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情欲と聖なる種子


 再会ですらときがかかった。新政府の連中は調べに調べているだろう。

 新撰組局長であり箱館政府軍陸軍奉行並土方歳三は、明治二年(1869年)五月十一日、箱館戦争において五稜郭にほど近い一本木関門で松前藩の米田幸次よねだこうじという鉄砲頭が放った銃弾により腹部を被弾した。即死だった。ともに従っていた甥とともに。

 

 戦後、新政府はひそかに元新撰組の関係者を調べ上げ、その動向をある程度把握していた筈だ。それを警戒し、おれも潜伏先をつぎつぎと変えつつ流転の日々を過ごさねばならなかった。ゆえに、彼の地で新八と再会したときには、正直、涙がでそうになった。無論、そんなみっともねぇ真似はしなかったが。ああ、そういえば新八は涙流してたな。「たとえ「鬼の副長」でもくたばらずに生き残っててくれてよかった」とかなんとか、威勢のいいことを抜かしてごまかしやがったが。そしてこうも抜かしやがった。「鬼は鬼らしく思うままに生きちゃどうだい、えっ、土方さん?おれたち・・・・は鬼の手下てかとして生きる覚悟はしているぞ」と。新八の馬鹿野郎、泣かせること抜かすな。おれはとにかく嬉しくてまた泣きそうになった。このときも眉間に皺をおもいきり寄せ、ただ鷹揚に頷いただけでごまかしたが。もっとも、長い付き合いのあいつが気がつかねぇわけもないんだろうが・・・。

 兎に角、その一言がおれを彼の地から動くきっかけとなった。

 大勢で動くのはまずい。おれにはあいつが遺してくれた友が他にもいる。しかも新政府の連中もけっして太刀打ちできねぇ能力をもっている。その友がいれば、たとえ日の本の端と端だろうが連絡を密に取れるし、身の安全もある程度は確保できる。そう、あいつの育ての親の狼神ホロケウカムイ、そして大鷹の朱雀がいれば・・・。

 新八には蝦夷の神々の聖地神居古潭かむいこたん近くのアイヌの村で過ごしている野村や伊庭のことを託し、朱雀には弁天台場で終戦を迎えた島田や相馬、それと会津で生き別れた斎藤のことを託し、おれは狼神ホロケウカムイだけを連れて蝦夷を離れた。

 向かう先は尾張。

 兎に角会いたかった。惚れきった女に。きいてもらいたかった、起こったすべてのことを。かっちゃんのこと、仲間たちのこと。そしてあいつの生き様と死に様を。

 あいつは信江にとっては実の甥なのだ。詫びたかった。死なせちまったことを。

 そして、なにより抱きたかった。柔肌を吸い、女のすべてを蹂躙したかった。これがおとこの業なんだろうか?いいや、おれ自身の業か?


 狼神ホロケウカムイの背はでかくてあたたかい。その背で揺られながら、おれは昔故郷で同じように白き狼の背に揺られたことがあったことを思いだしていた。

 広くて温かい背・・・。木々を、林を、山を、道なき道をまるで飛ぶように駆け抜けてゆく狼神ホロケウカムイ。おれはその白くて柔らかい毛に覆われた背を見下ろし、あいつの小さな背を、それからかっちゃんの大きな背を、思い出しては何度も涙を流しそうになった。

 蝦夷から十三湊とさみなとへ渡り、そこから尾張へ。狼神ホロケウカムイの脚は止まることを知らず、心の準備が出来ぬままのおれがかえってその脚を止めさせ、休息させねばならなかった。一夜の野宿、早朝に朱雀が斎藤のところから飛翔してきた。

 正直、驚いた。鳥獣には人間ひととは違う波長があるのか、いずこにいるやも知れぬおれたちの元へ迷うことなく飛んできたのだから。それをいうなら、斎藤をすんなり見つけだしたことも驚くべきことだろうが。朱雀もおれたち新撰組の仲間だ。ともに過ごしたおれたちのことは、どこにいようとわかるってわけか?

 朱雀には悪いが、そのまま尾張の八神城下の外れで暮らしている信江のもとに飛んでもらう。

 そこには信江だけでなくおれの二名の旧知が世話になっているはずだ。


 総司に左之、二人との再会もまたおれにとってはたまらなく嬉しいものだった。総司などは最後にみたときには心中これが今生の別れと諦めさせたほど痩せ細ってたもんだが、そんな病に掛かってたのか?と疑っちまうほど元気で、昔と同じ姿形なりに、いいや、かえって昔より筋肉がつくまでに恢復していた。左之も上野の戦でどてっはらに風穴が開いたらしいが、まったくそうとは感じさせない。会うなり泣き笑いしながら昔の切腹し損ないの傷跡に追加されたその腹の傷跡をみせびらかしてきやがった。ああ、わかってる。それがあいつなりの気遣いだってことは。

豊玉宗匠ほうぎょくそうしょう」総司にそう呼ばれるのも、っていうかおれをそんなふうに呼べるのはあいつくらいなもんだ。句作、という新撰組でも機密事項に近いおれの趣味をとやかくいい、笑いの種にするのは試衛館時代からのことだ。

「残念でしたね。さぞ立派な時世の句が残ったでしょうに・・・」感情は豊かだがあまり人前で涙をみせぬ総司が、あいかわらずおれをからかいながらぽろぽろと大粒の涙を流しやがった。こいつにはかっちゃんのことも話してやらねばならない。なぜなら、こいつはかっちゃんのつるぎなのだから。それはかっちゃんが死んだ後でも同じこと。そう、おれにとってのあいつと同じことなのだから。かっちゃんと総司の絆は、昔はおれも羨んでたくれぇ太くしっかりと結ばれてる。それもまたおれとあいつのものと同じだ。

「すまねぇな、おれのご立派で感動的な時世の句を拝ませてやれんで。許してくれ、総司、左之」

 眉間に皺を寄せながらいい返すと、総司も左之もおれに抱きついてきやがった。

 大のおとこ三人が人様の宅の庭先で抱き合いながら泣いてるって図は、こっぱずかしくてだれにもみられたくねぇしましてや話せねぇ。

 それでもおれたちは互いの存在を感じたかった。だから傍で信江とこの家の持ち主である三佐殿がただ涙を流しながらそっと見護ってくれてたのはじつにありがたかった。


「壬生狼?」ひとしきり泣いた後、左之がひっそりと佇む巨獣をみ、満面に笑みを浮かべた。仲間内でもとくに左之は子どもと動物が好きで、あいつ自身だろうと壬生狼になっていようとも、遜色なく抱きつき頬ずりしていたもんだ。白狼のときにはその表情はわからねえもんの、すくなくとも人間ひとの子の姿形なりのときにはひどく照れた表情だったのを、このときふと思い出した。そして同時にあいつのすべてが真に演技だったのか?という疑問も湧いた。おれたちと過ごした十年近く、みてきたあいつの表情かおすべてが間者として培われた偽物だったとは思いたくねぇ。それ以前に、餓鬼の時分ころかっちゃんと一緒に泣いて怒って笑って過ごしたわずかな日々についても同様だ。

「壬生狼じゃないな?」大きな頭部を抱きしめた左之が叫んでいた。「抱き触りが違うっ!」とも。思わずおれは噴き出しちまった。当の狼神ホロケウカムイはさして嫌がる素振りもみせず、黙って抱かれている。

 左之もあいつの力を、生命いのちの欠片を継いでいる一人。狼神ホロケウカムイにはそれがわかってるに違いねぇ。

「あいつの育ての親であり獣たちの王狼神ホロケウカムイ。左之、神様だ、敬え。無礼があってはならんぞ」 笑いながらそういってやった。だが、左之も総司も真剣な表情で、改めて壬生狼似の巨獣の大きな頭を抱きしめていた。

狼神ホロケウカムイ、ありがとう。あいつを育て、おれたちと過ごさせてくれて・・・」ぎゅっと抱き締めながらそう呟く総司の言におれははっとさせられた。信江のほうを伺うと、信江も同じように白き狼を抱き締めている。

 そうだ、狼神ホロケウカムイがいなけりゃ、あいつを育てなきゃ、おれたちは出会わず、ときを分かち合うこともなかったかもしれない。もっとも、あいつの内なるものが、もとよりそうなるように仕組んだのかもしれねぇが。

 おれたちだれにとっても、結末はどうあれあいつと過ごした日々そのものに意味と意義がある。おれたちだれにとっても、だ。


 あいつのおふくろさんに会わせてもらった。正確にはあいつのおふくろさんの墓に連れてってもらった。

 信江にもおふくろさんにも報告せねばならない。

 三佐殿の住まいの近くにそれはあった。山の中で周囲には人家もなくひっそりとしてる。夜だったが、おれは一刻もはやく報告だけはしたかった。だから信江が連れてってくれた。

 二人きりになりたい、という気持ちを、信江のほうでも感じ取ったのだ。

 その夜は満月で、無数の星とともに放つ輝きは、山の中でも不自由しねぇくらいの明るさはあった。それぞれ提灯を掌に、おれたちは無言で向かった。

 虫の鳴き声、そして近くの沢を流れる水の音。山に棲まう鳥獣の息遣い。音はこれだけだ。

 墓はしっかりと手入れされているのが夜目でもよくわかった。ふとみると、そこに山百合が供えられているのに気が付いた。総司だ。すぐにわかった。なぜなら、色気もなにもねぇあいつだが、百合と桜が好きなことをおれは知っている。桜は試衛館の仲間たち全員が好きだし、百合はあいつの実の姉のみつさんの好きな花だ。

 おれは自然とその墓の前に膝を折っていた。

 腹を痛めて生んだわが子を、たった一度もその腕に抱くことなく取り上げられ、わが子の生死もわからず、その無事を信じて疑わず、その子の為に自らの懐刀で喉を突いて果てた・・・。たいした母親だと心底痛み入る。そして、その気持ちを想うと、悲しみとそれ以上にそれをひき起こした張本人たる柳生俊章やぎゅうとしあきらに激しい怒りを、底なしの憎悪を抱いちまう。


「信江、おまえもきいて欲しい」

 おれは懐からあいつに託されたおふくろさんの形見である懐刀を取り出し、そう前置きしてから報告を始めた。

 あいつと初めて出会った日野でのこと、試衛館にひょっこり現れ、おれに昔助けられた恩を返したいといい、一緒にすごすことになったこと、だがおれははっきりとそれを覚えちゃいなかったこと、京に上り新選組の一人として、あるいは帝や将軍の為に活躍したこと、多くの仲間たちの生命いのちと矜持を護り抜いた戦いの日々のこと、そして、おれの為に死んでくれたこと・・・。ここに到るまでの日々、それらをどう伝えるかということばかりを考えてた。だが、いざ話そうとすると、そんな準備の甲斐もなく、おれはただ思いつく限りのことを口の端に上らせるしかなかった。

「最期までおれのことを案じ、信江、お前のことも案じていた。父親からの命、とやらを遂行することに異常なまでにこだわっていた・・・」

 おれは怒りのあまり言を止めて息をつかねばならなかった。

 あいつが実の父親から与えられた命・・・。それは、自身を始末しろ、自身を殺れ、だ。それが実の父が子に与えるものか?武家にある「お家の為に切腹」などという類のものでもない。ただたんにあいつが金色の眼をもって生まれたばけもの、というばかばかしいかぎりの狂信じみたことによるものだ。

 おれは腰の得物を、なんの拵えもない鞘を撫でながらつづけた。これは徳川家にとっては禁忌である太刀「村雨」とは銘違いの業物で、元は信江の亡夫の持ちものだ。そして、これはその夫の祖先から引き継がれてきた疋田陰ひきたかげ流の当主の証でもある。

「この「千子せんご」で自身の頸を討ち、見事果てました・・・」

 いいや、違う・・・。おれは墓石に掌を伸ばすとそれをゆっくり撫でた。指先で感じたものは、意外にも温かみのあるなにか・・・だった。そして信江を、惚れた女をみた。あいつのを撫でた掌を、今度はあいつの叔母へと伸ばす。

「信江、違う、違うんだ・・・」すぐ傍に立つ信江を見上げ、おれは何度も同じことを繰り返し呟いた。「すまねぇ・・・。おれの所為で、おれがあいつを死なせちまった・・・。おれを生かす為に、あいつは心身ともに苦しみながら、挙句の果てには自分自身の頸を・・・」

 膝を折ってただ静かにおれの話をきいていた信江がおれの頭を抱いてくれた。刹那、おれのなかのなにか・・・が完全に断たれたような気がした。

 不覚にもおれは信江の胸元で泣きじゃくっていた。餓鬼みたいにわんわん泣きながら、おれはおれの為に死んだ二人の親友とものことをとめどなく話しつづけていた。

 信江はいっさい口を開かなかった。慰めも恨み言もなにもなく、ただおれの頭を、背を撫でるだけだ。そう、まるでわが子をあやすように。

 気が付くと、おれは信江の上になり、はだけだ着物から解放された白く輝く柔肌を貪っていた。ここが墓前であること、石畳に直に押し付けられた信江の背のことが脳裏をよぎったのはほんの刹那のことで、おれは涙を流しながら必死に女の肌を自身の舌で蹂躙した。信江の喘ぎ声が遠くできこえる。周囲を小さな無数の光が飛び交っている。蛍か?それもまたよぎっただけだ。

 経験、性分、習慣、これがどれにあてはまるのかわからねぇが、おれはあいつの母親の墓前で、あいつの実の叔母の体躯を犯した。ただ一心不乱に。さほどの時間ときではなかったろう。おれは好きな女に対しては床でのことは気を使う性質たちだ。自身の性欲を満たすだけの為だけにただぶち込んで終い、ってな無粋なことはせず、互いに納得がいくまで時間ときをかける。無論、京では信江とそうして互いに愉しんでた。すくなくともおれはそう自覚している。

 だが、このときは事情もなにもあったもんじゃねぇ。おれはずいぶんと身勝手なおとこに成り下がっちまっていた。文字通り犯す、というのが妥当だろう。信江の、大げさかもしれねぇが女としての尊厳をも奪うような形で、おれはただ泣きながら信江の中に入っていた。

 信江は、これでもまだただ静かにおれを受け入れてくれた。一つになり、男女の原始の息遣いがおれの耳朶に入ってくる。ふと、いつの間にやら側に置いていた「千子」とあいつの母親の形見の懐刀に眼を遣ると、それらが光っているようにみえた。蛍の光か、あるいは月光によるものか?はたまた、懐剣もまた「千子」ときいていたので、二本の妖刀の不可思議な共鳴か、などと漠然と考えつつ、そのまま信江の中で果てた。

 終わってから、おれはあらゆる意味で情けなかった。

 おとこなら当然のことだ。


 信江が口を開いたのは、おれが自身の身勝手さと馬鹿さかげんにうなだれているときだった。無論、互いに脱いだものは着ていたが、おれの精神こころはまだ真っ裸も同じようなものだ。

 石畳の上に座り込んでるおれを、信江はその胸に抱きしめてくれた。そのとき、その掌に傍に置いていたはずの懐刀が握られていることに気がついた。

「土方殿、心から礼を申し上げます」信江の口唇の間から紡ぎだされたそれは、信江の声音とは違うものだ。おれは息を呑んで惚れた女の相貌を見上げていた。そして、いまおれの頭を抱いてくれているのは、信江ではなくその姉であることにようやく思い至った。

 あいつの母親、であることに・・・。

「あなたの息子におれはなにもしてやれなかった。ただ語り合うことすら、おれには勇気がなくてできなかった。あいつはおれには計り知れねぇほどの力を持ち、それを限界を超えてもまだ使ってくれた。強い精神こころはいつも自身以外のものに向けられていた。自身を卑下し、責め、苦しみつづけていた。おれはそれを知っていながらただ利用しただけだ・・・。それでもあいつはおれを見捨てずともにいてくれた。あのとき出会わなきゃ、あいつは・・・あいつは」

 あいつの母親の胸に抱かれ、おれは再び泣きながらいい訳を繰り返した。どれだけいってもそれはただの言の葉にすぎない。どれだけ取り繕ってもあいつは戻ってはきやしない。

 あいつは間違いなく死んじまったのだから・・・。

「あの子はあなたになにをいいましたか?あの子はあなたに出会い、居場所をみつけました。あなたも傷ついた。ですがあなたもまた居場所があります。どうかあの子やもう一人の親友の想いを、望みを忘れず、前を、将来さきをみて下さい。お仲間とともに、どうか将来さきへ進んで下さい。あなたにはわたくしの妹が、がついています。それをけっして忘れないで下さい。あの子のことを大切にしてくれたことを、心から感謝しています・・・」

 周囲にまとわりつく空気の流れがかわったような気がした。おれがまだ相貌を上げて女の相貌をみると、そこに信江が、いつものように空いた方の掌を口許にあて、ふわりとした笑みを浮かべていた。どうやら姉に意識を奪われることに慣れているようだ。おそらくは。そんな余裕がおれの惚れきった女にみてとれた。


 おれのこのときの衝動的ともいえるこの行為・・が、人間ひととして、おとことして常軌を逸していただけではなかったことを、おれはこのとき知る由もなかった。

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