「卑怯なり!」
『卑怯だぞ、信江。正々堂々の勝負に、かような脅しをかけてくるのか?』
至極まっとうな言のわりには、厳蕃の声音は弱弱しい。
『いやですわ、兄上。これは、わが家に伝わる兵法の一つ』
信江は微笑む。
『馬鹿もやすみやすみ申せ。わが家にかような兵法などあるものか?』
厳蕃は吠えた。が、それもまたちいさすぎる。キャッチャーの島田にかろうじて届く程度。
くすりと笑う島田。無論、マスクでそれをみられる心配はない。そして、打ち合わせたとおり、指示を送る。
一球目、二球目、ともに上手投げだ。
なかなかの球威にして球筋。
厳蕃は、どちらもみ送る。
『勝負なさい、兄上』
妹に叩きつけられ、厳蕃はおおきく構えた。打つ気だ。もう妹がなにを申そうと、打ってやるというような気概、打つ気満々の雰囲気である。すくなくとも、かような錯覚を抱かせる。
漢より豪快な型から繰りだされた球、厳蕃はさきの二球から、剛速球よみ、力いっぱい振りぬく。
だが・・・。
球は、ふらふらと飛んでいる。それこそ、蠅がとまれそうなほどにゆっくりと。そう、蠅どまり、である。
そして、球はゆるりゆるりと島田のミットにおさまった。
「くそっ」
厳蕃の呟きである。
妹に、完璧なまでにしてやられた。
頭脳戦に完敗す。
「父上・・・」
厳周は、すれ違いざま父親に声をかけた。
「女子はおそろしい。わが子よ、おまえもそろそろそのことをしっておいたほうがいい」
力ない助言に、厳周は苦笑する。
「おおげさではござりませぬか、父上?」
「そう思うなら、叔母より見事一本をとってまいれ」
この場合の一本とは、無論、本塁打のことである。
叔母上がわたしを?叔母上を、誠の母のように慕っているわたしを?どうにかするなどと、かようなことがあるものか。
厳周の心のなかでの自問自答をよんだ日の本の漢たち。だれもが気の毒そうな表情になっている。
厳周は、女子の強さを、怖さを、したたかさを、なーんにもわかっておらぬ。
『厳周っ!まさか、わたしから一本とろうなどと、不届きなことを考えているのではないでしょうね?』
打席に立ったとたん、叔母の剛速球が飛んできた。
『はあ?これは勝負です。勝負に肉親など関係ありますまい』
至極当然の返答である。
『わかりました。厳周、わたしは亡き義姉上にかわり、あなたが赤子の時分より手塩にかけて育ててまいりました』
『よーっく存じております、叔母上。いまわたしがあるのは、ひとえに叔母上のお蔭だと心より感謝しております』
厳周はバットを構えることも忘れ、むきになって叫ぶ。
なんだかんたといいながら、厳周もまた信江に弱いのである。
いまや全員が、信江の言の葉に耳朶を傾けている。
厳周のいかなる話がでてくるのか、愉しみにしているのだ。
とくに、ケイトは興味津津である。沖田もまた。無論、沖田はケイトとは違う意味で、である。
『あなたがまだ十五歳のとき、おちん・・・』
『ぎゃーっ!』
厳周の叫びは、サウスダコタどころか亜米利加中に轟いたやもしれぬ。それどころか、天国や地獄にまできこえたかも・・・。
『叔母上、卑怯すぎます。それが漢のすることですか?武士のやることですか?』
いつにない厳周の慌てっぷりとはじけっぷりである。みな、一様に驚いている。
実の父親も含めて・・・。
「わお・・・。厳周ってそうだったんだ」
沖田がつぶやく。
残念ながら、信江がなにをいいたかったのか、その心中をよむことはできぬ。が、いいかけた言の葉の断片より、推察はいくらでもできる。
無論、それは沖田だけではない。同性ならではの推察を、それぞれがおこなっている。
若い方の「三馬鹿」までもが・・・。
『なにを申すのです、この子はっ!わたしのどこが漢なのです?武士なのですか?』
信江は、真実を口の端にのぼらせる。
歯軋りせんばかりの厳周。
『漢のごと・・・』
「厳周、落ち着け。まったく、まるで母親に反抗する童だぞ。それに、これ以上申せば、おぬしは死ぬ」
眼下より放り投げられる、島田の日の本の言の葉による諫言。
「申し訳ありませぬ、つい・・・。ですが、わたしはどうすれば?み送りの三振でもすればいいと」
「正々堂々勝負すればいいではないか?おぬしは、叔母を過小評価しすぎている。つまり、みくだしている。それを、おぬしの叔母はわかっている。さあ、かまえよ。そして、おぬしの叔母の手腕をとくとみよ」
厳周は、島田の囁き声にはっとしたようだ。
無言のままバットをかまえる。
島田は、内心でおかしかった。
坊は肉親へ示す情も感情表現も不器用だが、その坊の従弟もまた不器用だ。そして、感情表現も。
無論、坊よりかはずっと豊かなのであろう。だが、幼少のころより次期柳生家の当主として育てられた厳周は、それらを無意識のうちに封じ込めていたにちがいない。
それでも、父親や母がわりの叔母から愛され育った。
坊とは違う・・・。
島田は、信江ととりきめた合図を送る。




