柳生の女剣士VS.鬼の副長
曇天続く中、その日は快晴。ひさびさに日の出を拝めた後、ぽかぽかした陽気となった。
操舵士や航海士、機関士など航海するだけの最低の人員だけを除き、全員が「The lucky money(幸運の金)」号の甲板に集まった。無論、任務も交代で、すべての者が本日の試合を見物できるようになっている。
この船の客人は全員が和装。それぞれが斎藤の指導の下しっかりと手入れされた得物を佩き、それぞれが信仰する神に拝礼する。
ちなみに、神をうちに宿す厳蕃の柳生家は臨済宗大徳寺派で、本尊は釈迦如来である。
奉納の演武は北辰一刀流の藤堂と斎藤から始まり、神道無念流の永倉と厳周が、心形刀流から伊庭と厳蕃が、唯心一刀流から相馬と野村が、天然理心流から沖田と斎藤が、疋田陰流から土方と永倉が、そして最後は柳生心陰流から柳生親子が、全員がすばらしい演武をみせてくれた。とくに北辰一刀流および天然理心流で相方を務めた斎藤、唯心一刀流で息のぴったり合った型を披露した相馬と野村、そして永倉のしごきに耐え、短期間で疋田陰流の基本を叩き込まれた土方は、この船の乗組員全員の絶賛を受けたのだった。
その後の試合は、残念ながら野村が大事をとって不参加となった。律儀でやさしい相棒の相馬もそれに付き合ったので、その二人を除く十五名で行われることとなった。
「いい忘れていたかもしれぬが、妹は小太刀が好きなだけであって太刀が遣えぬわけではない。ああ、そうだな、むしろ太刀のほうが得意なのではないのかな?十二の年齢に疋田陰流の皆伝を、その翌年に柳生の皆伝を、それぞれ授けられている。ちなみに、鍛錬もいまだに半端ないと思うぞ」
それは、いままさに信江と相対しようと木刀を握った土方に与えられた義兄からのありがたき助言だ。
「・・・。義兄上、いまのは励ましでしょうかそれとも嫌がらせでしょうか?」
返す言が囁きに近く、また、震えを帯びているのは情けないかぎりであろう。
「父っ、頑張れっ!、父っ、頑張れっ!」
仲間たちに混じり、育ての親に跨った一人息子が懸命に声援を送っているのがなんともいじらしい。
だが、なにゆえ土方だけに?
「はははっ、すでに剣士の技量を正確に見抜けるようだ」厳蕃の実の甥への評価だ。
その評価は正しいのだろうが、土方にはかなりひっかかるものがあった。
「両者、中央へ!」
審判役の永倉の掛け声で慌てて中央に飛び出してゆく土方。
相対しているのは、愛する美しい妻などではなかった。土方らと同じ袴姿の剣士。しかも、これまで相対してきた中でもこれほどの相手はそうはいなかった。そう、あの芹澤鴨以来かもしれぬ。あの芹澤もあいつがいなければ倒せなかったはずだ。
「あなたっ、女だから、妻だからとて遠慮は無用でございます」凛とした表情にさらに凛とした言。すでに柳生の活人剣の技に呑まれていることすら気づいていない土方。
「それはこちらの台詞だ。夫だからすこしは手加減してもらいてぇところだ」ほとんど呟きにちかいそれは、永倉に届いたらしい。「ぷっ」と拭いたのだ。無論、相手に言など必要ない。心中をよめるのだから。
「両者、礼っ!はじめっ!」開始と同時に永倉は一歩下がる。
どうにか正眼に構える。ここは一応は目録である天然理心流を遣うことにした。妻、否、敵は木刀を左腰に佩いたままで身構えすらしない。そして、やはりなにも感じられない。
じりじりと前にでながら剣先を右斜め下に下げてゆく。これは理心流に自身の喧嘩殺法を組み合わせたもので、相手の足を薙ぎ払うのだ。これは真剣だとより効果的だが、木刀でも向こう脛をしたたかに打たれれば戦意を挫くことくらいはできる。まっとうな剣士であればこういう試合の場においては忌避する意表をつく攻撃だ。
はっと気がつくと、下げていたはずの剣先がつまみ上げられていた。敵の左の人差し指と中指の間に挟まれて。そして、敵のもう片方の掌は土方の着物の袷をしっかりと握っていた。
土方が木刀を持ったまま宙を舞った。その土方の両の瞳に息子の笑顔が、驚き顔の仲間たちが逆さに映る。
木の床に打ちつけられたにもかかわらず、その衝撃はほとんどなかった。敵は土方を軽々と背負い投げしたばかりか床に打ちつける直前に勢いを殺してくれたのだ。
「一本っ!」
永倉の宣言で見物人たちからわっと歓声が上がった。
「あなた、大丈夫ですか?まったくもう、手加減は無用ですのに」助け起こしながら夫を立てる良妻。
(いや、もういいんだよ信江。みな、わかってる。不甲斐ない夫に強すぎる女房だってことをよ・・・)夫は苦笑いしながら妻に助け起こしてもらった。
「かかっ!てんかっ!かかっ!てんかっ!」そのとき、歓声のうちで土方と信江の愛息の甲高い叫び声がきこえた。。
「総司っ、糞ったれ野郎!」沖田がまたしても言葉を教えたのだ。「嬶天下」と。
「あなたっ!」最近では、汚い言葉はすべて「Drop in hell to Nobue.(信江に地獄に落とされる)」略して「DHN」と秘かに呼ばれていた。その「DHN」言語を発した土方の体躯が再度宙を舞った。次は勢いを殺す、というような配慮はいっさいなかった。
「いたたたッ!」床に尻からさんざんに叩きつけられ、痛がる土方を仲間たちも乗組員たちも涙を流しながら笑ってみている。
「父っ、尻敷かれっ!父っ、尻敷かれっ!」
土方夫妻の愛息はどんどん言葉を覚えている。しかもそれらは繋ぎ合わされ文になりつつある。
残念なことはそれらのほとんどが沖田先生の教えによる土方自身を揶揄するものばかりということだ。




