「偉大なる戦士(グレート・ウオリアー)」と「死に損ね」
『やあ、トシ。おや、どうした?そんなに難しい表情をして・・・。インディアンは、白人やきみたちと違い、いつも無表情だといわれるが、トシ、きみはいつも眉間に皺を寄せ、怒った表情だな。精霊も怖がるぞ』
近づいてきた土方に、クレイジー・ホースは人懐っこい笑みとともにいった。
いや、けっして表情が乏しい、というわけではない。どのインディアンも、笑えばいい表情になるのだ。
そんなことを考えながらも、土方は自身の眉間の皺のことを、まだ付き合いの浅い異国人にまで指摘されたことが、われながらおかしかった。
『精霊?クレイジー・ホース、あんたもわかるのか?てっきり呪術師だけが感じたりきいたり話したりできるものと思っていたが』
土方は、わかっていてやり返した。すると、クレイジー・ホースは満面に笑みを浮かべた。体躯のわりにはがっしりとした掌を伸ばすと、土方の肩をぱんと音高く叩く。
『わかるものか?わたしにはその資格も才覚もない。わたしの家系は、代々戦士であり、馬を盗むことだ』
クレイジー・ホースがそういっている間、土方は黒い影を視界の隅にみとめた。それは、馬体の間を隠れつつ、するすると移動してゆく。
土方がみ逃がすはずはない。
『クレイジー・ホース、あんた、うちのペテン師になにかもちかけられなかったか?おっと、日の本の言の葉で失礼』
土方は、「偉大なる戦士」と二つ名をもつクレイジー・ホースに詫びた。それから、息をおおきく吸った。この際、馬たちには気の毒だが、しばし動かないでいてもらうしかない。
「左之っ!十番組組長原田左之助っ!隠れてねぇで姿をあらわしやがれっ!てめぇ、懲りずにまた競べ馬で賭け事しようってんだろうがっ!」
周囲にいる馬たちの動きが、そして息遣いがとまった。
『偉大なる精霊よ・・・』
その様子に、さしもの偉大なる戦士」も驚いている。
同時に、澄んだ音色の指笛が流れてきた。すると、馬たちに動きと息遣いが戻った。
「なんだよ、副長!勘弁してくれよ」
十間(約18m)ほど離れた馬たちの間から、原田の長身がぴょこんとあらわれた。それから、一直線に駆けてきた。
「誤解だよ、副長。おれがもちかけたんじゃねぇよ。クレイジー・ホースのほうがもちかけてきたんだ。おれたちの連れてきた馬がどれだけ頑丈かって・・・。ぜひともみてみたいってな」
しどろもどろに説明する原田をみながら、土方は心中で苦笑せざるをえなかった。
「無論、断ったんだろうな、左之?ええっ?それが当然だよな?このまえ、てめぇはもうすこしで九重を死なすとこだった。それをまさか、忘れちまったわけじゃあるまい?」
「あ、当たり前だろう、副長?」
み下ろしてくる原田の両の瞳が泳いだ。
『トシ、トシ、問題か?もしかすると、わたしがサノにいったことが原因か?』
その機で助け舟をだしてきたクレイジー・ホース。そのことも土方を苦笑させた。
すべて計算ずくらしい・・・。
『いや、問題じゃないよ、クレイジー・ホース・・・』
土方はおおきくため息をつきながら、おおげさに両の肩をすくめてみせた。
「左之、此度だけだ。そして、出走する馬と騎手はおれがきめる。いいな?」
「ええっ、いいのかよ、副長?」
原田は警戒した。土方があまりにも物分りがよかったからだ。逆に、なにかよからぬことを考えているのでは、と疑わざるをえない。
「馬鹿野郎っ!」それをよんだ土方の怒声が大地を駆け、天を奔った。
またしても流れる澄んだ音色。
動きを封じられたり開放されたり、と馬たちにとってはいい迷惑であることはいうまでもなかろう。