瞬発力(ハイ・パワー)と女たらし(プレイボーイ)
船員たちのだれもが東方の小さな国から乗せてきた客人たちとの別れを心から惜しんでくれた。
ささやかながらも甲板で別れの宴が催されることになった。さすがは海の男たちの巣窟だけあり、余興も「腕相撲」を行い、優勝者にはニックから賞金がでるということもあって全員が張り切っていた。
腕っ節の強くがっしりとした体躯の多い船員たちのなかにあっては、日の本の漢たちはじつにか弱くみえてしまう。一行の中では一番の巨躯を誇る島田がかろうじて見栄えがする程度だろう。
この日も曇り空。早朝より寒く、いまにも白いものが天から降ってきそうな日和。甲板で鍛錬する漢たちの吐く息も真っ白だ。
「瞬発力だ。こういうことはコツを掴めばたとえ非力であっても驚異的な力を発揮できる」
「火事場の糞力的な?」
市村の問いに厳蕃はやわらかい笑みを浮かべた。
「すこし違うがその一種ではあるな。この船の乗組員たちはみな日頃から重労働をしているから筋力がついている。否、そもそもわれわれとは体躯自体のつくりが違う。体躯の大きさはどうしようもないがわれわれもまた日頃から素振りで鍛えているので腕の筋力に関してはひけは取らぬ。後は先程申した瞬発力、だな」
「うーん、そのコツっていうのはなんなんです?」
「集中力だ。精神の統一と同時に体躯の力も一点に集中させる。すなわち、全身の力をほんの一瞬だけ腕に送るのだ」
「師匠、わたしにもできますか?」玉置が気弱な様子で尋ねた。剣術も体術も力より速さの面で鍛えているところだ。
「無論だ、良三。あの子の体術をみたことがあるかね?」
「あります、京で。わたしたちが悪漢どもに捕まったことがありました」「あったあった。あれは怖かったよな」玉置の隣でうんうんと頷きながら呟く田村の頭部を市村が軽く小突いた。「恥ずべきことをしたり顔でいうなよ」「なんだよっ!てっちゃんだって泣きそうになってたじゃないか?」「泣きそうになんかなってないっ!」市村と田村が向き合い、互いに怒鳴り散らした。「やめなよ、二人とも」おろおろと仲裁に入る玉置。
元服後も若い方の「三馬鹿」はあいかわらずだ。
「やめないかっ!あれはわれわれでも怖いと思ったはずだ。おまえたちも含めた子どもら全員が頑張ったんだ。そして無事だった。ゆえにあれは決して恥ずべきことじゃない」
さすがは気配り屋の島田である。市村も田村もともに立てながらうまく仲裁してやる。厳蕃はそれを無言でみつめながら(ああ、こういう漢こそがわれわれには必要なのだ)と心底思った。同時に、寄せ集めともいえる新撰組において漢どもの性質を見抜き、それらを適材適所に配して育てた義弟の手腕をあらためて見直した。
土方歳三は生まれながらの指導者だ。
「申し訳ありません、師匠」「いや、謝罪など必要ない」一行のなかでは一番大きな漢にふわりと笑ってみせると、厳蕃はばつ悪そうにしている若い方の「三馬鹿」にもその笑みを向けた。すでに三名の心中からその当時の状況は把握できている。
あの宴の前のことなのか・・・。甥はそのときも悪漢どもに凌辱されてやったのだ。仲間を護る為に、そして、できるだけ人間を殺さずにすむように。
「師匠、あのときあいつは大男をいとも簡単にぶっ飛ばしたんです」玉置の興奮した叫びで引き戻された。「あれはすごかったよな。なっ、てっちゃん?」田村に肘で小突かれつつ「あ、ああ、そうだな」市村は同意したが、その視線が厳蕃と合った。
「鉄、気にするなとも忘れてしまえともいわぬ。あの子がおぬしに伝えたことを、託したことを次に繋げてくれればいい」
あるとき、市村たちは行き場も希望も糧も失った志士崩れの悪漢どもに捕まった。それを察知して駆けつけた坊とともに。坊は子どもらを護る為に自身が新撰組の「鬼の副長」土方の甥だと自ら声高々に暴露した。悪漢どもが自身に喰いつくように。そして、悪漢どもはまんまと引っ掛かった。
「小さなあの子は瞬発力と相手の力を利用することで、どんな巨躯でも投げ飛ばしたり持ち上げたりできた。それはわたしでも同じだし、息子や平助、丞もおなじことだ。小柄な者が遣う常套手段だな」
「良三、おまえは背が高いんだ。おれなんかよりずっとうまくやれるって」頭の後ろで腕を組み、ぶらぶらと藤堂がやってきた。さりげなく玉置を持ち上げてやる。
「師匠、しんぱっつあんがやる気満々ですよ。腕相撲っていったら「がむしん」の十八番ですから」「なにをいっている、平助。それは酒の席での余興だろう?」「一さんのいう通り。だって新八さん、いつも呑み比べであの子に負けた上に腕相撲を挑んでそれも負けて恥の上塗り状態で泥酔、っていうのがお決まりの法則でしょう?」
「うるさいぞ、総司」その噂の永倉がやってきた。その後ろから原田が坊を肩車してついてきている。原田の肩上で童はきゃっきゃっとはしゃいでいる。
「あいつは狼の皮をかぶった大虎だ。底なし相手に勝てるわけねぇ」「そこなんですか、組長?腕相撲のほうでなく?」新撰組時代、旧知の永倉のよき相棒であり二番組の伍長を務め島田は、いまだに永倉を組長と呼んで敬意を表しているのだ。
「そういえば、師匠は酒はやらんのですか?師匠こそ大虎では?実際、大虎なんですし」永倉の問いに、大虎をうちに宿す漢が口唇を開きかけたとき、その息子と伊庭が近寄ってきた。
「父は酒は呑みませんよ。呑める性質なのでしょうけど。付き合いで仕方なく猪口を舐めて呑んでいる振りをする程度です」
そう告げてから厳周はくすりと笑った。
「まてまて息子よ、やめぬか」この先の話の展開をよんだ父が息子を制するよりも早く、「兄上は酒肴よりも色事のほうが好みなのですよ」と離れたところから女性の声音が飛んできて、当の兄の威厳をいとも容易に斬り裂いた。
「えーっ」その場にいる全員が小柄な剣豪に注目した。
「尾張ではあちこちの宿場町まで脚を伸ばし、京では祇園や島原へ。それはもうまるで嫁を娶る前の若い殿御のようにお盛んで」
「えーっ!!」全員の二度目の叫び。
「剣豪って禁欲っていう印象がありましたが・・・・」鍛錬を中断して何事かと近寄ってきた相馬につづき、野村も「いいのですか、そういうのって?」とあきらかに困惑しているようだ。
「父はこと女子のこととなるとじつにまめで・・・。ああ、裏を返せばだらしない、ということになりますか?」
いつのまにか女子にだらしない剣豪のやはり女子にだらしなかった義弟もやってきていた。自身のことを棚に上げ、ここぞとばかりに涼やかな双眸をきらきらさせながら会話に参入した。
「ほう・・・。そういえば、以前会津候が「尾張公のところの剣術指南役は相当な手練だがかなりの女たらしらしい」と笑って申されていたのを思いだしました。そのときにはぴんときませんでしたが、そうかあなたのことだったのですね、義兄上?」
「これはいったいなんだ?身内の反乱か?それに勝手な印象を抱きすぎるぞ。わたしは兵法家であって僧侶ではない。あ、いや、仏門でも妻帯を許している宗派はあるな・・・」
開き直ったたらしの兵法家の言はつづく。
「妻は亡くなっている。わたしは漢だ。なにも悪いことはしていない。相手も次から次へ、というわけではない」いいわけがつづく。あきらかに全員がひいているなかで。
「伯父上は助平っ!女泣かせっ!」
原田の肩上で嬉しそうに叫ぶ坊。だれかが笑いだした。その笑いはすぐに全員に伝染してゆく。
「みなの代弁はしなくともよい、わが甥よ」
女たらしの大剣豪の力なき諌めの言。さらに笑いがおこったのだった。
 




