「柳生の大太刀」と出自
「ああ、重要な話しをしておったな・・・」
厳蕃は、右の頬を掌でさすりながら気弱な笑みを浮かべた。
その眼前で、左の頬をさすっている土方が。二人とも、信江に平手打ちを喰らったのだ。女子への評価のいい訳、その結果がこれである。
その後、二人は信江のまえから退散し、人気のないところに移動していた。とはいえ、集落から外れたなにもないところだ。
ずっと向こうに地平線がみえる。この不毛の大地が永遠につづくのかとさえ思えるほど、なにもなかった。
「素直に謝るべきでした」土方もまた気弱な笑みを浮かべた。そう、素直に「失言でした」といえば、すくなくとも平手打ちは免れたはずなのだ。
「それで、先ほどのつづきだが、会いたいと思っておるのであろう?」
義理の兄に問われ、土方は両の肩をすくめた。
「義兄上、おれが告げずとも、はたまた心中をよんでいただくまでもなく、答えはおわかりかと・・・。ええ、承知しております。おっしゃるとおり、試練を与えし者は坊であって坊でない。頭では理解しているつもりでも、心では無理です。あいつらだっておなじです。あいつらは、無論、第一には剣術の為でしょうが・・・」
厳蕃は、四本しかない掌をあげ、土方の言をさえぎった。
「新八と一は、ある意味真面目だ。自身らの腕を上げることに真摯に向き合っている。それが半分だ。だが、総司、それと平助はそれよりも違う想いの為に、ということのほうがおおきい。義弟よ、おぬしの為、だ」
「おれの為?総司が?」
頓狂な声音できき返すと、土方はまた頬をさすった。これは、先ほどとは違う意味での無意識の行動である。
「なにをいまさら・・・。総司は近藤殿と甥亡き後、自身がおぬしを護らねばと必死なのだ・・・。まさか、気がついておらぬと?」
あれだけ馬鹿にされ、からかわれていたら、そこまでの想いを感じる以前の問題だ。
土方は、衝撃のあまり両の肩をすくめることしかできなかった。
「そして、これは平助もだが、救われた生命の礼に、甥をおぬしに会わせたいという想いもある」
そこがよりいっそう問題なのだ、とは、さしもの厳蕃も告げることはできない。
いや、転生後の辰巳は以前とは違っているが、「大太刀」の試練を与える者としての剣士としてなら、もしかすると、以前の辰巳なのか・・・。
が、いずれにしても半端なく強く、容赦ないというところにかわりはない・・・。
ふと、甥が京にいる間に白狼に変化していた、という話を思いだした。無論、そのようなわけはない。周囲に暗示をかけ、そうみさせていたのだ。
いや、それこそがもはや人間のなせる業ではない。それは兎も角、以前、試練を与えし者として自身と自身のまえにあらわれた甥は、もしかすると甥に暗示にかけられていたのか・・・。
だとすれば、京で甥が挑戦したときの江戸初期の剣豪たちというのは・・・。甥の創作であったのか・・・。
甥はいかなる業も自身のものとできる力がある。
それが実際に立ち合ったりみたりきいたりしたものであっても、残された書物から得た知識であっても、同様に甥は遣いこなすことができる。
新陰流は無論のこと、宝蔵院流にしろ二天一流にしろ吉岡流にしろ、なにも当人たちから学ばずとも、もともとから知っていたはずなのだ。
辰巳・・・。くそっ、性悪の甥めが・・・。
しれず、厳蕃は歯噛みしていた。
「実の甥や姪はどちらも数名おりますが、あまり遊んでやらなかったり、会っていなかったりです。ゆえに、相貌をじっとみたり接触をとったりということもほとんどありませぬ。かえって、坊のほうがおおく、自身でも建前上甥としたことが偶然ではなく必然だったのだと思いさえしております」
土方は、厳蕃の瞳をしっかりみつめたままいった。厳蕃は、それをそらしたいができないでいた。背筋を冷たい汗が流れてゆく。
すでにその心中をよんでしまったから。これから問われようとしている内容がわかっているからだ。
「京であなたと接したのはわずかです。そのときには、発する気や雰囲気が似ているな、と漠然と思っていました・・・」
「あの子の出自については、おぬしも存じているはずだ」
土方の言をさえぎり、そういった厳蕃の声音はかすれていた。緊張によってであることはいうまでもない。
「仁孝・孝明両帝の尊顔をしるわけもありませぬが・・・。それにしても、叔父甥はかように似るもの・・・」
「やめろ・・・」
厳蕃は、四本しかない掌の指先でこめかみをおさえながら制した。が、それは弱弱しい。
辰巳の誠の父親が仁孝天皇の第二皇子で、先の帝孝明天皇の弟君であるということは、日の本そのものの禁忌である。しっている者のおおくがこの世におらぬ。辰巳の護り神である厳蕃が始末、すなわち暗殺したからだ。
そして、生者にあっては岩倉や西郷、土方とごくわずかである。
「義兄上、いかがされました?」
「暗示だ・・・」
両の掌を差し伸べてきた土方に、厳蕃は思わず呟いていた。そして、はっとした。
まさか土方自身の息子にかけられた、などと申せるわけもない。
「いや、どうやら、大昔に巫女、否、姉にかけられたようだ。それが、最近になり、頭痛となってでてくる・・・」
まったくの嘘ではない。事実、実の姉にも暗示をかけられてなにかしらの記憶を封じられているのだ。
「暗示・・・?坊がおれにかけたのとおなじ・・・。義兄上、あいつはいったいだれの子なのです」
単刀直入に問われ、さしもの厳蕃もこめかみの痛みも忘れ、呆然と義弟をみた。
「なにを申すか・・・。いま、おぬし自身が述べたばかりであろう?」
「かようなことで駆け引きはしたくない。それに、おれの心中はすでによまれますよね、義兄上?」
厳蕃は苛立ち、ついで怒りをおぼえた。
自身、なにもわからぬことが不安となり、そのような感情を抱いたということを自覚しつつ。
「やめよ、と申したはずだ。この話題は、日の本をまた騒乱に貶めるを十二分に含んでおる・・・」
「いいえ、当事者たちはいずれも死んでいる。否、もしも坊が皇子でなかったのなら、日の本の騒乱どころかなんの遠慮もなくなります」
土方は、両の掌で義理の兄の両の肩を力いっぱい掴み、揺すった。
「わたしはあの子の護り神だ。伝えられていること以外はなにもしらぬ」
感情的に怒鳴ると、厳蕃は土方の掌から逃れ、距離を置いた。
「試練を与えし者が答えるか否かは別にし、それならば自身で問うてみるがよかろう?新八らに「大太刀」に挑戦してもらえば、な・・・」
そう叩きつけるようにいうと、厳蕃は土方に背を向け、頭を抱えながら去っていった。
そのこぶりの背は、いつも以上にちいさくみえた。