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「がむしん」対尾張柳生の当主

「八郎、気を遣わせてすまんな。恩にきるよ」「ははっ、しんぱっつあん、らしくないですね。気にしないでください。厳周を倒してくれればいいだけですよ」「おいおい八郎、そう気安くいうなよ。それが困難なことはおまえが一番よくわかってるだろう?」「そのとおりイグサクトリー。だが、その困難を乗り越えられるとしたら、それは「がむしん」、あなただけオンリー・ユーだ」伊庭の断言に原田、沖田、斎藤が無言で頷く。

「おまえら、おれをそんなに持ち上げてもおれからなにもでやしないぞ。せいぜい埃くらいなもんだ」

「ちぇっ、またあのうまい日本酒さけが呑めるかと思ったのによ」「そうそう、あれ、うまかったよね」「おれは呑んでないぞ」「だって、一さんは厳周の刀の手入れを・・・」「おまえらなーユー・ガイズ・・・」原田、沖田、斎藤、伊庭の頭を順に拳で軽く小突いた。

「しんぱっつあん、なんでわたしまで?」「ああ?決まってるだろう、八郎?新撰組うちは連帯責任だ。組下のもんがへまをすりゃ、みな罰を喰らう」「はあ?いつからそうなったの?それにおれたちは新八さんの手下てかじゃないし」「わたしに到っては新撰組うちでもない」「ちげぇねえノー・ブルシット」原田が笑いだすと全員がつられて笑った。

 永倉の緊張がほぐれた。さしもの「がむしん」でも仲間たちからの期待と圧力とに耐えられなかったのだ。

 仲間たちのさりげない思いやり。

 さあ、出陣だ。


「あいつら、なにをそんなに敵対心を燃やしているのか?すまないな、厳周」嘆息とともに詫びる土方に、その義理の甥はやわらかい笑みで応じた。

「いいえ、詫びる必要などありませんよ、叔父上。こんな機会チャンスはそうありませんので。それに、嬉しそうですよ、叔父上。心中をよむまでもなく、表情かおにありありとでています」「そうだな、仲間の情熱こころにでもほだされたか、わが義弟おとうとよ」

 甥だけでなく義兄にも指摘され、土方は反射的にさっと両の掌で相貌を覆った。それをみたその妻も甥も笑声を上げた。

「父っ、まっかっか!」土方の息子はいまは妻に抱かれて嬉しそうに笑っている。「わが息子よ、頼むから総司のいうことに耳朶を傾けないでくれ」「総司兄そうじあにっ、正しいっ、いい先生っ!」それには全員が絶句した。抜かりのない沖田は、自身への評価に関してはかなり甘い表現を言の葉にして教えているようだ。

 ひとしきり笑った後、厳蕃は息子に尋ねた。

「緊張しているか?」「いいえ」即座に返ってきた。「愉しみです」きらきらと輝く息子のが眩しいほどだ。「よしっ、わが息子よ、せいぜい愉しんでこい」「はい」

 厳周は大きく頷くと従弟の頭を撫でた。

 武と戦の神から祝福を授けてもらう為に。

 さあ、準備は整った。


「両者、礼っ!はじめっ!」審判役の伊庭の号令のもと、二人の剣士は距離を置いて向かい合う。

 永倉は「播州手柄山」を、厳周は「関の孫六」をそれぞれ鞘から抜き放った。先の海賊との戦い以降、ひさびさに自身の得物を解放した。

 ともにその刀身は頭上の陽光を吸収しぴかぴかと光り輝いている。うれしそうな光具合かと心なしか思えるのは気のせいにすぎぬのだろう。

「厳周、まさかこんなに早く戦いの機会チャンスが巡ってこようとはな」

「ええ。そうですね、新八さん。わたしも驚いていますよ」

 厳周の笑顔が眩しいほどだ。そして、やはりなにも感じられない。

「遠慮はいらねえぞ、厳周?柳生の高弟や尾張藩主相手じゃまともに力をだせなかっただろう?おれなら殺られちまっても文句はいわん。思いっきりこいや」

柳生われわれを倒す秘策、ですか?ふふっ、従兄殿らしい」両者とも正眼に構え、遠間のまま会話で探り合う。

 永倉も厳周も互いの実力ちからを感じているだけあり、ぞくぞくが止まらない。それは、京の新選組の屯所の道場で初めて会ったときからのことだ。あのときから遣りあいたいと切望し、いまやっと叶った。愉しまないでどうする?

「ああ、あいつはおれに疋田陰流と吉岡流を授けてくれた。ともに、荒々しい流派ものだ。おれにはぴったり合ってる。おまえの従兄はいってくれたよ。「新八兄しんぱちにい、あなたにだから安心して託せる」とな。ああ、わかってる。それがやさしいあいつのただの世辞だってことを。だが、うれしかったね、おれは。いや、いまでもうれしいよ。時間ときがなかったとはいえ柳生の「大太刀」のすべてを元の持ち主たるおまえら柳生の一族にではなく、おれたちに託してくれたんだ。おれ、左之、総司、そして斎藤に・・・」

 永倉の低く太い声音は静まりかえった甲板上に流れてゆく。この船の乗組員には意味は分からないだろう。それでも、雰囲気が、空気そのものが、すべての見物人に静謐を強制した。それはまるで聖なる儀式を行う司祭の詠唱のようだ。

 土方ははっとした。永倉は相対する厳周だけでなく土方にも告げているのだ。

「おれは剣術が大好きだ。餓鬼の時分ころ剣術これを知ってすっかり惚れこんじまった。剣術これを通じて得たことはその心技だけじゃねぇ、仲間だ」永倉が土方にわずかに視線を送ってきた。それこそそうと感じられる程度に。

「試衛館に転がり込んでよかったと思ってる。そこにいてくれた者たちのお陰でおれはこうしてここにいる。神道無念流だけでなく、いろんな流派や遣い手たちをみ、相対させてくれた。そして、おれにはさらに違う流派の奥義がある。そのすばらしい奥義を授けてくれた日の本一の大剣豪と、それを真に伝えるべきおとこたち・・、この三名におれはこの勝負を捧げる。ゆえに、しっかりみていてくれよ、土方親子っ」

 その叫びが終わらぬうちに永倉は正眼の構えを解くと右掌だけで自身の得物を握り、遠間からいっきに間を詰めた。永倉はどちらかといえば背が低く、がっしりした体躯だ。その小柄な体躯でたった一度の踏み込みで敵の懐のうちに入り込むそれは紛れもなく疋田のもの。柳生新陰流の素でもあり枝派でもある流派の足運びである。

 音もなく迫り、繰り出される突き技。片掌とは思えぬ威力を備えた突きを、相手もまた片方の掌、人差し指と中指とではさんで受け止めた。

 無刀取りの高等技だ。厳周はそれを先夜沖田によって繰り出された「三段突き」の一突き目で開眼したのだ。

 みている者からどよめきが起こった。

「ええ、新八さん。わたしも同じことを心底実感しています。流派の心技以上に得たものがわたしにとってどれだけかけがえのないことか・・・。そして、それを与えてくれた叔父と従兄に感謝せずにはいられない。いいえ、感謝してもしきれない・・・」

 たった二本の指に挟まれた「播州手柄山」は身動ぎ一つできないでいる。まさしく罠にかかった獲物のようにがっしりとその心身を絡め取られている。ゆえに、あえて永倉はそれを動かさなかった。年少の剣豪の双眸をしっかりと見据えそれを外さない。相手も外そうとしない。なぜなら、相手はつねに相対する者の心中をよみ、二手先、三手先まで予測するからだ。否、この相手ならば五手先まで予測するだろう。

「そして、わたしにもこの勝負をみせたい者たちがいます。それもあなたと同じですよ、新八さん。一人はあなたと同じ。そして、いま一人は・・・」

 二本の指がわずかに動いただけで永倉の体躯が宙を浮いた。だが、すでに永倉はそれをよんでいた。そして、「関の孫六」が右側面から襲ってくるであろうことも。

 迷うことなどない。あっさりと「播州手柄山」の柄から掌を離した。器用に体躯をひねって床に片膝つくと繰り出されてきた突きを両方の掌を重ね合わせて受け止めようとした。これぞまさしく柳生新陰流奥義無刀取り。だが、いままさしく永倉の分厚い両の掌に吸い込まれそうになった「関の孫六」の剣先が不意に消えた。瞬きどころではない。刹那というにもそれは速すぎる。神速を超え、剣先は永倉の頭上に移動していた。さしもの永倉のよみもそれは頭で考えるよりも速すぎだ。だが、永倉は反応していた。視界の隅に開放された自身の「播州手柄山」が宙を舞っているのが映った。おそらく相手がそうしてくれた・・・・・・・のだ。その柄を右掌で引っ掴んだ。すでに「関の孫六」は振り下ろされている。頭上に翳して上段からの攻撃に備えようとしたが、またしても剣先はあるべき場所になかった。しかも今度は下方、右斜め下から振り上げられている。これにも永倉は反応していた。振り上げていた「播州手柄山」を、その刀身ではなく柄をそのまま下ろした。柄で受けようとしたのだ。が、次もまた空振りに終わった。

 剣先、刀身どころか厳周自身が消えていたのだ。

 背を脅かされた。背後で振り下ろされた「関の孫六」の剣風がまるで死神の息吹のように永倉の項をくすぐる。

 永倉はこれにも反応した。掌を床につき、その掌と片方の脚とで床を蹴った。がっしりとした体躯が床を転がり、すばやく片膝立てて体勢を整えようとした。

 すでに厳周の姿はない。剣風が今度は右側面に感じられた。しかも右掌の間近だ。刹那以下の間、永倉の右掌が硬直した。

 自身の弱点・・・。「池田屋」を襲撃した際に負傷した右掌。親指がほとんどちぎれかかったのだ。剣士として右親指そこはほとんど遣うことはないのでたいして影響はない。だが、人間ひととしてはその負傷はさしもの「がむしん」にも精神こころのほんの片隅にささやかな恐怖の欠片を植え付けた。だれにも話したことはない。それどころか自身自覚していなかった。否、思いだした。自身で気が付かなかった弱点これをあいつは気が付いていたのだ。疋田の技の継承中、あいつは何度か右側面の攻守について言及した。おそらく、永倉自身の潜在意識をよみとり、さりげなく教えてくれようとしたのだろう。心やさしく、他者ひとの心身を傷つけることをなにより怖れるあいつらしい。そのことについていまのいままで気が付きもしなかったのは、ひとえに永倉自身の怠慢と驕りにすぎない。

 そしてなにより、あいつ以外知りようもないそれを、あいつの従弟も気が付いたことがその従弟自身の力を十二分に知らしめてくれた。

 やはり柳生こいつらには敵わない、と心底思った。同時にまだまだ修行が足りない、とも。

 永倉の右掌を襲った「関の孫六」の剣先の軌道がかわった。というよりかは神速で退かれた。遣い手自身は永倉の左斜め前。永倉と同じように片膝ついた姿勢だ。左掌の「関の孫六」がきらきらと光っている。そして、遣い手自身も両のを刀身同様輝かせ、その下方では笑みがはっきりと浮かんでいた。そのすがすがしいまでの笑みは心からこの勝負を愉しんでいることを証明している。

 がむしゃらに挑む永倉とは違い勝負をおおいに愉しんでいる厳周。

 ああ、こいつも剣術馬鹿だ、と呆れ返る永倉。

「こんなに愉しめたのは初めてですよ、新八さん」息一つ乱すことなくうれしそうに話しかける厳周。

「おれもだ、厳周」やはり息一つ乱すことなく、不敵な笑みで応じる永倉。

「おれの負けだ、厳周」立ち上がりながらつづけた。悔しくないといえば嘘になる。だが、力の差はまだまだ大きい。それに、あいつがいったことの裏も取れた。斎藤に繋げることができる。いまはそれで充分だろう。

 勝負が愉しく感じられるには、どんな鍛錬をすればいいのか?

 ああそうか、おれも馬鹿になればいいんだな、剣術の方でも・・・。

 馬鹿は十八番おはこじゃないか、えっ?


「勝者柳生厳周っ!」

 伊庭の宣言をききながら、永倉は相棒「播州手柄山」を鞘に納めたのだった。



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