ジムとケイトと野球と淑女と
『おーい、ジムーっ!』
割り当てられた自身のティーピーのまえで胡坐をかいているジムに、藤堂と野村、若い方の「三馬鹿」、それにケイトが近寄った。
藤堂がジムの手許をのぞきこんだ。
ジムがまえかがみになってなにかをしていたからだ。
『あ、ミットか・・・』
藤堂は、ジムが野球のミットを手入れしていることに気がついた。みると、胡坐をかいたジムの太腿の側に、いくつものグラブが積み重ねられている。
『ええ、たまには手入れをしてやらないと、いたみがはやくなるかと・・・』
ジムは、そういって笑みをみせた。白い歯が眩しいくらいだ。
『そうだよな。それにつかってやらなきゃ。つかわないのもいたみをはやくする。ありがとう、ジム』
『いいえ、・・・。でも、ヘイスケのいうとおり、つかわないのもいたみをはやくしてしまいます』
藤堂は、こぶりの顎に掌をあて考えた。
野球も初期のころにはグラブもミットもなかった。だが、さすがに捕球するのに怪我が絶えず、そうこうしているうちに、革でつくった手袋をつかう者がでてきた。当初、そういった者を嘲った者がいた。すなわち、怪我を怖れる臆病者というわけだ。
それがじょじょに定着しはじめるのが、ちょうどいまの時期1870年代に入ってからだ。
『よし、久しぶりにやろう。おれから副長に頼んでみるよ』
『野球?きいたことはあるけどみたことはないわ』
『よし、きみにも教えてやるよ、ケイト。きみの師匠もとてもうまい。きみもきっとすぐにうまくなる』
『だめだめ、だめだよ利三郎兄っ!』
ケイトと野村の会話にだめだしをしたのは市村だ。
『はーん、鉄、またしてもケイトに追い越されそうだから、そんなことをいうのだろう?』
『あっという間だろうな。ケイトの身体能力は、師匠でも、これはおれたちの師匠って意味だが、驚いているからな』
野村につづき、藤堂までケイトをほめるものだから、若い方の「三馬鹿」は正直、面白くない。
『そんなことないよ』
『ちがいますよ』
『絶対にないない。女子の力なんてたかがしれてるよ』
田村、玉置、市村が同時に叫ぶ。しかも、市村は蛇足でもって虎の尾を踏んだ。
『なんですって、テツっ!』
『だってそうだろう?それに、女子はお淑やかでないと、ほら、淑女でないと、嫁のもらいてもない・・・』
言の葉がおわらぬうちに、市村は宙を舞っていた。
ケイトは、神速でその間をおかした。そして、神速で背負い投げをしかけたのである。が、市村も腕はあげている。地面に激突するまでには体勢を整えており、受身をとってそれを回避した。
『あいつは姐御に育てられ、女だってしっちゃいない。なにも気にしやしないだろう?』
その様子を冷静にみつめていた藤堂が呟いた。
野村だけがそれをとらえたし、思わず苦笑してしまう。
そう、厳周は気にもしないだろう。むしろ、ともに鍛錬し、励ましあうだろう。
ただジムだけは、手入れをする掌をとめ驚愕の表情でケイトをみていた。
『兎に角、久しぶりに野球だ』
『あー、でも平助兄、また左之兄あたりが賭け事にしてしまうのでは?』
その野村の予測に、ジムは驚きから苦笑へと黒光りする相貌を変化させたのだった。