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Wolf with「鬼神丸国重」 対 Tiger with「村正」

「両者、礼っ!」審判役の山崎が一歩下がると互いに礼をした二人の剣士は向き合ったまましばしみつめあった。睨み合い、ではない。

表情かおも体躯も硬いぞ、一」ふわりとした笑みを浮かべながら厳蕃はいった。勝負に挑む剣士とは思えぬほど緊張感がない。

「わたしはお喋りが苦手です。それに緊張と不安とで逃げだしたいくらいだ」

なぜホワイ?さきほどの鉄との勝負ではずいぶんと愉しそうだったが?」無掌を上げてわからない、という意思表現ジェスチャーをしながら尋ねた。

「一、相手によって違うのか?そういうことをなんというのか、おぬしにならわかるだろう?相手が何者だろうと精神こころや気のもちようはつねに同じでなければならぬ。そして、それとは別に、おぬしはときおり、自身を貶めたり卑下することがある。暗殺者としての習性、その過去は捨てよ。おぬしは立派な剣士だ。この勝負が終わったらわが義弟になにゆえ暗殺の任から外されたかを尋ねるといい」やわらかい笑みを浮かべたまま話しつづける相手をみながら、斎藤は緊張が解れてくるのを自覚していた。

「そう難しい表情かおをしてくれるな。わたしとの勝負を心ゆくまで愉しんでほしい。あの子が託したものをみせて欲しい。そして、あの子が授けた秘策とやらでさらにわたしを愉しませてくれ」

 小柄な剣士の秀麗な相貌にさらに笑みがひろがった。刹那、その姿が掻き消えた。

 斎藤はそれに反応できたことにわれながら驚いた。遠間から一足飛びに懐のうちに入られていた。それに体躯が勝手に反応して抜刀していた。柳生心陰流抜刀術。右腰から抜き放たれた「鬼神丸」は確実に相手の首筋を捉えた。

 斎藤の口許にも笑みが浮かんだ。もっともそれは苦笑だったが。

「鬼神丸」の剣先は相手の二本の指に挟まれていた。斎藤の左側面からの居合い抜きは、厳蕃の四本しかない掌の二本の指に挟まれてしっかりとその牙を受け止められていた。これが笑わずにはいられないではないか?

「その調子だ、兄弟マイ・ブラザー」二本の指がひねられた。彼ら・・は指の力だけでどのような巨躯でも容易に宙に舞わせることができることを斎藤は知っている。ゆえに迷わなかった。長年の相棒をあっさり手放した。同時に右拳で相手の左顔面を狙う。無論、その拳が相手の右掌で受け止められることは承知の上だ。

 刹那、斎藤の左掌が相手の左腰へと伸びた。そこにある柄に掌がかかる。「鬼神丸」が相手の指の間から解放され、宙を舞った。相手の得物を捕らえた左掌を勢いよく自身の胸元へと引き寄せた。徳川将軍家禁忌の妖刀「村正」がその姿を現した。曇天つづきの空にめずらしく居座る太陽の陽気を吸収したその刀身が怪しく光っている。相手の得物を奪った当人は、その間合いから一旦退いた。

「これは興味深い」厳蕃がおかしそうに笑いながらそういった。その四本しかない掌には「鬼神丸」がしっかりと握られている。

「一、おぬしになら「村正」と対話ができるやもしれぬ。そいつもまた暴れん坊タフ・ボーイでな。いい機会チャンスだ。遣いこなしてみよ。わたしはおぬしの紳士ジェントルマンとお喋りさせてもらう」笑声につづき、「鬼神丸」とその遣い手とを讃える詠唱がしんと静まり返った甲板上に流れてゆく。

 これが「村雨」か・・・。大剣豪の得物。しかも世で認識されている妖刀との印象とは矛盾するが「神剣」でもある。

 ときにしてはさほど要していないだろう。意外にも「村正」は陽気なお喋り屋であることが感じられた。そして、いまの持ち主を心から好いていることも。すなわち、他者ひとに遣われることにひどく不快感を抱いているのだ。

 頼む、「村正」よ。この一太刀だけでいい。おぬしも知っている柳生の小さな剣士の想いに報いる為にたった一太刀だけ協力して欲しい・・・。

 懇願だ。そうするより他はない。自身の「鬼神丸」は、その遣い手たる斎藤をどう思っているかは別にしても厳蕃はうまく懐柔して遣いこなせるのだ。

 いいだろう・・・。あの小さな剣士はをいつも心から愉しませてくれる。それはわたしの喜びでもある。一度だけだ。一度だけおぬしの|掌(刃)となってやろう・・・。

 そういってくれたと感じたのは斎藤自身の思い過ごしだったろうか?そうだとしても後戻りはできぬ。迷わない。いまは自身の得物となった「村正」を床と平行に構える。

 すでに相手は「鬼神丸」を片掌上段に構えている。太陽を背にした斎藤とまともに太陽と向かい合っている相手。平行からわずかに刀身を立てると、陽光が反射し、その光が相手の右瞳みぎめをまともに射た。確認するまでもなく一足飛びに相手の懐に入った。

「村雨」は確実に元の遣い手の左掌を斬り裂くはずだった。だが、「鬼神丸」から放たれた陽光がその元の遣い手の両瞳りょうめから完全に視界を奪った。

 柄を握る感覚が左掌から失われた。そして、気づけば自身の咽元に「鬼神丸」の切っ先が突きつけられていた。

「あの子はわたしの弱みを具体的に申したか?」相変わらず笑みを浮かべたまま相手が尋ねてきた。

「いいえ。あいつはこういいました。われわれ・・・・は左に弱い、と。われわれ、というのがあいつとあなただとそう解釈しました」斎藤は言葉をきると視線だけを自身の頸筋にある「鬼神丸」の切っ先に落とした。そして相手と同じように笑みを浮かべて付け足した。「わたしの負けです、師匠」

「一、愉しませてもらった。心から礼をいわせて欲しい。そして、おぬしの解釈が正しいことを申しておく。またやろう」

「はい。ありがとうございました。もっと愉しめるときが長くなるよう鍛錬します。無論、その鍛錬も愉しみながら」

 斎藤はさきほどの永倉同様きっと自身の表情かおも晴れやかなのだろう、と互いの得物を交換しながらそう信じて疑わなかった。

「勝者柳生厳蕃!」山崎の宣言に歓声があがった。


子猫ちゃんキティ、鬼のもう一振りの刃がゆくぞっ!鬼の刃よ、これ・・を受け取れっ』

 壬生狼の思念だ。「鬼神丸」を納刀したばかりの斎藤は振り向き様になにかを受け止めた。

「・・・」ときが止まった。ほんの刹那ではあるが。

 その場にいるすべての者がそれをみた。

 斎藤に抱かれた赤子の握る「千子」の切っ先が厳蕃の左瞳ひだりめの、そして厳蕃の「村正」の切っ先が赤子の左瞳ひだりめの、紙一重の間の位置で寸止めされていた。


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