り場だった。階上へとつづく階段がある。奥には他にも部屋があるようだ。いくつか扉が並んでいる。
縦に長いその造りは土方に京の家屋を思い出させた。自身が情報交換用に用意していた別宅もこういう造りだったのだ。
先頭のニックはすでに階段を上り始めている。
そう、この夜の本来の目的はこの上にあるのだ。
そして、土方もニックにつづいた。




