父子 そして 母子
息子のほうがそっと指先で双眸を拭う。それから、父親を、そっとうかがった。
流れる涙を拭おうともせず、義理の弟とその仲間たちを、み護っている。
「誠に馬鹿な甥だ。頑固で不器用で、どうしようもない甥だ・・・」
息子の視線に気がついたのだろう。父親の口唇の間から、その呟きがもれでた。
「従兄殿は、誠に叔父上のことが好きなのですね」
その一語に、父親が息子をみた。
「どういう意味だ?」
そして、鋭く尋ねる。その勢いに、息子はたじろいでしまった。
「父上?わたくしは、従兄殿が心底慕っているのかと・・・。父上、いったいなにが、従兄殿との間になにがあったのです?」
「・・・」
厳蕃は、厳しい表情で息子にちかづいた。つぎは厳周もたじろぐようなことはない。わずかに困惑気味な表情を父親似の相貌に浮かべてはいるものの、しっかりと父親のすべてをうけ止めた。
「従兄殿の、従兄殿の誠の父親は、いったいだれなのです、父上?」
厳周は、相手を、父親の気持ちをやわらげるかのようにやわらかい笑みを浮かべつつ、掌を父親の四本しかない掌へと伸ばし、それを撫でた。
その冷たさに、心中で毒づきそうになったのを、必死でこらえる。
父親は不老。いまはまださほど感じはせぬが、自身が年齢を重ね、心身ともに老いを感じるようになってくれば、おのずとそれを実感することになるだろう。
そして、老いた自身の瞳は、いまのままの父親をみるに違いない。
否、いっそそれならばまだいいのやもしれぬ。
自身がおそれているのは、父親が生きいそいでいるのではないのか、ということ。
従兄や仲間たちの為に、もろもろの事情と感情の為に、父親はみずからの生命を絶とうとしてしまうのではないのか、ということ。
「父上・・・」
呼びかける声音は、不安で揺らめいているのが、自身でもわかる。
「厳周・・・」
その息子の意識をよんだのか、父親がなんともいえぬ表情で口唇を開きかけた。
『おわったようだな・・・』
その機で、呼びかける思念。
白き巨狼であった。とことこと駆けてくると、二人の間をうろうろしている。
厳周にとっても厳蕃にとっても、大切ななにかを伝えることを、あるいは伝えられることを、失われた機となったのか・・・。
「馬鹿な子ね」
叔母に背後から囁かれても、辰巳は岩に腰かけたまま身じろぎひとつせね。
否、厳密には華奢な両の肩だけが震えている。
いまは、幼子の姿だ。
すでに暗示はといている。
「誠に馬鹿な子よ」
信江は、遠間の位置からおなじ言の葉を小さな背に投げつけた。
信江には、辰巳のこだわりがわからない。否、わかっているつもりではいる。
父と母への想い・・・。
だが、そもそも辰巳は土方を主とあおいでいる。親友でもなく、あるいは兄や叔父や父といった感覚でもなく・・・。
もはや子として、父親という概念からも逸脱してしまっている。そう、父親としてみていおらぬ。それをあと数年、このままの状態を維持しようとしている。
正直、意味をなさぬと思う。
「だれにとっても、あなたのしていることは無益だし罪深いこと。それを重々承知の上で、あなたはつづけているのです」
信江は、小さな背に非情極まりないことを投げつけた。
反応はない。
だが、その小さな背はいっている。
『生んだことを後悔しているのだろう』、と。
涙でかすむ瞳で、信江はそれをはっきりと自覚した。




