勝利
「わたしの息子は強くなったか、俊厳?」
周囲の騒擾など関係ない。流れ弾丸ですら、この二人を避けるように飛来してゆく。
両者は、それぞれの鞍上より睨みあっていた。
そこだけ別の空間、場所、時間に存在するかのように・・・。
「叔父上、その名で呼ぶのはやめていただきたい。その名の由来は、叔父上もよくご存知のはずだ」
辰巳が実の父親と思い込んでいた柳生俊章が名づけた、否、辰巳に戒名として与えた名。江戸柳生が代々引き継ぐ俊の一字、そして尾張柳生が継ぐ厳の一字・・・。
だが、俊章は父親ではなかった。すくなくとも辰巳の血に俊章のそれは混じってはいない。
厳蕃はなにも答えず、ただ鼻を一つ鳴らしただけだ。苛立ちと不安が、厳蕃につい子どもっぽいいやがらせをすることをしいただけなのだ。
それを辰巳はわかっている。そして、辰巳もまた子どもっぽい気持ちから、その名を使うことをやめるよう訴えることをしいたのである。
「ええ、叔父上。あなたの息子は強くなった。肉体的にも精神的にも。だが、まだまだあなたを超えるほどではない。なぜなら、人間を陵辱できるだけの勇気がないからです・・・」
華奢な肩をすくめると、辰巳は本題に戻った。つまり、厳蕃の問いに素直に応じたのだ。
「陵辱?」
厳蕃はせせら笑った。
「ああ、そうだな。息子はまともだ。わたしたちとは違う」
辰巳の双眸が細められたのが、七、八間(約12~3m)の距離からでもはっきりとわかった。
「あらためて問う。俊厳、なにがしたい?否、なにをするつもりだ?人間を滅ぼしたいのか?それとも、この茶番は、わたしに対するあてつけなのか?」
厳蕃は、自身の声音がわずかに震えていることに気がついていた。それをいうなら、手綱を握る掌も。さらには、金峰の鞍上にある体躯じたいも・・・。
「そうですな・・・」
意外にも、辰巳はなにもない騒擾とは無縁の空をみあげた。土方と信江の遺伝子を受け継いだ美しい相貌には、穏やかなまでの表情がたゆたっているようにすらうかがえる。
「きっと、きっとあなたのおっしゃるとおりなのやもしれませぬ、ちち・・・」
『この頓珍漢のとうへんぼくどもめっ!』
そのとき、思念とともに厳蕃のふくらはぎが噛みつかれ、そのまま大地にひきづりおろされた。あっと言うまもない出来事に、厳蕃は大地に寝そべり空をみ上げていた。つづいて、辰巳もまたおなじようにひきづりおろされ、厳蕃とおなじ憂き目にあってしまった。
『すっとこどっこいどもには、このわたしみずから制裁をくわえてくれる』
白き狼だ。ぷんぷんと怒り心頭の白狼は、辰巳の相貌を、ついで厳蕃のそれをそれぞれざらざらする舌でなめになめてやった。
二人の「やめてくれ」という懇願は、第七騎兵隊の勇敢なる騎兵たちの悲鳴にかき消されてしまった。
「リトル・ビッグホーンの戦い」で、カスターとその身内たちを含め、二百六十八名の騎兵が戦死、負傷者は五十五名にのぼった。戦死者のうち、カスターの直属の部隊が二百二十五名。全員が戦死するという凄惨な結末である。
ブラディ・ナイフは、長年の宿敵であるゴール酋長に殺された。そして、それ以外でもおおくのインディアン斥候が戦死した。
インディアン連合軍の被害もちいさくはないが、大勝利に終わったのは間違いない。
インディアン連合軍は、その夜こそはティーピー群そこかしこで勝利を祝い、それを大精霊に感謝するために踊っていたが、翌朝には昨日のことがまるでなにもなかったかのように、それぞれの居住地へと散っていった。
無論、アウチマンとアウカマン、そして、クレイジー・ホースが率いるオグララ族もまた、戻っていった。
この戦いには勝った。だが、これはあまたの懸念のなかの欠片をとりのぞいたにすぎない。どの部族もけっして安堵したわけではないのだ。
カスターを殺したことで、白人がよりいっそう自身らを攻める・・・。幾人かの呪術師や戦士がそのように幻視を得ていたのだ。
戦は、ますます激化するはずだ。そして、ますます過酷になるはずだ。




