ジムとサムライ
『ジム、ジム、すこしいいかな?』
夕餉のまえに、厳蕃は憂慮の一つを片付けておこうと思った。
ゆえに、近くの沢へとあるいてゆく、その大きな背によびかけた。
『トシシゲ、なんでしょう?』
ジムは、空桶を右から左の掌にもちかえながら振り向いた。
厳蕃は、間合いを気にすることなく近づいた。
『かように背が高かったか・・・?』
厳蕃は、その長躯をみ上げた。自身がたいそう小さく、貧弱に思えてくる。
出会った時分と比べても、筋肉がつき、いい体躯になっている。なにより、精神が違う。
厳蕃は、ジムなら今後、一人でもしっかり人生をあゆんでゆける、とあらためて確信した。
『本来なら義弟が話すべきなのだろうが、今宵、義弟はちょっとしたことがあって、気もそぞろでな・・・』
厳蕃は、どうでもいいことをいっていた。やはり、きりだしにくい。
『トシゾウの亡くなった甥があらわれるかもしれない、と』
黒い相貌のなかの黒い瞳は、とても柔和で心やすまるものだ。厳蕃は、しばしそれに魅入られた。仲間のだれ一人として、ここまで穏やかな瞳をもつ者はいない。子どもたち、否、かれらももう子どもではないが、かれらの子どもの時分であっても、もっと鋭くぎすぎすしていた。
そして、出会った当初は、けっして瞳を合わせようとしなかったジムが、いまではしっかりと視線を合わせている。
『トシシゲ、大丈夫ですか?』
『あぁすまぬ。あまりにもきれいでやさしい瞳なので、ついみとれてしまった』
厳蕃は、めずらしく照れ笑いを浮かべた。
『それをだれから?あぁわかった、子どもたちであろう?』
その推測に、ジムは声をあげて笑った。
『トシシゲ、かれらはもう子どもたちではありませんよ』
『承知している。だが、義弟やわたしの精神では、かれらはまだまだ子どもなのだ。あぁ子ども扱いという意味ではない。子どもの意味だ』
『ええ、わかるような気がします』
どちらからともなく、沢にむかってあゆみはじめていた。
枯れ木が数本、それと、まばらに生えた草・・・。それ以外は、石ころや岩がごろごろ転がっている。
土の上の焦げ跡・・・。これは、第七騎兵隊が駐屯していた名残だ。
『死んだ甥は、義弟にとって、かけがえのない友の一人でな。かれには、もう一人親友がいた。それは、総司の父親がわりともいえる漢だ。ここにいるだれよりもブシ、サムライだ。義弟は、その親友を、ほぼ同時期に亡くしたのだ・・・』
ジムは、あゆみをとめると厳蕃をみおろした。双眸を瞬かせる。
『それは、辛かったでしょうね。かれも死にたかったに違いない。あなたがたをみていたら、なぜかそう思えるのです。あなたがたは、だれもが自分のことよりも、まず仲間のことを優先する。それは、アメリカ人とは違う感覚です。トシゾウは、ときどき辛そうです。そんなことがあったなんて・・・。かれは、つくづく強い人だ』
『なんだって・・・』
厳蕃もまたあゆみをとめ、ジムをみあげた。柔和な瞳には誠実さもうかがえる。
『トシシゲ、あなたもおなじです。あなたもときどき、つらそうだしさみしそうだ』
厳蕃は、なにもぶちまけてしまいたい誘惑に駆られた。だが、すんでのところで思いとどまることができた。
ジムをいたずらに混乱困惑させるわけにはゆかぬ・・・。
『かもしれぬな・・・』
ジムから視線をそらすと、厳蕃は嘆息しつつ視線を空へと向けた。赤色がまさっており、もう間もなく闇の色に染まりきってしまうだろう。
『ジム、われわれにはエニシ、という言葉がある。縁、だ。すべてがこのエニシに集約されている。すくなくとも、われわれはそう信じている』
空からジムへと視線を戻し、ふわりとした笑みを浮かべる厳蕃。
ジムは、厳蕃がいわんとすることに気がついた。
『あなた方に拾っていただき、しばらくともに過ごさせていただいて、わたしもエニシを信じるようになりました』
やさしきジムは、厳蕃に告げさせるようなことはない。
『それから、あなた方全員に感謝しています。すべてを。わたしは、一生涯あなた方と過ごしたこの数年間を、ここに大切に・・・』
ジムは、桶をもたぬほうの掌を自身の胸にあてた。
『しまっておくでしょう』
その双眸から、涙が一滴二滴と落ちてゆく。
それらは、乾いた地をぬらした。




