武者修行
「お願い?いま、ここでいわねばならぬことなのか?」
自身の息子からお願いごとなど、めったにないことだ。土方は、内心で複雑な気持ちになりつつ、口唇の外にだしてはそうたずねていた。
あいつとおなじで、自身の息子も他者の機微に聡く、空気をよくよむと思っていたのに、いま、この機で滅多とないことをいいだすとは、うれしさよりも当惑が、さらには嫌な予感までしはじめていた。
その父親の当惑をよそに、息子は遠間の位置で赤狐の仔をぎゅっと抱きしめ、口唇をわずかにへの字に曲げた。
いつの間にか、かわいいというよりかは美しい、という形容詞がぴったりになっている。それもまた、あいつとおなじだ。餓鬼のくせに、容姿は美しい。妖艶といってもいい。それは、兇漢どもによってその相貌に一生消えぬ傷をつけられ、自身で眼窩より眼を引き摺りだしたときの傷が残っていてさえ、その美は損なわれることはなかった。
そう、その美しさは、自身らだけでなく、芹澤や伊東、薩摩など、敵対していた者たちでさえ認めていたのである。
「副長っ!副長、あんた、またあいつのことを考えてるだろうが。あんたの息子だ、いま、あんたのまえにいて、あんたに口をきいてるのはあんたの血を分けた息子だ。あんたの女房の甥っ子じゃねぇ」
永倉だ。その怒鳴り声に、土方ははっとわれに返った。
いまや全員が土方に注目していた。沖田と視線があった。いつもだったら「「豊玉宗匠」は・・・」などとからかいの言の葉をぶつけてくるはずだ。否、そうしてほしかった。が、なにゆえか、沖田は以前よりもずいぶんとがっしりとした両の肩を竦めただけで、その口唇は閉じられたままだ。
「甥よ、頼みとは?いまはそういう話をしている場合ではないのだが」
厳蕃がさりげなく助け舟をだしてくれた。すくなくとも、土方はそう思った。
が、厳蕃の心奥は穏やかではなかった。甥がこの機でいわんとすることを、よもうとしてよめなかったのだ。よませてくれなかったのである。ゆえに、赤狐の仔の話をするのだと仮定して、無論、そのようなわけはないのだが、わざとそういうつもりにするしかなかった。
「いいえ、伯父上」甥のほうは、厳蕃のその心中をよんでいる。即座にいいかえした。
「いまの話に関連しております。わたしは、わたしは武者修行の旅にでとうございます」
かぞえで四つにもならぬ幼子の、おそらくはささやかな願い事のつもりだろう。その内容を咀嚼し、脳内にゆき渡らせるのに、大人たちはしばしのときを要した。そして、わずかなときをへ、ようやっと浸透したときだ。
「えーっ!」
このときばかりは全員が、正確には日の本の言の葉のすべてが理解できぬスタンリーとフランクをのぞいて、おなじ反応を示した。
「武者修行ーっ?」
第二弾の叫びもまた、おなじだった。これだけ揃っていれば気持ちがいい。なんの気なしに様子をみている亜米利加人二人は、まるで合唱でもきいているような気になったやもしれぬ。
「先生から、言の葉を習いました。その意味は、兄上から教わりました」
きゅんきゅんと鳴く赤狐の仔に頬ずりしながら、土方の息子がいった。
「ええっ?」つぎの叫びは、残念ながら二人だ。無論、沖田と厳周だ。
鬼の一睨みに、すくみ上がる沖田と厳周。
「武者修行など許さぬ」厳かに告げたのは、幼子の伯父だ。
「亜米利加には相手がおらぬ。ゆえに、修行にならぬ」
つづけられた言に、だれもが黙りこくった。そして、厳周だけでなく、全員がいっせいに突っ込んだ。無論、心中で。
「そんな問題か?そういう問題なのか?」、と・・・。たしかに、剣術修行という点においては、亜米利加広しといえど、相手はここ、この場所にしかいないだろう。すくなくとも、幼子の相手になる域にあう剣士は・・・。
やはり、厳蕃はどこかずれている。それとも、大剣豪とは、そういうお茶目な要素も必須なのだろうか・・・。
全員が驚きとともに推察した。その義理の弟、甥、そして、実の息子も含めて・・・。




