狩野派もびっくり!
此度用いた和紙は、蝦夷でともに戦った元幕臣から譲り受けたものの最後の一枚だ。
その老いた幕臣は、家督を息子に譲ってから、かの浮世絵師河鍋暁斎にしばらく師事したこともある物好きであった。あのどたばたで、恭順を誓った徳川慶喜に従った息子とは縁を切り、自身は旧幕府軍の一員として蝦夷まで転戦したという。
結局、その元幕臣は生き残ったが、また絵を描きたいと戦地からふらりと立ち去ったという。その別れ際、息子よりも年少の相馬に絵心を見出したのだろう。和紙を分けてくれた。相馬は、その和紙を亡き近藤局長の筆や硯とともに持参したのだ。
そして、このばかでかい一枚が最後の和紙、というわけだ。
人垣ができていた。
そのおおくがスー族の人々だ。
地面に和紙をひろげ、一心不乱に描く相馬と、そこにあらわれる墨絵を、人々は魅入られたように眺めている。
そして、その最前列には相馬の仲間が・・・。
無論、黒人のジムに白人のケイトも同様だ。
『ほう・・・。なかなかのでき映えだな、わが弟子よ。狩野派も驚きのできではないか?』
地面に敷かれた和紙のまえをいったりきたりしつつ、白き巨狼が至極ご満悦で称讃した。
十尺(約3m)四方のばかでかい和紙。その両端にはそれぞれ昇龍が、大地に白虎と玄武が、大空には朱雀が、雄大かつ荘厳なまでに描かれている。それはもう見事としかいいようのない筆致としか表現のしようもない。
「お気に召していただき、恐悦至極に存じ上げます。なれど師よ、狩野派をご存知とは存じ上げませんでした」
相馬は、蝦夷に棲まう白き巨狼が狩野派などしりようもないとたかを括りつつ、そういってみた。
相馬自身、さきの老兵士から手ほどきをうけた。その老兵士が師事した河鍋暁斎は、反骨精神豊かな独自の筆致をもっていたが、もともとは狩野派の絵師である。ゆえに、相馬もその色が濃いというわけだ。
『わが弟子よ、山水図をみたことがあるか?』
なにをきいてくるのかと思いきや・・・。相馬は相貌を左右に振った。
『狩野派の祖狩野正信に山水図の印象を与えたのが何者か、わざわざ述べる必要もあるまい?』
「ええっ・・・?」
「狩野派ってなに?どこの武装勢力?それにしても、さすが主計兄だね」
市村が興奮した面持ちで褒め称えた。その右隣には、スー族のきれいな姉妹が、反対側には怖い表情のケイト、なんともいえぬ表情の山崎が、それぞれ立っている。
そして、仲間たちもぞろぞろと近寄ってきた。
此度、相馬の芸術の対象となった素をうちに宿す依代たちも・・・。
『武装派勢力って・・・』
ききとめた相馬の英語の呟きにかぶせ、市村がさらに叫んだ。
『大蛇に亀に虎に鷺、だよね?』
『だまってろ、鉄ッ!』
同時に飛んだ幾つもの野次の声。
『まったく、お馬鹿童には困りものだな、わが弟子よ。それは兎も角、みよ、このでき映えを。かっこいいであろう?』
鼻高高に、実際、長い口吻を天に向け、自慢する白き巨狼。
さしもの土方や厳蕃も苦笑するしかない。
が、そのでき映えに、おなじく誇らしい想いにとらわれた。
『ああ、素晴らしい』
『美しい』
土方、そして厳蕃。とくに厳蕃は、感無量で自身のうちなるものの壮大な雄姿をうっとりと眺めている。
『すごいね、主計兄。ありがとう。それで、わたしのはどっち?』
『ああ、坊・・・』
自身の脚にすがりついてきた幼子に、相馬はその小さな頭部を撫でながら、開いたほうの掌で指差した。
『ほら、周囲に雨雲を呼び寄せているほう。こちらが龍神様、つまり蒼き龍だよ』
その一言で、土方ははっとした。
またしてもあの路傍の坊主を思いだしたのだ。
そのとき、なにゆえか白き巨狼と視線があった。
その黒く深い瞳の奥に、土方は垣間みた。否、みせられた・・・。
まさか、まさかあのときの坊主は・・・。
ふと逸らされた視線・・・。
土方はぞっとした。なにゆえか、背筋を得体のしれぬものに撫でられたような気がした。




