破滅への道
結局半年後、紐育よりだれ一人かけることなく戻ってきた。
市俄古でピンカートン探偵社の探偵ジェームズ・マクパーランドと再会し、ジムを託した。
それから紐育へ。
約四カ月の滞在となった。
伊庭は診察や義手の調整に専念し、山崎と島田はときには相馬と野村は、情報収集や根回しに奔走した。
そして、子どもらはドン・サンティスのところで思う存分すごした。
土方の思惑通り、ドン・サンティスは大喜びした。厳蕃がつづった文と、山崎から事情をきいたドン・サンティスは、側近のカルロやレオが呆れるほどケイトをかわいがった。服やら装飾品やら、女の子が喜びそうなものを、買いに連れまわそうとした。
無論、息子らのことも、周囲に置いたまま放そうとせぬ。
が、ケイトは一般的な女の子とは違う。
ドン・サンティスの裏稼業のこと、政治や軍、経済や歴史、世界のことをしりたがった。
四人は、できたばかりのセント・ジョーンズ大学やニューヨーク市立大学にいっては、公開授業を受けたり、図書館に通ったりした。
ふだんは勉学などいやがる市村も、このときはつきあったという。
相馬と野村もまた、大学や博物館、美術館を貪欲にまわった。紐育だけではない。華盛頓や波士敦、国境をこえ、加奈陀の多倫多や小田羽にまで脚をのばし、さまざまなことを学び、みてきいた。
だが、だれものこりたいとはいわなかった。
ドン・サンティスの説得も虚しいだけだったことはいうまでもない。
残念ながら、ニックとキャスの「The lucky money」号は欧州のほうへ航海中であったため、会うことはできなかった。
ドン・サンティスは子どもたちに甘甘だっただけではない。政治家への根回し、武器弾薬の調達、いろいろと骨を折ってくれた。
伊庭ら一行は、別れを惜しみつつ紐育を経ったのだった。
戦いにあけくれ数年が経つ。
白人との、つまりはアメリカ陸軍と戦いをつづけているのはスー族だけではない。西部、南西部、北部、各地のインディアンたちが戦った。
敗れ、移住を強制されたり、虐殺されたり、いずれにしても、インディアンたちにとっては死と破滅という世界が横たわっているのみ。
大精霊ですら、もはやどうにもできぬところにまできていた。
クレイジー・ホースが死んだのは、「リトルビッグホーンの戦い」の翌年である。
アメリカ陸軍総司令官ジョージ・クルックより会談を申し込まれた。
それが偽装であることはわかっていた。ゆえに、クレイジー・ホースは拒否した。だが、派遣されてきたという政府管理官らによって、強制的に連れ去られてしまう。
クレイジー・ホースにとって不幸だったのは、土方たちがアイダホ州を拠点としているネ・ペルセ族を助けにいっていることだ。
かれは、ロビンソン砦において、拷問の上歩哨の銃剣で刺殺された。
三十六歳であった。
それが引き金になったわけではないのだろう。だが、「偉大なる戦士」の死はおおきい。あらゆる意味において。
スー族もほかの部族とおなじく、追いつめられてゆく・・・。
桜が死んだのは、日の本でちょうど桜の咲く時期だ。
否、正確には、死ぬために姿を消した。
五羽の子どもを残して。そして、伴侶も。
そのうちの一羽を、人間が育てた。「二代目朱雀」とするために。
「朱雀Jr.」と呼ばれ、若い方の「三馬鹿」やケイト、チカラが中心に育てた。
そしてついに、朱雀にもその最期がやってきた。
病や事故などではない。寿命である。




