魁兄さんが大好きな暗殺者
辰巳は、あゆみをとめた。石ころが草履にあたった。
辰巳は昔、京にいたときの姿なのだ。
沖田のお古の着物と袴。それは、着古しあちこちほころんだり擦り切れたりしていた。
主が信江としりあってからは、信江の死んだ息子、辰巳の従弟のお古をその身にまとった。
懐かしい・・・。あの時代が・・・。
気配を感じ、辰巳はその気配のほうへと体躯ごと向き直った。
巨躯が遠間のそとにあり、そこから辰巳をみている。
「これは反則だ。みなを見張っておかねばならぬのに。参ってはならなかったのに。会ってはならなかったのに」
島田は、呪文のように口唇の間から言の葉を紡ぎだした。それから、鼻水をすすり上げる盛大な音を発した。
すでに両の眼から大量の涙が零れ落ちている。それは、みるみる足許の土を濡らす。
「否、おれが呼び寄せたのです、魁兄さん。おれがあなたに会いたかったから・・・」
辰巳は、昔、使っていた自身の呼称を使った。そう告げながら、自身から島田にあゆみよる。
「京にいた時分のままだ、坊」
涙声だ。その島田の巨躯に辰巳は抱きついた。
「あの時分より、すこしは背がたかくなっているよう暗示をかけたつもりなのに・・・」
巨躯にすがりついたままいう冗談もまた、涙声だ。
「ならばそれは失敗だな、坊?」
そして、二人は泣きながら笑った。
そうとわかるようかすかな気を発しつつ、月と星星の明かりの下、小さな影が揺らめいている。
お座りし、口吻を天空へと突き上げていた白き巨狼は、ゆっくりと立ち上がった。かすかな空気の亀裂を作り、白いもふもふの体躯はあっという間に挑戦者たちの背後へとまわった。
『これは八百万の神々(ゴッズ)とはなんの関係もないとは思っていたが、どうやらどこかのもの好きな神が気をきかせてくれたらしい。望む「試練を与えし者」をさし遣わしたようだ。さあ、いかがいたした?存分に戦え、そして、認められよ』
思念が挑戦者たちの心の奥底までしみてゆく。だが、だれも微動だにしない。否、できぬのだ。
これだけ切望してきたというのに・・・。
「叔父上、叔父上」
馬鹿ながい大太刀を鞘から抜くこともままならず、両の掌に握ったまま呆然とその気へ視線を向けている土方に、厳周はみるにみかねて囁きかけた。が、その囁きすら耳朶に入らぬのか、土方は視線を前方、霧へと向けたままだ。
「どうした、みな?子犬ちゃんの申すとおりだ。緊張や不安で動けぬうちに、「試練を与えし者」にやられてしまうぞ。いつも申しておるとおり、挑戦者にたいして「試練を与えし者」は容赦ない。こちらの都合など関係ないのだ」
厳周の父親たる厳蕃もまた、土方だけでなく同様に前方の霧をみつめたまま動かぬ全員を叱咤するが、これもまた同様に、容易にはきりかえができぬようだ。
「厳周、ゆけ」
ややあって、厳蕃は息子にいった。霧を形のいい顎で指し示す。
「はい?」
厳周は、頓狂な声音で叫んでしまった。
「ゆけ、とは・・・。まさかわたしが?わたしは挑戦者ではありませぬ。もう懲りております。ここは父上、父上こそが適任かと」
「馬鹿を申すな。年寄りのでる幕はなし。ここはやはり、若者に先駆けをゆずって・・・」
『臆病者どもめ』
思念が親子喧嘩に終止符を打った。
『四の五の申さず、二人で同時にかかれ。もっとも、前回のことを鑑みても、同時にかかったとてずたぼろにされるのは瞳にみえておるがな。仕方がない。この年ふる神もともにいってやろう。ゆくぞ』
白き巨狼は、思念を終えるなり駆けだした。その先には、霧があり、霧はいままさに一行を呑もうとひたひたと迫りつつある。
「よいか、惑わされるな。遭遇したら全力で戦うのだ。厳周、参るぞ。われら親子が先陣をきる」
「叔父上、みなさん、ご健闘を祈ります」
そして、柳生親子も霧のうちへと消えていった。




