冷静と情熱
「おっ、みろよ!うちの神様方もいったぞ」
永倉の指差す方向を全員が注目すると、厳蕃と幼子、白き巨狼が土方とわかれ、速度を上げたところであった。土方だけは、富士の進路をわずかにかえ、こちらに向かってくる。
「副長っ!神様方は?」
土方が声音の届く範囲に入ると、斎藤が尋ねた。すると、富士の鞍上で、きれいな相貌のなかに白い歯が踊る。
「先にいってもらった。存分に愉しんできてくれといってな」
「愉しんで?お遊びの競べ馬だ。真剣にならなきゃ、あ、いや、なりすぎなきゃいいがな」
永倉がいうと、大雪の鞍上で神様方の最近親者である厳周が苦笑した。
「父を案じてしまいます。それに従弟も。ああ、壬生狼のことも・・・」
「ならば全員、ということだな、厳周?普段は冷静だが、剣術以外のこととなると熱くなるようだから」
比叡の鞍上の伊庭だ。あいかわらず、比叡は僧侶のごとき馬面である。しかも、最近では僧侶も驚くくらいの悟り顔に禿げ具合になっている。
「師匠のこと?ああ、そういえば、最初は冷静で思慮深い漢だと思ってたけど、けっこう感情的だったりするよな」
那智の鞍上の藤堂だ。最近では普通に騎乗するより曲乗りのほうが得意になっている。いまも手綱を握ることなく、いつものように頭の後ろで掌を組み、鞍上でのけぞり空を仰いでいる。
「師匠って、普通の漢ですよね?」
伊吹の鞍上でへらへら笑いながら市村がつづけた。
「平助っ、鉄っ、なにをいっているんだ?当然ではないか。師匠は人間だ。われわれとなんらかわりは・・・」
「まてまて斎藤、おまえもだ。いまのだと、師匠がまるで人間じゃねぇみたいじゃないか?」
斎藤、さらには永倉。永遠につづきそうな師匠談義に楔を打ったのは、無論、土方だ。
「やめねぇか、おめぇら・・・」
それから、目顔で義理の甥をみた。
「いいのです、叔父上。みなさんの思ってらっしゃるとおりです」
口にださずとも、義理の叔父、さらには周囲の仲間たちをよんだ厳周。両の肩を竦め、父親似の相貌を、距離を開けて疾駆する前方の最近親者たちへと向けた。
「わたしですら、父はいついかなるときも冷静で、さして面白みのない父だと・・・」
「なぁ厳周、なにかあったのか?」
金剛を大雪のすぐ横につけ、永倉は直球に尋ねた。金剛も大雪も、それ以外の騎馬たちも、駆ける道程や速度は心得ている。そして、騎手から任されている。その両者の絆があるからこそ、騎手はこうしてよそみをし、話をしたり考え事をしたり、と好き勝手なことをしてのけられる。
厳周がはっとして永倉をみると、意外にも永倉の表情はいつになく真剣で心配げであった。その不意打ちに、思わず義理の叔父をみてしまう。無論、義理の叔父も厳周をみていた。さらには、斎藤もこちらに気を向けていることを、厳周はひしひしと感じていた。
ほんの刹那以下の間、厳周は逡巡した。自身の不安を、焦燥を、きいてもらいたくなった。
かれらが感じていることを、疑問に思っていることを、厳周もまたどうように感じ、思っているということを・・・。
「いえ・・・。おそらくは、うちなるもののことで、われわれが想像している以上に参っているのか、と・・・」
が、厳周はいえなかった。いまはまだ。自身のなかでもまだ混沌としすぎている。わからなさすぎている。さらには、状況が複雑すぎる。
ゆえに、わかりすぎていることだけをいうにとどめた。
「・・・。まあいい、なにかわかったら、なにかあったら、一人で溜め込むなよ、厳周?おめぇは一人じゃねぇ。それを忘れるな」
永倉のやさしさに、厳周はまたしても揺らいだ。同時に、心が痛む。
いったい、いつまで欺きつづけねばならぬのか・・・。
「で、副長、坊を谷に突き落とす覚悟はできたわけ?」
藤堂がいっていた。「平助兄、それは突き落とすんじゃなくて、ただ落とすだけ・・・」市村がいいかけたところを、相馬が叱咤する。「故事を覚えていることはえらいが、いまは頼むから忘れていてくれ。そういう意味ではないのだ」
「みろっ!向こうがしかけてきた」
伊庭が叫んだ。みると、十間ほど先で一塊になって駆けているスー族の戦士たちが、速度を上げたようだ。しかも、クレイジー・ホースだけがその集団から一人突出している。
「いまは集中しやがれ。おれたちの相棒は速い。それをいかすことができぬのは、騎手の怠慢と腕だ」
土方が気合とともに富士に速度をあげるようお願いした。
藤堂の問いに答える機会を逸したことに感謝しながら・・・。




