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親子対決

 道場で最後に稽古をつけてもらったのは皆伝を得る前だった。息子が皆伝を得てから父親は道場にでることはめったとなく、それどころか屋敷に、さらには尾張にいることさえ少なくなった。こうして相対するのはじつに八、九年振りだろうか。まさかかような異国の海域の船上でその機が巡ってこようとは、つい先年までは想像すらできなかったことだ。

 船上ここでは狭すぎ、あまつさえ人が多すぎる。互いに力の半分も出せば怪我人や船そのものも破壊しかねない。

 今回は抜刀術で勝負することとなった。

 死力を尽くせないのは残念だが、それでも同じ土俵の上で剣技を競えるのだ。故国にいた頃よりずいぶん恵まれたと前向きに考えることにした。

 仲間たちが後押しをしてくれた。力が、勇気が漲る。そして、従兄の力を継いだ四人から父親の弱点を教えられた。実戦と口頭によって。

 実の父親のそれをまったく知らなかったし気づきもしなかった。正直、それは弱点に対してというよりかは子として気づけなかった、ということに衝撃を受けた。同時に、それを従兄弟たちは気がついたということにも驚かされた。それがけっしてうちなるものの力によるものではないということがわかっているだけに自身の不甲斐なさを痛切に思い知らされる。

 

 たった一度の機会チャンス。たった一度の抜きの勝負。技よりも集中力が試される。

「関の孫六」の柄頭を前半まえはんの位置にし、柳生厳周は摺足で音もなく中央に進みでた。

 そこではすでに相対する父親が腰の「村正」の柄を前半の位置にし待っている。


「両者、礼、はじめっ!」

 決勝戦の審判は土方が務めた。開始を宣言してから一歩下がった。柳生の剣士たちは腰を落とし左掌を鞘に当て、丹田の前辺りで右掌は広げたまま向き合っている。その姿勢のままときが過ぎてゆく。どちらもまったく微動だにせず、みている見物人たちのほうが痺れを切らしてきた。

「すごいな。いつまで睨み合うんだろう?ここでわっと叫んだらどうなるのかな?」

 だれにともなく呟いたのは市村だ。その隣の玉置は、勝負よりも肩に舞い降りてきた大鷹の朱雀にご満悦だ。京で初めて朱雀をみて以来、すっかりその空の王者の信奉者となってしまった。ことあるごとに触れ合いスキンシップをとりたがった。そして、人の良い、否、鳥の良い朱雀は、嫌がることなくその触れ合いスキンシップに応じ、いまでは玉置とすっかり仲良しになっていた。

「気づくものか。居合いでの勝負はたった一度きり。一度で相手を倒さねば自身が殺られる。集中力こそが重要なのだ。たとえいまこの船が沈もうとも気づきやしない」

 自身でも居合いを好んで遣う斎藤が説明する横で藤堂の口の端がむずむずと動いている。「それはさすがに気がつくでしょう?」と突っ込みたいのを我慢しているのだ。

 剣士たちに痺れを切らす者はなく、先程まで口喧嘩していた育ての親に跨る赤子ですら真剣な表情でそれをみつめている。

 太陽は大分と傾いており、間もなく水平線の彼方へと姿を消すだろう。

 どのくらいまでこのまま睨み合っていられるのか?だれもが素朴な疑問を抱いていた。

「姐さん、どうですかね?」原田が全員を代表して柳生の女剣士に尋ねた。

「さあ、どうでしょうか?集中力、という意味では何日でも。ですが、生理現象、という点では半日が限界ではないでしょうか?」

「なるほど・・・」その答えはいやに現実的でだれをも納得させた。


 父親が息子にふわりと笑ってみせたのは、勝負開始後 半刻はんときは経過した頃だ。息子のほうは笑みを浮かべる余裕がなかった。そのかわりに動いた。ついに父親の挑発に乗ってしまったのだ。 前半まえはん、つまり丹田の前にある鞘から「関の孫六」が抜き放たれ、それはそのまま右側面から父親をなで斬りにしようとした。無論、それを感じ取れたのは剣士たちの中でも数名。そして、それは途中で軌道が逸れた。人間ひとの非可動域にもかかわらず右手首が柔軟に返され、そのまま右から左下方へと「関の孫六」の刀身が走り抜ける。それが斬り上げられた。そして、再度起動がかわり息子の得物の切っ先が父親の左瞳ひだりめを襲った。

 これは感じ取れなかった。みている剣士たちのだれにも。

「ぐっ・・・」息子の口唇の間から詰めていた息が漏れた。ときも動きも止まった。否、止められた。

 息子は自身のみているものが信じられなかった。信じたくなかった。幼少より得意の抜刀術の研鑽を積み、これはこれまでの中でも最高の域に入るまでの速さだった。しかも父親の弱点を狙ったものだ。それにもかかわらず・・・。

「よくぞここまで成長したものだ、息子よ。「大太刀」に挑戦してみるのもいいかもしれぬな」

 懐のうちどころか心の臓の音が聞こえるほどの位置で父親が囁いていた。右掌には父親自慢の妖刀「村雨」が握られている。その切っ先には息子の咽頭が。そして、息子の自慢の業物「関の孫六」の切っ先は、父親の左の人差し指と中指とに挟まれていた。

「愉しまねばな、たとえ緊張と重圧のうちにあっても・・・。さらにわたしを愉しませてくれ、息子よ。つぎは互いに持てる力をぶつけ合って愉しみたいものだ。そういう機会チャンスが訪れてくれることを祈っておこう」

「関の孫六」が開放された。それが力なく下がってゆく。呆然とする息子の頭部を父親がいまは空いた左掌で自身の左肩へと引き寄せた。

「おぬしも気がついたか、わが弱みを?なれど弱みは克服できる。あの子と一度目に勝負した際には克服できていなかった。そして、二度目の勝負では克服できていない振りをした。もっとも、あの子も気がついただろうがな。それでも完全に克服できるものでもない。そのこともあの子は気がついたのだ。わたしも鍛錬が足りぬというわけだ。それは抜きにしても恐れ入ったことにかわりはない。自慢の息子よ、驕らずこのまま仲間たちと研鑽をつづけよ。そして、父亡き後柳生の名を次へと繋げてくれ、よいな?これはおぬしにしかできぬことなのだ。頼んだぞ」

 父親の左肩に額をつけた姿勢で息子は流れ落ちる涙を留めることができずにいた。

 涙を流す理由わけが勝負に負けたことによるものでないことだけは確かだ。


 武士さむらいたちによる勝負は、柳生厳蕃が最頂点に立った。  


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