沖田と原田 VS.辰巳
「くそっ、この霧はなんだ?」
原田は、自身の背にいる沖田に尋ねる、というよりかは独語した。
「幻覚じゃないんですか?ほら、インディアンたちがみるような」
沖田の冗談めかした言も、いつもと違って緊張をはらんでいる。
「幻覚?それをいうなら暗示だろうが・・・」
原田は、愛槍をまっすぐまえへと突きだしてみた。穂先どころか、手許すらみえぬ。
やはり暗示なのだ・・・。
「左之さんっ!」
沖田の一喝。だが、すでに原田もそれを感じていた。
「きんっ!」
金属同士が衝突した際の耳障りな音が耳朶に飛び込んできた。そして、白濁のなかに火花が散る。
原田は、息すらできないでいた。突きだした槍の穂先は、あいかわらずなにもみえぬ。が、それを握る掌はなにかを感じとっていた。強い敵から一撃を受けたときに感じる独特のざわざわした感じ、だ。ほとんど重みを感じることはない。だが、たしかにいる。白濁した世界のなかに。厳密には、自身が握る槍の先、太刀打ちのあたりに・・・。
「総司っ」
原田は、自身の背にいる沖田の背を石突でそっと突いた。これだけで「三段突きの沖田」にはわかったはずだ。
原田は、槍を握る両の掌を柄から離した。ものの見事に。重力に逆らうことなく、槍が地面へと落ちてゆく。同時に体躯を左斜め後ろへとひいた。入れ替わりに、反転した沖田の「菊一文字」の一段目が霧のなかへ吸い込まれていった。さらに二段目、三段目。
「かつんっ」
槍が地に落ちた音がやけに大きく響く。
原田は長い脚を伸ばした。槍の柄を乗馬靴の先でひっかけ、宙に浮かそうとしたのだ。無論、脚先すらみえぬ。だが、落下したのはすぐ足許。感覚で手許に戻すことなど造作ない。
「・・・!!」
乗馬靴の先にはなんの感覚もない。
(馬鹿な・・・)これが素足に草履だったら、確実に感じられることだ。乗馬靴を通してだからか・・・。
これらはときにすれば瞬き二度ほどのこと。すぐ前方では、沖田の得物が白濁した世界を斬り裂くするどい音がしている。
「ちっ!」
舌打ちが、沖田の焦燥を顕著にあらわしている。
沖田は天才だ。無論、剣術の意味においては、という意味でだ。永倉や斎藤に病でおくれをとったとはいうものの、もともともっている感覚は沖田が一番であろう。
その沖田ですら、坊と比較するとまるで大人と子どもほどの、否、もはや比較することじたいおかしいほど違ってしまっている。
そんなことを考えるまもなく、宙空を斬り裂く音がした。これまでとはその大きさが違う。
「・・・!」原田は戦慄した。
なぜなら、いまのその音は自身の愛槍が空気を斬り裂く音だったからだ。
もっとも、自身のそれよりも鋭いが・・・。
「がっ!」
短いその音は、なにかがあたったのか?もはや予見すらできぬ。その直後、ぱちんと乾いた音が響き渡る。
わずかに霧が晴れた。
原田は、沖田が自身のほんの間をあけた右横に立っていたのを、そのときはじめて知った。
そして、自身の手許に差しだされた愛槍の柄の存在も・・・。
「坊・・・」
沖田の呟き。その沖田には、「菊一文字」の柄が差しだされている。
不覚にも、原田はなにもいえなかった。ただ呆然とそれをみるしかなかった。
片膝ついて控えた姿勢で、右の掌には槍の太刀打ちを握り、左の掌には刀の峰を握り、それぞれの持ち主へさしだしている相手。
頭を垂れてはいるが、その小さな体躯に擦り切れた着物に袴。それは、紛れもなく原田と沖田の大切な弟分であり、生命の恩人であった。