島田の憂鬱
島田が集落を歩いていると、土方夫妻のいい争う声音がきこえてきた。否、厳密には一方的にいわれている声音が、だ。しかもそれは、風にのってや囁き、などというかわいらしいものではなかった。はっきりくっきり、まさしく雷鳴のごとしという表現がぴったりなほど、激しくいわれているものであった。
無論、夫が妻にいわれ、負かされていることはいうまでもない。
島田は眉をひそめた。その内容が、最近話題のことだったからだ。そして、最近そのことで口論が、くどいようだが、信江の口撃に土方が一方的にさらされているからだ。
「魁兄さん、「豊玉宗匠」のところへいくんでしょ?」
自身らがのってきた馬車の荷車の近くを通りかかったとき、島田は沖田から声をかけられた。
いまや荷車は、物置きがわりになっている。
沖田は、その一台の縁に背を預けていた。無論、一人ではなく永倉、斎藤がいっしょだ。
島田はさらに眉をひそめた。島田の場合、眉間に皺を寄せるのではなく、眉を顰めてしまうのだ。
「これはこれは・・・。三剣士がお揃いで。鍛錬は?さぼり、というわけかな」
島田はわかっていた。すでに三人をよんでいる。正確には、よまされていた。
「魁兄さん、副長は昔からあんたと源さんには一目置いていた。そして、あんたのいうことだけは、素直にきき入れる」
斎藤が一歩、歩をすすめた。その右腰には、「鬼神丸」がひっそりと寄り添っている。
島田は、「鬼神丸」に視線をちらりと向けてから、斎藤とそれを合わせた。
「それはかいかぶりすぎ、というものだ」
「いいや、わかってるよな、伍長?」
永倉だ。島田は、新撰組でともに働いたずっと以前からの旧知の漢に、体躯ごと向き直った。永倉も沖田とおなじように、荷車に背をあずけていたが、それを正すと島田に向き直った。
島田を新撰組に誘ったのが永倉だった。そして、甲府で新政府軍に敗れ敗走し、江戸で近藤と土方と袂をわかった際、その二人を託したのも永倉だ。
土方が自身の一刀、坊に永倉の様子をみにいかせたのとおなじように、永倉は自身の信頼する片腕に土方と近藤を任せたのだ。
「組長もかいかぶりすぎですな・・・」島田は苦笑した。
「副長は話はきいてくれますが、あくまでもきいてくれるだけです・・・」
「なんだろう・・・。昔から、みな、魁兄さんには弱いよね?」
沖田がかぶせてきた。姿勢をただし、まくりあげたシャツの袖をきっちりとおろしながら。それから、頭上で燦々と輝くお日様をみ上げた。
「焼けちゃったよね、肌・・・」独りごちる。
「坊もそうだった。あんたには一目置いていた。そして、生きている坊も、あんたになついている。いつも抱っこしてやってるだろう?それに、姐御だって、あんたには一目置いている。すくなくとも、実の兄よりよほど敬意を表しているようにうかがえる」
斎藤の指摘に、島田は気弱な笑みを浮かべた。
「あれ?こんなところに」
その機で、厳周がどこからともなく現れた。なんの気配もさせず、いかなる気も察知させずに。
「壬生狼先生がおかんむりですよ、お三方?さぼってるやつらには、馬歩をさらに一時(約二時間)はやってもらう、と」
「厳周、壬生狼の手先になってるわけ?」
沖田の言に、厳周は父親譲りの秀麗な相貌をぶんぶんと左右に振った。
「まさか!わたしはこなしました。すでに自由です」
厳周の言が終わらぬうちに、白き巨狼の遠吠えが大地と大空を駆けた。
「ちっ!伍長、頼む。わかってるな?」
「魁兄さん、頼みます」
「姐御に頼んでほしい。頼んだよ、魁兄さん」
永倉、斎藤、沖田は、それぞれいい置くと、背を向け駆けだした。
その背をみ送ると、島田は大きく息を吐きだした。
「これでしばらくはときが稼げるかと。ゆきましょう、魁兄さん」
「まことに、おぬしらはたけているな。便利なものだ」
島田は、厳周の肩をぽんと叩いてから、なにかを思いだしたのか、にやりと笑った。
「もっとも、女子のこととなると、てんでたけちゃいないがな」
そして、大股に歩みはじめた。
「は?どういう意味・・・」
そういうことにはてんでたけぬ厳周は、島田の大きな背を慌てて追いかけたのだった。