野球馬鹿なのか?マジ馬鹿なのか?
「新八、もうそろそろ勘弁してくれよ」
上半身裸の原田は、相貌も上半身も汗まみれである。それだけでなく、膝丈までのズボンも汗でびしょびしょに濡れている。
「このくらい、槍の稽古もしてもらいたいもんだ」
「ぶつぶついってんじゃねぇ、左之っ!」
十間(約18m)ほどはなれたところから、永倉が怒鳴った。
肩にバットを担いでいる。
原田は、打撃投手としてすでに一時(約二時間)ほど投げつづけている。否、投げさせられている。
どちらも、すさまじいまでの持久力であろう。
この時代、ピッチャーマウンドから打席までの距離は七間半(約14m)ほどであった。日の本に伝わった時分のことである。
この時代、下手投げが主流であった。ゆえに、現代ほどの距離はない。
下手投げ、横手投げ、と亜米利加の玄人の投手たちは剛速球を投げた。
だが、チーム土方はちがう。
剣術の要領で上手投げを試したところ、こちらのほうが速い。よって、チーム土方では上手投げが主流だ。
そのため、投手と打席間もはなれているというわけだ。
その距離は、現代のそれとほぼおなじである。
ちなみに、亜米利加のリーグで上手投げが解禁になるのは、1880年代も中頃のことである。
「まだまだ打ちたりねぇんだ」
「おいおい、おまえは打ちたりなくっても、投げてるおれの肩は悲鳴をあげちまってる」
「なんだと?そんななまっちろい肩なんぞ、猫にでも喰わせちまえ」
「馬鹿いってんじゃねぇ!もうやめだ。おまえに潰されるなんざごめんだ」
ついに仲間割れだ。
ここにも、野球にすべてをかける馬鹿が一人、というわけだ。
無論、それは永倉で、打倒厳周であることはいうまでもない。
そこに通りかかったのが、幼子と白き巨狼だ。
『なにを揉めておるのだ?』
笑いを含んだ思念に、永倉と原田が同時にそれぞれのいい分を唱えだす。
『ふむ。練習熱心なのはいいことだな。なれば、槍遣いにかわって投げる者がおればよいのであろう?』
「あぁまあな。だが、いったいだれが?まさか壬生狼、あんたが?いったいどうやって・・・」
『馬鹿なことを申すでない、がむしん。いくら最強かつ、み目麗しき獣神といえど、この四肢でどうやって投げよと申すか?』
「口とか?」
「だめだ、新八。イヌ科は球を投げるんじゃねぇ、人間が投げたものを追いかけ捕るが大好きなんだよ」
『馬鹿にするな、槍遣いっ!』
原田の言に、すぐに突っ込みを入れる白き巨狼。
『それは犬だけだ。わたしをみよ。偉大なる狼神にして・・・』
「ワンワンはできぬってわけだ。なら坊、投げてみろ。あのうすらとんかちの巨躯に向けて思いっきりぶつけてやるんだ」
『神の話をきけい、槍遣いよっ!』
「左之ってめぇっ、どういう料簡だっ!うすらとんかちにぶつけろとはっ」
神と人間の思念と声音がかぶる。
だが、それらをぶつけられた者はきいちゃいない。それどころか、幼子に投げ方の伝授をしている。
「いっくよー、新八兄っ!」
そして、幼子もわが道をゆくだ。
小さく分厚い掌で握った球を夕焼け空へと突き上げ、投げることを宣言してのける。
「仕方ねぇな・・・。さあこいっ」
そして、永倉もまた幼子に弱い。
仕方ない、付き合ってやろうとバットを構える。
両の腕が夕焼け空へと振りかぶられる。同時に、左の太腿もゆっくりたかくあがってゆく。
(へー、きれいな型だ。さすがは厳周の従弟・・・)
真っ赤に染まる大地に、絵に描いたような美しい型がじつによく映えている。
永倉も原田も心中で嘆息する。
「ひゅんっ!」
耳朶が真剣で空気を斬り裂くがごとき鋭い音を捕えたときには、手遅れである。
バットをかまえる永倉の拳のすぐ下を、一陣の風が通過したあとであった。
刹那、五間(約9m)ほど先にある小ぶりの岩が砕け散った。
「なっ、なにいっ!」
『神様!』
系統違いの神への救いがかぶる。
「なんでジーザスなんだよ、壬生狼?新八、逢魔時だからみえなんだ、なんてうそぶくじゃねぇぞ。それとも、老い眼か?それに坊、めっだぞ。貴重な球が破けてしまったではないか?」
原田は、順番に突っ込んでゆく。それはじつに冷静かつ的確なものである。
『たまには系統の違う神もこきつかってやらねばならぬでろうが!否、そこではないぞ、槍遣いっ!』
「そこか?かような問題か?それに、おれは闇のなか、弾丸だって両断できるんだぞ?老い眼なわけがなかろう?」
「ごめんなさい、左之兄。新八兄がかっとばしてくれると・・・」
はなれたところで、その様子をみている一団がある。
『ジム、きみの決断を心から祝福するよ』
沖田は、長身のジムをみ上げにっこり笑っていった。
『変人集団からの脱出だ』
さらにひろがる笑み。
ジムが沖田をみ下ろした。
『なんだよ、総司。他人のこといえるのか?おまえだってたいがいだぞ?』
即座に突っ込む藤堂。
その隣で、斎藤に伊庭と山崎、相馬に野村がうんうんと頷いている。
沖田は、藤堂に視線を向けることなくその後頭部を掌ではった。
『ジム、寂しくなるよ』
沖田の笑みが、寂しげなものにかわった。
『肌の色のこと、歴史的な背景、そのほかのことでこれから大変だと思う。でも、きみがそれらに立ち向かってくれることを、そして、負けぬことを信じている。ここでのことがすこしでも役に立ってくれることを、わたしたちは祈っている。いや、こういうことは師匠か「偉大なる詩人」が伝えているかな?』
『ソウジ・・・。ありがとう』
ジムは、沖田の視線をしっかりと受け止める。
『総司、また副長を悪く申したな?ジム、誤解のないように申しておくが、副長は偉大だ。日の本では、その偉大さに敵が怖れを・・・』
『一君、過去のことはいいんだよ。ジムには関係ない。ジムには、未来をみ、あゆんでもらわないと』
『ほう、「魁先生」も、たまには粋なことを申すのだな』
『八郎君、失礼じゃないか』
『いつも思っていましたが、「サキガケセンセイ」とは、どういう意味ですか?』
『先陣をきる兵士、という意味だよ、ジム。平助兄は、つねに先陣をきる、勇敢な漢なんだ』
相馬のわかりやすい説明に、横から『ちっちゃいけど』と野村が茶々を入れ、藤堂が拳固をくれる。
ジムは一つおおきく頷いた。
藤堂だけではない。ここにいる全員が、偉大で勇敢な漢である。
それを強く感じている。
そして、自身もそうであれとあらためて誓った。




