金峰と四十の憂鬱
金峰も四十も気まずかった。無論、それは馬同士の問題ではない。年長の金峰は、この群れのなかでもやさしくて頭がよく、なにより強くてはやい。ゆえに、富士とともに群れをひっぱる指導者として、ほかの馬たちから一目置かれている。そして、四十は、群れのなかでも若駒で、やさしくて従順だ。ゆえに、ほかの馬たちからかわいがられている。
二頭が気まずいのは、二頭が乗せる人間たちが喧嘩をしているからだ。否、喧嘩というよりかは、どちらも怒っているようで、それでもって無理に意識を違うところへもっていこうとしているからだ。しかも、それをごまかそうというのか、あるいは気を惹こうというのか、むだに自身らを撫でたり話しかけてきたりするのだ。
正直、二頭ともどうしていいのかわからなかった。どうすれば、人間たちが以前のように仲良くなり、自身らも気まずい思いをせずともよくなるのか。二頭ともがんばって考えているが、結局、なにも思い浮かばない。
富士がいてくれれば、富士と富士の相棒がいてくれれば、それと、獣神がいてくれれば、まだ気まずさもましになるだろうか・・・。
集落を飛びだし、速歩しながら、二頭はそんなことをずっと考えていたのだった。
「どこまでゆくのです、叔父上?」
集落をでてからどのくらい経ったであろうか?先行する叔父の背に、幼子が問いをぶつけた。それは、文字通りぶつけたので、そのまま厳蕃の背にぶつかり、跳ね返って草一本生えぬ荒野に音を立てて落ちていった。
「叔父上、いいかげんにしていただきたい」
幼子は、馬蹄の響きにのせ、再度、言の葉をぶつけた。同時に、速度を緩めるよう四十にお願いする。
四十は、すぐに速歩から常歩へと速度を落とした。が、金峰はその速度をかえることはなかった。
幼子は舌打ちした。そして、幼子自身の父親のごとく眉間に皺をよせた。それから、金峰にお願いした。すると、金峰は自身の相棒の願いよりも幼子の願いをききいれ、馬首を返して幼子のもとへと駆けてきた。
なにもない。草も木も岩すらも・・・。あるのは頭上にひろがる星星と満月のみ。その光は、不毛の大地を明るく照らしだしている。一陣の風が大地を駆けてゆく。それはまるで、風の精霊のようだと思い、幼子は苦笑した。
それは、欧州大陸のほうでいわれる、四大精霊の風を司る妖精のことである。
なにゆえ、自身のうちなるものの兄神である風の守護神たる朱雀よりも風の精霊がでてきたのであろうか・・・。
気がつくと、自身の叔父の不貞腐れた相貌があった。金峰は、幼子の願いどおり、遠間以上の距離を開けたところで歩みを止めている。
「くないをもってきているであろう?」
ややあって、ようやく厳蕃が形のよい口唇を開いた。
「くない?ええ、これらはわたしの護符ですので」
叔父の心中をすでによんでいる幼子は、その問いに皮肉な笑みとともに応じた。
「あいかわらず、暴力でしか表現できぬようですな、叔父上?」
いわれた側もまた皮肉な笑みを浮かべた。
「ああ、そうだな。なにせ、わたしのここには・・・」
指が四本しかない掌が、厳蕃自身の胸板をたたいた。それから、その掌を伸ばし、金峰の金色の鬣を撫でた。
「暴れん坊がおるのでな」
そして、こわばった笑声をあげた。
頭上の月がその笑声をきくまでもなく、厳蕃の体躯は金峰の鞍上から舞っていた。否、吹っ飛ばされていた、というのが正確なところか。
ゆうに五間(約9m)は宙を舞ったであろうか。ときにすればあっという間ではあるが、土の上にぶつかるまでには体勢を整え、掌だけを突いて激突するのを防ぐことができた。
そのまま後方宙返りをし、自身の体躯を吹っ飛ばした相手との距離を開けた。
片膝だけを地につけ、油断なく気を探る。無論、相手のそれを探りあてられるわけもない、と思いつつ・・・。
「遅い」
低い囁きとともに厳蕃の喉頭部分が小さな掌に掴まれた。地下から沸いてでてきたかのように、あるいは厳蕃の影のなかから分離したかのように、小さな姿が忽然とあらわれたのだ。
突如はじまった叔父甥の戦闘を、金峰と四十は距離を置いたところから身を寄せ合い、はらはらしながらみつめていた。




