ジムと哀れな親子羊
『勝負だ、ジム。おそらくきみは、生涯、二度と出会えぬ二人の投手と勝負を経験することになるのやもしれぬ』
『ええ、きっとあなたのいうとおりでしょう、カイ』
ジムは迷わない。
迷ったところで、相手は人智をこえた力をもっている。
自身はきた球を、無論、みえたらの話であるが、兎に角、力のかぎりバットでふればいい。
これまでの自身のすべてを、そして、これからの自身の将来を賭け、力いっぱいふりぬけばいい。
ただそれだけである。
二球目、幼子の投球型がかわった。
下手投げだ。上手投げよりかは球威の劣るこの投法も、幼子にかかったら上も下もないようだ。
ジムは、バットを力いっぱいふった。
残念ながら、球はバットにかすることすらせず、島田のミットに吸い込まれた。
三球目。
横手投げ、厳周とおなじく、幼子の右の腕が地をなめるほどひくくはしる。
ジムは、これもまた力のかぎりふった。
が、左下方を弓なりに飛んできた球は、ジムのすぐ手前でさらに落ちた。
完璧に機をずらされた。
球は、ホームベースぎりぎりにかまえられていた島田のミットにおさまる。
いや、悔いはない。それどころか、うれしいくらいだ。
ジムの黒光りする相貌には、真っ白な歯が眩しいほどにきらめいていた。
『わたしも投げてみたい』
そういいだしたのは、無論、ケイトである。
八回表、両軍ともに女性投手を送ってきた。
信江である。
信江がマウンドに立つ。
あらゆる意味でのざわめきが、選手、観客そうほうにおこる。
打席に立つのは、その兄厳蕃である。
おどおどと、まるで借りてきた子猫のごとき表情で 打席にはいる。
『兄上、実の妹だからとて遠慮はいりませぬ』
信江は右の掌に握る球を兄に向け、きっぱりとお願いした。
『兄上、わたしの投げる球を打ったからとて、わたしは兄上のあんなことやこんなことを、みなさまにけっしてもらしはいたしませぬ』
『なっ、なにー?』
厳蕃は、気の毒なほどうろたえる。
『まてまてまて、いまさらか?過去などどうでもよいではないか、信江?』
そして、あんなことやこんなことについて、思いあたるふしがこの場にいるあまたの人間の数ほどある厳蕃は、懐柔策にでる。
「さすがは信江ね。これこそ柳生新陰流無刀どりの真髄」
それを、ダグアウトからみつめ、賞讃するケイト。
「いや、ケイト。これは意味が違うのではないのか?」
「師匠のあんなことやこんなことって、なんだろう?」
おそるおそる突っ込む野村の横で、市村はあいかわらずへらへら笑いながらずれたことをいう。
『これはきたない・・・』
ワパシャがつぶやく。
『精霊が驚いている』
そして、イスカ。
『そっか、これは人間用ではなくって、神用の脅迫ってことか』
さらにずれた解釈をする市村。
『やめてください、みなさん』
つぎのつぎの打者である厳周がついにまったをかける。
『あれは、極意でもなんでもありませぬ。ましてや神への不敬でも。ただの圧力です。父上は、昔から叔母上に圧力をかけられることだけが苦手なのです』
その説明に、(圧力だけ?)と、この場にいる全員が心中で突っ込む。
沖田が咳払いをした。
『なら、厳周も弱いんだ、その圧力とやらに』
『はい、叔母上がわたしをどうこうしようなどと、考えられませぬ』
そう告げると、厳周はバットをみ、はなれて素振りをはじめる。
いや、厳周よ。楽観しているのはおまえだけだ。女子をしらぬからそう申せるのだ。
仲間たちは、心中でそう断言する。
厳周にとってさらに気の毒なことに、弟子はきっと、信江からそれも踏襲されるのであろうな・・・。
仲間たちは、そう思うと哀れな厳蕃親子が気の毒になるのであった。




