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鬼の鋭き護符

「やはりあんたはたいしたものだ、しんぱっつあん」

 すれ違いざまに斎藤が声を掛けた。試合を終えた永倉の表情かおは思いのほかすっきりしている。

 新撰組でどれだけ敵を斬り、何度生き残れてもこれだけの表情かおはついぞ拝めなかった。それどころか屯所に戻ってきたときの表情かおは、まるで手下てかが傷つき斃れたかのように険しかった。

 生死を賭けた戦い。その善悪にかかわらず、兎に角敵は斬り殺さねばならなかった。精神こころがやさぐれるのも当然のことだ。

 が、現在いまは違う。まったく違うのだ。


「すまん斎藤、してやられた。おれたちの予想のはるか上をいってる。だが、あいつのいったとおりだ。おれには余裕なんてもてなかった。それが正直なところだ。斎藤、おまえならいいところまでいけるはずだ、剣術馬鹿のおまえならな。だから心ゆくまで愉しんできてくれ」

 右掌でぽんと斎藤の肩を叩いた。わずかの間絡みあう視線。

「羨ましいくらいいい勝負だった。悔しいがおれはあんたほどじゃない。だが、こんな機会チャンスはめったとない。愉しませてもらおう」

「おうっ!「土方二刀」の一振りのお手並み拝見だ」斎藤の肩を叩いた掌がひらひらと舞う。斎藤がちらりと伺うと、永倉のがっしりとした背がみえた。信頼できる仲間の背は斎藤に力を与えてくれる。


「いい勝負だった。愉しめたか、息子よ?」すれ違い様に父が子に声を掛けた。

「ぎりぎりのところで。さすがは新八さんだ。どうやら従兄殿は野獣を育て上げたらしい。あれほどの野獣は正直なところいまの柳生にはおりますまい」

「みていろ、息子よ。さらにもう一頭の野獣が牙を剥いてくれるぞ」「柳生われわれは、柳生われわれの門下ではなく外に継承者を得ることになりそうです」「無念だとでも申すか?」「まさか!」息子はおおげざに驚いてみせた。厳周もまた晴れやかな表情かおだ。

「真に継ぎしは剣を愛しそれを心より愉しみ戯れられる者なり。そして、剣からも愛される者なり」それは、尾張柳生の祖である柳生兵庫助利厳やぎゅうひょうごのすけとしとしが酔った際に高弟たちに語っていた文句である。

「そのとおりだ。あの二人はまさしくそのとおりの者。おぬしの義理の叔父に感謝せねばな」「ご冗談ノー・キディング!あなたの義理の弟ではありませぬか、父上」


「両者、前えっ!」審判役は伊庭から山崎に代わっている。

「父上、どうか愉しんできてください」「ああ、そうさせてもらおう。心ゆくまでな」

 父親のほうが息子の掌をぱんと叩いた。冷たい。まるで死人の掌だ。そう、父が自身の心の臓を貫きうちなるものがそれを動かしているということを義理の叔父からきかされた。だが、自身にとってはそんなことはどうでもいい。父は父。自身にとって父は目標。超えるべき高く険しい山なのだ。

 小さな背だ。体躯だけは父を超えた。力は超えることができるのか?いいようのない不安がよぎる。

「厳周、いい勝負でしたね」叔母の信江が近づいて声をかけた。父に叩かれた掌を今度は叔母がさすってくれた。温かい。叔母の信江は自身にとって母同様の存在なのだ。

「叔母上、叔父上は一緒ではないのですか?」「勇景を連れてあちら側に。一さんは歳三様の大切な護符ですから」「「土方二刀」、絶対にあいまみえたくない相手だ」「ええ。ですが歳三様にとってはどちらも大切な人たちです・・・」信江の言は途中から歓声によって掻き消された。試合が始まったのだ。

「存じています。ですが父を負かすのは仲間たちでも従兄弟たちでもない。わたしだ。わたしでなればならないのです」

「厳周、馬鹿な子・・・。尾張柳生の宗祖の酔言を思い出しなさい」信江はさすっていた掌を今度は握ってやった。こぶりだが分厚い掌。手の皮は剥けに剥けてぼろぼろだ。

 つい先程厳周自身が父にいった宗祖の酔言・・・。

 わかっている。わかってはいるがこれは違うのだ。

 わたしでなければならぬのだ・・・。口中で繰り返すと息子は父の背をみつめた。


「新八、たいしたもんだ。さすがは近藤さんの剣だ」

「ああ?褒め言葉は素直に受け取っとくが、副長、あんたがいまみたことそのままそっくりあんたに継がなきゃならねぇ。わかってんのかユー・アンダースダンド?」「ありえねぇノー・ウエイ!息子だ。その権利は息子に譲る」仁王立ちで腕組みするその姿は、京にいた時分ころ段だら羽織をまとい敵を前にしたときの「鬼の副長」を髣髴とさせた。

なんだってカム・オン、副長?あんた、態度のでかさといってる内容とがまったくあってないぞ」

八兄はちにいっ、八兄はちにいっ、教えてっ、お願い!」「おおっ、そうか?」さしもの「がむしん」も赤子には弱い。相好を崩すと太い両の腕を伸ばして壬生狼の背に跨る赤子を抱え上げた。故国にいるわが子は女子おなごだがこの子よりずっと重かった。その軽さに戸惑いつつ自身の双眸の位置まで抱え上げると話しかけた。

「八ってのはやめてくれないか?犬みたいだ」「新兄しんにい?」「おまえ、わざとだろ坊?」「新八兄しんぱちにいっ!」甲高い笑声がつづく。仲間たちもつられて笑った。「よくできました。案ずるな、坊よ。不甲斐ない親父は捨て置いておまえに疋田と神道無念流も添えてみっちり叩き込んでやる」「ってか、あんだけ真剣にみてるんだ。すでに身についてんじゃないの、しんぱっつあん?」藤堂の推測は推測ではないだろう。「平助のいうことに同感だね。だって、この子のおれたちの鍛錬をみるときの、真剣すぎる。怖いくらいだ。というわけで、やはりあなたの方が鍛錬が必要のようですよ、「豊玉宗匠」?」「黙れシャウト・アップ、総司!」

一兄はじめにいっ!」赤子の叫びで不毛ないい争いに終止符が打たれた。

「新八、おれに任せろ」子どもが大好きな原田が永倉の両の掌から赤子を奪い取った。そして肩車をしてやると赤子はきゃっきゃっと笑声をあげた。

 彼らの弟分も原田によく高い高いをされ、気恥ずかしそうに笑っていた。だれもがそれを思いださずにはいられない。


 一瞬の感傷も歓声によってこの場に引き戻された。

 その弟分の相棒がいままさしく勝負に挑もうとしていた。

 死んだ相棒の技と精神こころを携えて・・・。



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