苦無(くない)の語り
だれにもみられたくなかった。邪魔をされたくなかった。
船の艦橋の上に上ることなど簡単なことだ。無論、厳蕃にとってはということだが。
甲板の灯火はここまで届かない。ゆえにここには闇しかない。み上げても月どころか星一つ瞬いておらず、厚く垂れ込めた雲がただ漆黒の闇を落としているだけだ。
まるで自身の精神のようだ。この闇こそがそもそもの発端なのだ。
胡坐を掻くその膝頭の先に懐中から取りだした布包みを置いた。それをめくると借りた二本のくないがあらわれた。闇が視界を奪うことはない。強いていうならほとんど視えぬ左側の瞳にはそれがよくわからぬだけだ。
そう、金色の瞳の側は視えている。だが、左側が生まれつき弱視だった。一度目の立ち合いでそれに気がついたというのだ。さすがはあの子だ。
二本のくないは、元の遣い手が死した後はその遣い手の主が手入れしていたのだろう。いまだにその鋭さは保たれたままだ。ずいぶんと遣い込まれているそれは文字通りあの子の人生そのものといってもけっして過言ではない。
指が五本あるほうの掌で二本のくないを掴み上げた。その刃はまさしくあの子自身。この刃が吸ってきたのは血。斬ってきたのは骨と肉。そして絶ってきたのは生命・・・。
もはやくないに詠唱や同化の儀式など必要ない。これだけ思い入れの深い得物だ。そして、くないもまた語りたくて仕方がないのだ。待ってくれていたのだ。聴いてくれることを。
情けないが勇気がなかった。だからいままで避けてきた。だが、これ以上先延ばしにはできない。できない理由ができてしまった。
「待たせたな」口中で呟くと、あの子の二本の命は同時に語ってくれた。
あの子の人生を。あの子のすべてを・・・。
嗚咽が漏れ、とどめようにも止まらぬ涙。二本のくないを握ったまま泣き崩れてしまう。
あのとき、あのときなにゆえ止めきれなかったのか?あるいは、なにゆえあのときに斬っておかなかったのか?
うちなるものなど関係ない。さらにいうと護り神としての役目も。関係ないのだ。すべては自身の所為。自身の所為なのだ・・・。
あの子が柳生の為を、厳蕃自身やその家族のことを考え、そして気を遣うことなど最初からわかっていた。
「辰巳、尾張で修行しないか?ともに精進すれば互いに相手に不自由することもない」
誘ったときに浮かんだ表情。幼いあの子の相貌には、戸惑い、驚き、嬉しさがたしかに混じりあっていた。しかし、それが悲しみのそれへとかわるのにさほどときはいらない。
「ありがとうございます。そうですね、尾張で修行できたらどれだけ愉しいことか・・・。ですが、わたしは柳生を、剣の道そのものを穢してしまいました。これは許されるべきことではありませぬ。それに、わたしが尾張にいれば、必ずや災いを招くでしょう・・・」
たった七つ童がいうことなのか?そういわせる背景、そして人間に対していいようのない怒りが募った。
いや、江戸と尾張の確執、暗殺の善悪、そんなことで止めたわけではなかった。違ったのだ。
わたしに、あのときのわたしに勇気があれば、人間を殺す勇気さえあれば、あの子の苦しみはすこしはやわらいだはずだ。
わたしに人間を斬殺する勇気さえあれば・・・。
二本のくないは、初めてあったときまでの、それからそのとき以降のあの子の血に染まった過酷な道を示してくれた。
その数は、わたしがあの子の秘事を護る為に殺した公卿や武家の者、さらには尾張公の為のそれの数と比較しようもないほどだ。
大量殺戮、まさしくこの表現が適切だろう。
そして、それがあきらかにうちなるものによる人間の淘汰であることがわかっているだけにあの子は苦しんだのだ。
幼きあの子が苦しみぬいたその先にあったものがなにか・・・。




