プレーリードッグさん
『おいおい、なにを考えておるわが子よ?自身で焚き付け、どうするつもりなのだ?』
挑戦する者たちは、最後の調整とばかりに鍛錬をはじめた。
そして、土方は一人になりたいと、ブラックヒルズのなだらかな山道を登っていってしまった。
「ふん、よからぬことでも考えておるのだろうが」
白き巨狼の思念に、厳蕃は鼻を鳴らした。幼子の美しいともいえる相貌に皮肉な笑みが浮かぶ。
「これは異なことを。叔父上と叔母上がどうにかしろとおっしゃるので、わたしがどうにかしようとしているのです。それをよからぬ考えとは・・・」
「きっと、挑戦しない者も会いたがる。自身のまいた種だ。辰巳、いっそ全員に暗示をかけ、在りし日の坊の姿を存分にみせてやるといい」
「兄上っ」
「父上っ」
厳蕃のあまりにもの言に、信江と厳周が同時に叫んでしまう。
『静かにせよ、いつどこでよまれるやもしれぬ』
「申し訳ありません」
白き巨狼に諌められ、同時に謝罪する二人。
「見世物ではありませぬ。「柳生の大太刀」もわたしも。それに、暗示にかからぬ者がおります」
『あの瞳のみえぬ娘じゃな?』
育ての親の思念に苦笑する幼子。
「そして、ケイト。かのじょはかかりにくいでしょう。これだから女子は・・・」
幼子は、そこまでいいかけ形のいい口唇を閉ざした。
そこに信江の鬼の形相をみたからである。
この際それは「鬼の副長」の愛妻であるから、ということとはいっさい関係ない。
土方は、一人ぶらぶらとなだらかな坂道を上っていた。
ブラックヒルズの山、というよりかは小高い丘である。木は一本も生えてはいない。石ころと岩とまばらに生えた草・・・。ただそれだけだ。
視線を感じた。そちらをみると、鼬みたいな動物が土方をじっとみていた。後ろ脚だけで立ち、背筋をぴんと伸ばしている。茶色い毛におおわれている。視線があった。すると、その小さく細長い動物は、逃げるでもなく髭をひくひくと動かした。同時に、両の耳もぴくぴく動いている。
「副長っ!」
背後から声が飛んできた。短く鋭いそれをきいても、小動物はじっと動かない。それはまるで、土方の動静をじっと探っているようにも思えた。刹那、土方自身の息子が父親の様子をみてくるようお願いしたのかと勘繰った。
いや、考えすぎだ・・・。
土方は苦笑した。
すると、小動物も笑ったようにみえた。そのときはじめて、その小動物がプレーリードッグという種類の動物であることを思いだした。
ドッグというわりには栗鼠の仲間であるときき、餓鬼ども、否、市村ら若い方の「三馬鹿」が大笑いしていた。
土方は、小動物から視線をそらすと、物憂げに背後を振り返った。
島田が両の掌それぞれにブリキ製のカップをもってやってくる。
「そろそろ必要な時分だと思いましてね」
島田は、近間の外でいったん立ち止まった。右の掌にもつ土方のカップをかかげてみせる。
土方は苦笑する。
いつもそうだ。昔から、この島田は土方自身のことをなんでもおみ通しなのである。
柳生とは違った意味で、島田は土方のすべてをよんでいる。
そして、なにゆえかはわからないが、この島田にだけはある程度の本音や弱音を吐くことができる。
「いい機だ」
土方は呟くようにいうと、自身から島田に近寄りカップを受け取った。
一口それをすすると、あいかわらずどろどろの液体が口中を侵し、なんともいえぬ苦味が喉の奥にひろがってゆく。
「不味いな」
その忌憚のない感想に、つぎは島田が苦笑する番である。
「いよいよあいつに会えるかもしれん」
土方は、まばらに生えた草地のほうへと視線を向け、独語のように呟く。
さきほどのプレーリードッグは、まだ土方をみている。しかも、数が増えている。
口にふくんだ珈琲を、ふきかけてしまう。小動物のいくつものつぶらな瞳が、人間をみている。
「一夫多妻制だそうです」
島田がいう。
「なんだって?」
土方は、なんのことかわからずにきき返してしまった。
「あのちっちゃなやつのことですよ」
土方の鼻先で、島田の太い指が小動物を指す。
「ああ、そういうことか・・・。なるほどな・・・」
いまの自身には、到底考えられぬ習性である。
島田が自身をみつめているのに気づいた。
不安と苛立ちで右の親指のささくれを歯でかじっていたようだ。
「不安なのですか、それとも・・・」
島田を掌を上げ制すと、土方はさらに珈琲を喉に流し込む。
かように不味いものを、欲するようになったのはいったいいつ頃からか・・・。
「あぁ不安だな、たしかに・・・」
土方は正直に答えた。否、本音を吐露したい。
妻や義兄といった身内、あるいは、永倉や沖田といった昔馴染み・・・。
かえって本音はいえぬものだ。
それなのに、なにゆえか島田にはいえる・・・。




